「私たち4人家族だったよね」行方不明の女児(6)の遺骨 家族のもとに 東日本大震災から14年7か月 「喜びも半分 寂しさも半分」|TBS NEWS DIG

身元が判明したのは震災当時 6 歳だった山根夏さんです。今日は父友さんと母の千さん、そして兄のダイヤさんが異骨を受け取るため南三陸警察署を訪れました。 警察関係者はご比願います。 夏瀬さんは震災の発生当時岩手県山田町の自宅で津波に襲われて行方不明になりました。 昨年南山陸町の建設会社で見つかった下顎の骨の一部が DNA 鑑定などの結果から先月夏瀬さんのものと判明しました。震災から 14年7ヶ月、 今日母千さんに夏瀬さんの骨が手渡されました。 にください。 14年経ってやっとで手元に戻ってき たっていう喜びも半分ですけど、 なんかね、こんな形でっていう寂しさも 半分です。 山田町では震災の地震や津波で143人が 行方不明となりました。 直線距離でおよそ100km離れた 南三陸町で奇跡の再開を果たしました。 たった6年間っていう短い うん。娘の 育てる身近さを改めて感じてます。うん。 ニコニコってママって 言ってるかなって。あの、想像してます。 やっぱり私たち4人家族だったよねって いう。 夏瀬さんは家族と共に故郷の山田町に帰り ます。

おととし、宮城県南三陸町で見つかった人の骨の一部が東日本大震災で行方不明となっていた当時6歳の女の子のものとわかり、きょう、家族のもとに14年7か月ぶりに引き渡されました。

身元が判明したのは震災当時6歳だった山根捺星さんです。きょうは父・朋紀さんと母の千弓さん、そして兄の大弥さんが遺骨を受け取るため、南三陸警察署を訪れました。

捺星さんは震災の発生当時、岩手県山田町の自宅で津波に襲われて行方不明になりました。

おととし、南三陸町の建設会社で見つかった下あごの骨の一部がDNA鑑定などの結果から、先月、捺星さんのものと判明しました。

震災から14年7か月、きょう、母・千弓さんに捺星さんの遺骨が手渡されました。

捺星さんの母・山根千弓さん
「14年たって、やっと手元に戻ってきた喜びも半分、こんな形でという寂しさも半分」

山田町では震災の地震や津波で143人が行方不明となりました。直線距離でおよそ100キロ離れた南三陸町で奇跡の再会を果たしました。

捺星さんの母・山根千弓さん
「たった6年間という娘を育てた(時間の)短さを改めて感じています。にこにこして、ママーって言っているかなと想像しています。やっぱり私たち4人家族だったよね」

捺星さんは家族とともに、故郷の山田町に帰ります。

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39 Comments

  1. 私もそうですが、亡くなった家族の事を想うと、
    最初の数年は涙が止まらないときもあって
    寂しい、悲しい、の感情ばかりでした。

    時間の経過と共に
    寂しい、悲しい、の感情から
    今では、楽しかった思い出、懐かしく思う感情、に変わっていきました。

    ひとつだけ確実に言えるのは、亡くなった本人は
    もう苦しみからは、解放されているのだから
    今を生きているご遺族にも
    余生はゆったりと穏やかに..どうか過ごせますように。

  2. 自分も当時6歳でした。四国に住んでいたため震災を身近に感じることはありませんでしたが、見つかった子と同じ年生まれであるせいか、何か身近なものというか、言葉に出来ない感覚を覚えます。
    もし生きていれば大学生…時代の流れを感じます。
    遺族の皆様、見つかって本当によかったですね。

  3. 普通に生活していただけなのに災害に巻き込まれて命を落とすなんて不憫すぎる!
    遺骨だけでも親元に戻れてよかったです。

  4. 帰って来て!帰りたい!って お互いの 念 ですね😢
    良かっね

    おかえり!!ですね

  5. 震災から14年7ヶ月経った日から
    やっと家族の元に戻ってきて
    きっと亡くなった方も
    両親の元に戻ってきて
    大変嬉しく思ってると思います。
    心からご冥福お祈りいたします。

  6. 6年共に過ごして、14年待ち続けて。何処かできっと生きているんだと信じたかった事もあっただろうに、掌に収まってしまうサイズになって戻ってくる。やっと会えたねという嬉しさも、生きていてほしかったっていう悲しさも沢山あるだろうけど、どうか 娘さんが戻ってきた 家族4人で少しでも笑って過ごせますように。

  7. 生きておられたら、今年二十歳だったのですね。
    お辛いですが、おかえりなさい、戻ってこられて本当によかったです。

  8. 帰ってこれて良かった。
    震災を経験し、同じ自閉症の子を持つ家族として、災害時の避難訓練やシミュレーションを定期的にしています。
    養護学校や療育施設にいる場合や自宅にいる場合など、少しずつ本人にも覚えてもらうようにしてますが、なかなか大変です…

  9. 語弊あるけど、見つかったのが下顎の骨っていうのは幸運だったのかも。発見した人がわかりやすく「人骨かも」と判断できたこと、そして歯に残存していたたんぱく質からDNA判定が出来たこと…。おかえり。よかったね。暖かいお家に帰れるよ。

  10. うちの父方の親戚の女の子も行方不明のままです。なぜこんな悲しいことが起きてしまうのでしょう…。😢

  11. 警察官の方の、お骨を渡される手の丁寧でお優しいこと🥲

    「長い間お待たせしました」とおっしゃっているけど、この方や警察の力不足でお待たせしたわけではない。でも、お待たせした、というお気持ちが心からのものと感じる。

    きっとご年齢から察するに、震災の時にも警察官として勤務されていたのでしょうね。
    このご家族の報道を通して、震災からの長い年月、様々な公務員の方が、ご遺体をご家族にお戻しするためにご尽力されたことを思い出し、敬意を払わなければいけないと改めて思わせてもらいました。

  12. この遺骨がどれほど軽くてどれほど重た過ぎるものか。、計り知れない。おかえりなさい。寒い中も暑い中もよく頑張った。

  13. 6歳か…。3.11が無かったら、4月から新1年生だった女の子だよ
    この子と一緒に流された家には、きっと新品のランドセルが出番を待っていたと思う

  14. 娘さんが生きた年月よりも家族離れ離れになっていた年月の方が遥かに長いの本当に悲しいけど見つかってよかった。

  15. なつせちゃん家族と、同じ地元です😭

    東日本大震災で、祖母と親友2人を亡くしました
    14年たって、ようやく家族のもとに、戻ってきたんですね
    おかえりなさい
    ゆっくり、天国でやすらかに

  16. テレビの取材に応じる遺族の方たちの「覚えていてほしい」という気持ちをとても感じました

  17. ずっと1人で寂しかっただろうに、家族のもとに帰ってこられてよかったです。
    おかえりなさい。
    どうか家族のそばでゆっくり休んでください。