[東京 24日] – 今週、船出した高市政権の経済政策は市場が懸念していたようなリフレ色の濃いものとはならないだろう。日銀の金融正常化が決定的に妨げられることもないと筆者のチームは考えている。一方、構造改革への期待は高まりそうで、海外投資家の日本株投資を促すだろう。短期的にはリスクオン環境の下、円安圧力が加わろうが、中長期的にはそれに伴う円買いが底流の需給改善に貢献し、次第に円高圧力を生み始めると思われる。引き続きドル/円の上値余地は155円前後で限界的で、向こう数カ月では140円前後を試す流れに転じていくとにらんでいる。

<高市政権誕生>

今月21日、高市政権が船出した。日本初の女性総理大臣である。経済政策上、鍵となる財務相には片山さつき氏が指名された。緊縮財政派ではなさそうだが、元財務官僚でもあり、財政規律をある程度は重視すると思われる。その過去の発言からは植田日銀の金融政策を支持していることがうかがえるほか、円相場は過小評価されており、その修正が必要との認識も示してきた。

自民党内では、高市氏勝利に貢献した麻生太郎元首相が党副総裁、麻生氏の義弟の鈴木俊一元財務相が党幹事長に就任することになった。両者とも基本的には過度に拡張的な財政刺激策には否定的と言われる。

米国では、ベセント財務長官始め金融当局も日本の財政拡張策を懸念していると見られ、日銀の金融正常化は半ば米国からの公然の要請となっている。

これまで高市氏はアベノミクスの継承者を自称し、リフレ政策を訴えてきた。同氏の首相就任は日銀の金融正常化に逆風との見方が浮上する中、2010年代半ばの安倍政権の時の円安、日本株高が想起され、自民党総裁選の後、それを再現するような市場の反応が起こっていることは自然なことではある。

だが、こうした国内外の諸事情を考慮すると、高市新首相の経済政策(「サナエノミクス」)がそのまま「アベノミクス2.0」のようなリフレ色の濃いものとなることはないと思われる。

<アベノミクスの恩恵を受ける局面>

高市氏は英国初の女性首相であるマーガレット・サッチャー氏を尊敬している。産業大臣などを務めたキース・ジョセフがサッチャー政権の「思想担当者」と言われたように、高市氏の政治信条は安倍元首相から受け継いだものが多い。ただし、サナエノミクスが10年前のアベノミクスから変質するのは国内外の金融経済環境の変化を考えると当然のことだ。

アベノミクスが行われた10年前は日本はデフレと円高にさいなまれていたが、今はインフレと円安が問題となっている。当時1万円前後だった日経平均は今や5万円に近づこうとしている。この間、日本企業は対外直接投資を増やし、収益力を回復させてきた。ただ、この間、急ピッチの円安が進行し、日本株パフォーマンスはドル建てでは低迷し、海外の長期投資家(リアルマネー)の日本株投資は停滞してきた。

その回復が始まったのは昨夏のドル/円急落で長期的な円安トレンドが終焉する兆しが強まってからだ。逆に先月、円安懸念が再燃すると彼らは再び日本株売却に動き、それが円安圧力を増幅することに繋がってきたと思われる。海外投資家の投資を一つのけん引役に日本株高をより持続的なものにしていくためには、日銀の金融正常化を裏づけとした緩やかな円回復が必須だ。

それが満たされた時、サナエノミクスは10年前のアベノミクスの恩恵を明確に享受することになるだろう。

<日本版現代サプライサイド・エコノミクス>

アベノミクスが行われた10年前は世界的にもまだ政治的には新自由主義アプローチが主流だった。経済政策や経済学の領域では、中央銀行の金融政策を過度に重視し、基本的には財政均衡を目指すニューケインジアン・アプローチが中心であった。

だが新型コロナ危機を転換点に新自由主義の修正が始まり、経済政策面でも現代サプライサイド・エコノミクス(MSSE)のように財政政策を有効活用する流れが強まってきた。これは一種、オリジナルなケインズ経済学への回帰のような色彩を放つ。また、10年前には世界的にもディスインフレ圧力が強まっていたが、この数年はむしろインフレ圧力が強まってきている。

