取材・構成: 小沢あや(ピース株式会社) 撮影: 小原聡太


2025年4月でデビュー5周年を迎えるボーイズグループ・OWVの浦野秀太さん。テレビ・イベント出演などで全国で活躍するようになった今も、地元・神奈川の実家で暮らし、変わらぬ環境の中で音楽活動に励んでいます。

そんな浦野さんにとって、神奈川はどんな存在なのか? 幼少期の思い出の場所やお気に入りスポットなど、地元愛をたっぷり語っていただきました。

あえて県内で一泊するほど地元好き―― 浦野さんは、神奈川生まれ神奈川育ち。デビューしてからもずっとご実家から都内に「通勤」されているのだとか。

浦野:はい。僕は生まれてからずっと住んでいます。祖父母の代から、生粋の神奈川県民です。

あらゆる方向にアクセスがいいから、都内にも楽に通えちゃうんですよね。海もあるし、山もあるし、有名な温泉街も複数あるし、都会的な便利さもある。水源を支える相模ダムも……。

浦野:まあ、とにかく神奈川最高ですから。引越そうと考えたことは、今まで一度もないです。

―― 生粋の神奈川県民として、地元を満喫し尽くしているんですね。

浦野:神奈川県民なのにしょっちゅう家族で県内で一泊してるんですよ。泊まるのは、箱根、横浜、湘南エリアが多いですね。

―― あえて神奈川県内で宿泊するんですね。

浦野:そうなんですよ。観光地としても魅力的だから、ちょっとした非日常を味わえるんです。

―― 箱根はとくに、インバウンドも含めて随分にぎやかになりましたよね。

浦野:ベタですけど、小さい頃から「箱根小涌園ユネッサン」にはよく行きました。とにかく広くて、ワイン風呂やコーヒー風呂など、変わったお風呂がたくさんあるんですよね。のぼせないように、微妙にぬるめのお湯で。

―― 施設内には普通の温泉もあって、大人も楽しめますよね。

浦野:そうそう。あと、温泉だけじゃなくて足湯もあったり、景色がきれいだったり、いろいろな楽しみ方ができるんですよね。

箱根では、家族と現地のお祭りに行ったり、ホテルのお部屋から夏の風物詩の「箱根強羅温泉大文字焼」を見て過ごしていました。

「富士屋ホテル」にある「ピコット」というパン屋さんも好きで、よく通っています。ここのカレーパンや、あんブリオッシュが好きなんです。

―― 湘南エリアの海で楽しむことは?

浦野:思い出がたくさんありますね。父がサーファーなので、小さい頃に一緒に波乗りもしましたし、砂浜で凧揚げをしたり、潮干狩りをしていました。

祖父母の家が茅ヶ崎の海の近くにあったので、いとこたちと追っかけっこしたり、砂浜で遊んだりしていました。僕は毎回のようにビーチサンダルをなくしてしまい、父におんぶしてもらって帰るのがいつもの流れでしたね。

―― かわらしいエピソードですね。茅ヶ崎でよく立ち寄るスポットは?

浦野:茅ヶ崎というと、「寒川神社」まで行く人が多いんですが、僕たちはよりローカルな「住吉神社」にお参りしていました。

とても小さな神社で参拝客も少ないんですが、なぜだか、願い事がよくかなうんです。ここで夢や目標を伝えたおかげで、今の僕がいます。

―― 横浜にも、買い物だけでなく、浦野家の過ごし方があるそうですね。

浦野:旅行します。みなとみらいは街の雰囲気が好きなので、よく泊まりに行きます。家族がお気に入りのホテルは「ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜」です。施設が新しくてきれいだから、快適なんですよね。スパのサウナでのんびりしたり、みなとみらいの夜景を眺めたり、ぼーっとできるんですよ。

ちょっと散歩したくなったら、赤レンガ倉庫でホットチョコレートを買って、飲みながらのんびりと「大さん橋」まで歩くんです。ベンチでしばらく会話して、そしてまた赤レンガ倉庫に戻って、「ブッチャー・リパブリック 横浜赤レンガ シカゴピザ&クラフトビール」で食事を楽しんで、ホテルに帰る。

―― 近所にあえて泊まって散歩を楽しむって、とても贅沢で素敵ですね。

浦野:そうですね。もちろん日帰りのことも多いですけど、小さな頃から横浜・みなとみらいエリアにはよく足を運びました。「よこはまコスモワールド」がお気に入りで、夢中になってましたね。

横浜中華街にも行きます。特に「重慶飯店」には家族との思い出がたくさんありますね。ここは北京ダックと小籠包、チャーハンがとにかくおいしくって!

学生の頃には、友達と食べ放題のお店にも行っていました。お手頃でおいしいんですよ。

中華街に行くと、お土産に「公生和(コウセイワ)」のえびせんを買って帰るのが定番でした。安くて、フワフワしていて、ちょうどいいんですよ。

……ほかは、どこ行ってたかな? 小さい頃のことは母の方が覚えていると思うので、今、電話して聞いてみていいですか?

