ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.10.21 11:10

◇大韓民国「トリガー60」㊷ 聖水(ソンス)大橋の崩落と災害社会

ちょうど31年前の1994年10月21日午前7時38分、ソウルの城東区(ソンドング)と江南区(カンナムグ)をつなぐ聖水大橋の中央部48メートルの上部構造が突然崩れ落ちた。橋を渡っていた市内バスなど6台の車両が一瞬のうちに川に落下した。登校途中だった舞鶴女子中・高等学校の学生9人を含む市民32人が命を失った。人々は「見た目には何の問題もなさそうだった橋が、どうして一夜にしてこんなふうに崩れるのか」と衝撃を隠せなかった。当時のメディアはこの事故を「国家インフラ崩壊への警鐘」と報じ、社会全般に蔓延した安全不感症を厳しく指摘した。

聖水大橋の崩壊は、制度と組織の欠陥が人的ミスと重なって起きた複合的な事件だった。当時の建設行政は、低コストと短期完成を最優先に置いていた。橋の設計や施工過程でも専門人材が不足していた。それにもかかわらず、無理な工程と技術的な実験が強行された。政府の非現実的な単価設定は粗悪な資材使用を誘発した。監理制度は形だけのものだった。そこに鉄筋溶接部のずさんな施工、規定違反の重量車両の通行放置、亀裂の兆候報告の無視など、危険要因が重なっていた。聖水大橋崩落は、韓国の圧縮的産業化が抱えていた「速度のイデオロギー」が、安全と生命の価値をいかに圧倒していたかを示す象徴的事件だった。

それから8カ月後の1995年6月29日、今度はソウル江南の中心にそびえていた三豊(サムプン)百貨店が崩壊した。わずか20秒ほどの間に地上5階建ての建物が完全に崩れ落ちた。502人が死亡したこの事件は、大韓民国現代史上最悪の惨事として記録された。

百貨店の建物は用途変更を繰り返しながらも、専門家の審査もなく設計が変更された。無理な増築と安価な資材使用、重い冷却塔の屋上設置と移動、そして崩壊の兆候を認識しながらも営業を強行した経営陣の無謀さが被害を拡大させた決定的な要因だった。施工・監理・行政が賄賂と慣行によって癒着し、不正を黙認していた。

崩壊事故直後、百貨店会長の李鐏(イ・ジュン)は「崩れたらお客さまにも被害が出るが、うちの会社の財産もめちゃくちゃになるんだぞ!」と怒鳴った。このような強欲と制度的安全不感症の結合が、目を覆うような残酷な結果を生んだ。

◇「安全」を「コスト」扱いした、大邱地下鉄の悲劇

聖水大橋と三豊百貨店の事件は、単なる建造物の崩壊ではなかった。私たちがこれまで信じていた世界が崩れ落ちるのも同然のことだった。一方で、韓国社会の災害が自然災害から技術災害(人間の作った技術と人為的ミスや誤りが結合して起きる災害)へと移り変わったことを示す象徴的な事件でもあった。

韓国は1970年から90年代半ばまで、年平均10%の高度成長を誇った。わずか25年で経済規模は70倍にも膨らんだ。産業技術が社会の中心を占めるようになった。ソウル、特に江南開発はこうした高速成長の象徴だった。江南圏で起きた聖水大橋と三豊百貨店の崩落・崩壊は、スピード戦を掲げた圧縮成長の時代がその重みに耐えきれずに発生した悲劇的事件だった。効率に酔いしれた「成長の神話」が崩れ去った瞬間だった。

聖水大橋と三豊百貨店の崩壊は、大韓民国をどう変えたのか。「施設物の安全管理に関する特別法」が制定された。橋梁・トンネル・建物など主要施設物について、定期点検と精密安全診断が義務づけられた。専門機関である韓国施設安全公団が設立された。設計・施工・監理の全段階において不正や手抜きを防ぐため、建築法上の処罰条項も強化された。手抜き施工や虚偽監理による事故には刑事責任が問われるようになった。「スピード」が美徳だった社会に、「安全」という価値が少しずつ根づき始めた。

法律と制度を新たに整え、安全社会を誓ったものの、災害は続いた。2003年の大邱(テグ)地下鉄放火事件(192人死亡)は、地下鉄車両内部に可燃性の内装材が使用されていたことが火災を拡大させ、被害を大きくした。これは低入札競争と利益優先の発注構造が生んだ韓国式開発の帰結だった。緊急避難訓練の欠如とマニュアル中心の硬直した対応体制が危険を増幅させた。この惨事もまた、「安全」を「コスト」とみなす社会全体の構造的問題が生んだ悲劇だった。大邱地下鉄惨事の後、地下鉄の内装材はすべて不燃性の素材に変更され、以前より地下鉄は安全になった。

2014年4月16日に発生したセウォル号沈没事故(304人死亡)は、韓国社会に大きな衝撃を与えた。セウォル号は違法改造によって復元性が極めて低下していたが、貨物積載量制限を超えて運航し、監督機関は金銭と人脈に頼ってこれを黙認していた。船会社である清海鎮(チョンヘジン)海運は、コスト削減のため乗組員の教育と緊急装備を最小限に抑え、政府の海運管理システムはこうした不正を制御できなかった。後進国型の災害は、国民所得3万ドルの時代にも止まらなかった。

周期的に発生する自然災害とは異なり、技術災害はおおむね予測が難しい。技術災害には、それを引き起こした事件や人が存在する。したがって「神の手によるもの」といった超越的説明ではなく、人間が作った人工物の作動失敗と管理欠如の中に原因を探すことになる。しかし、責任回避や責任転嫁による社会的葛藤が拡大し、回復には長い時間がかかる。この過程で被害者やその家族は怒りと無力感を感じる。一方、自然災害は破壊を経験した後、むしろ連帯と復旧の力を発揮する。

<創刊企画「大韓民国トリガー60」㊷>「早く早く」高速成長の陰…安全も同時に崩れた(2)


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