そうした中で、アベノミクスという一種の高圧経済政策を世界に先駆けてとってきた日本でもデフレ脱却が展望できるようになり、その分、世界全体のトレンドとは逆にリフレ度合いを適切に削減していく時期を迎えている。これを適切に達成できるならば、サナエノミクスは成功することになろう。

アベノミクスは90年代のバブル崩壊という市場の失敗が生んだデフレに対する日本なりの処方箋だった。中央銀行の金融政策とその影響を受けた為替相場が重要な役割を担ったという点では1980年代前半の米国でのレーガノミクスと似ていた。だが、レーガノミクスが対処したのは、60年代の混合経済の下で肥大化した政府の失敗、つまりスタグフレーションに対する処方箋だった。

この時期、英国はサッチャーリズムの時代であり、米国同様に高金利政策がとられ、長期的な下落トレンドにあった英ポンドは対独マルクや対円では一旦、下げ止まっていた。この間、85年のプラザ合意まで米ドルは全面高となり、その恩恵もあって米国や英国のインフレは急速に沈静化に向かった。

このインフレを克服した80年代半ばの米国と英国の状況は、方向性は逆だが、アベノミクスから10年、長らく続いたデフレ圧力を脱した今の日本の状況に相当する。米国と英国はその恩恵を享受するため、80年代後半には緊縮政策を修正し、プラザ合意を転換点に通貨政策も通貨高志向から通貨安志向に転換した。日本もそろそろ通貨安から通貨高の恩恵を被るべき時期に入っているのではなかろうか。

<日本版トラス・リスクに対処する>

もしも高市政権が日銀に不用意な政治圧力をかけ、円安が加速するようなことになった場合、日本版ミニ「トラス・ショック」のようなことが生じかねず、場合によっては高市政権を短命に終わらせかねない。

自身のリフレ政策への信条が原因で、こうした日本版トラス・ショックへの懸念が市場にくすぶっていることは高市氏も認識しているはずだ。英国3人目ではなく、1人目の女性首相を尊敬する高市氏にとって、それは望ましいことではあるまい。

高市氏がサッチャー氏のように長期にわたって政権を維持し、自身の政策を実現していこうと思うのなら、金融経済領域でまず避けなければならないのは、そのような日本版トラス・ショックを引き起こさないことだ。

結果的に、サナエノミクスの着地点はアベノミクス1.0とレーガノミクス/サッチャーリズムの中間のようなところに落ち着いていくのではなかろうか。植田日銀による緩やかな金融正常化路線は継続。米国サイドでは連邦準備理事会(FRB)の利下げが予想される中、日米金利差は今後、一段と縮小していくことが見込まれる。そうした金利差縮小は着実にドル/円に下落圧力を加えていくと思われる。

<トライアングル・トップの完成へ>

足元ではFRBの緩和期待が米株、ひいては日本株を下支えし、円安になりやすいリスクオン環境を演出している。だが、日米で株高になるような金融経済環境は結果的に日銀の金融政策上の自由度を高めている。

日銀の金融緩和(第1の矢)が円安、そして日本株高を演出した10年前のアベノミクスの時と違って、今は日銀の金融正常化とそれに伴う円金利上昇が最終的には円高を促していくことが予想される状況となっている。実際、24年以降は日本株が最高値を更新する高騰となっている中、足元のドル/円はまだ昨年高値を下回って推移中だ。

こうした中、我々は昨夏にドル/円が160円前後から140円前後へ急落したことを発端に長期的な円安トレンドが円高トレンドに転換し始めたとの見方をとっている。この間、140円をネックラインに大型のトライアングル・トップを形成していると見ているが、その中心線は23年から24年にかけてサポートとなった350日線(現在150円前後)である。

目下、そこからプラス1シグマバンド(現在155円前後)への上振れが否定できなくなっているが、それでも上値切り下がりの弱気型のトライアングル・トップ形成とのフォーメーションに関する我々の見方は揺るがない。向こう半年ほどで140円前後へのドル安円高が進むことになるのではないかと考えている。

編集:宗えりか

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*高島修氏は、シティグループ証券の通貨ストラテジスト。1992年に三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、2004年以降はチーフアナリストを務め、2010年3月にシティバンク銀行へ移籍。2013年5月以降はシティグループ証券に在籍。

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