―― 今、お母様にお電話を!?

その場にいたスタッフ全員:(笑)。


スタッフに確認後、お母様に生電話をする浦野さん

浦野:今、「SUUMOタウン」さんで地元に関する取材を受けているんだけど、小さい時ってどんなところ行ってたっけ? 神奈川県内の思い出、ある? ……え? うん、わかった。

―― なにか、浦野家の新情報は判明しましたか?

浦野:僕の両親が結婚式を挙げたのが、みなとみらいのランドマークタワー内にある「横浜ロイヤルパークホテル ニッコー(現:横浜ロイヤルパークホテル)」だったらしいです!

その場にいたスタッフ全員:(笑)。

浦野:思い出があるから、よく僕たちを連れて泊まっていたそうです。とくにお気に入りなのが70階にある「スカイラウンジ シリウス」。すごく落ち着いた雰囲気のレストランで、夜は夜景がきれいだし、朝は海を眺めながら朝食を楽しめて最高にハッピーな気分になるそうです。

―― (笑)。浦野家の大事な歴史とお母様のお気に入り情報、ありがとうございました!

ピアノコンクールで立った地元のステージの数々

―― 神奈川でご家族と仲良く過ごしてきた浦野さんですが、幼少期はどんなお子さんでしたか?

浦野:とにかく落ち着きがない子どもでしたが、両親が習い事に熱心で、いろんな体験をさせてもらいました。

―― これまで、どんな習い事を?

浦野:英語、合気道、サッカー、水泳など、たくさん習っていましたね。サッカーは2年間やっていました。僕はディフェンスだったんですけど、チームメイトが強くて。相手チームを攻めてるときに、僕だけ後ろで暇だったんですよね。試合中に、しゃがんで砂場遊びして、山をつくって遊んじゃって。母親がびっくりして、いつの間にか辞めさせられました。

―― 意外なエピソードですね。

浦野:でしょ(笑)。合気道は、稽古の前にみんなで瞑想(めいそう)するんですけど、それも目を瞑っていられずじっとしてられなくて。先生の後ろでうろちょろして怒られて、3カ月で辞めることになりました。
どれもなかなか長続きしなくて、水泳もダメでした。みんながレースしてるのに、縦じゃなくて横方向に泳ぎだして、先生にピーッ! って笛を吹かれて怒られて……まあ、とにかくマイペースな子どもでした。

―― そんな浦野さんが、唯一続けられた習い事があるそうで。

浦野:5歳から始めたピアノですね。最初は集中できなくてよく怒られていましたけど、神奈川県内のいろんなコンクールに出場して、大きなホールでも演奏しました。

―― どんなホールで演奏されたんですか?

浦野:「厚木市文化会館」や、「相模原市文化会館(相模女子大学グリーンホール)」ですね。
小学生の頃に出場したジュニア音楽コンクールでは、優秀賞をもらいました。その会場も、川崎市にある「前田ホール」ですね。人前で音楽を奏でる楽しさを神奈川で知りました。

―― レギュラー出演中の『ぽかぽか』(フジテレビ)でもピアノ演奏を披露されていましたね。

浦野:特技なんです。音楽に目覚めてからは、ピアノのコンクールで負けると悔しくて泣いてしまうこともありましたね。そんな日は、いつも家族が外食に誘って励ましてくれるんです。

―― 中でも、思い出のお店は?

浦野:とあるコンクールの帰りに寄った、「中国料理 璃宮」。ミスをして賞を逃して、落ち込んだときに連れて行ってもらいました。もう閉店してしまったんですけど、エビチリやエビマヨ、ごま団子がおいしいお店だったのを覚えています。

横浜アリーナから始まった芸能生活

―― 浦野少年がピアノにのめり込みながら、やがて芸能界を目指すようになったきっかけは何だったのでしょうか?

浦野:小学6年生の時に、母がある芸能事務所に履歴書を送ってくれて。合格通知が届いたんです。

そうそう。僕、芸能活動のスタートも神奈川なんです。小学生の時に、先輩のバックダンサーとして初めて立ったステージが横浜アリーナでした。

―― 芸能活動の第一歩が、いきなり横浜アリーナだったんですね。

浦野:そうなんです。 とにかく広いし、お客さんもいっぱいで盛り上がって、キラキラしていて。「芸能界でやっていこう!」と、まっすぐ道を決めた思い出の地というか、原点ですね。

―― 大舞台を終えた後、ご家族とはどんな時間を過ごされましたか?

浦野:横浜髙島屋の中のレストランフロアにある「鼎泰豐」とか「人形町今半」とかに行って、たらふく食べていた思い出があります。名店がいろいろぎゅっと入ってるんですよ。懐かしいですね。

始まりの場所にOWVとして立ちたい 目指すはFMヨコハマレギュラー

―― その後、オーディション番組の出演を経て、OWVとしてデビュー。「KT Zepp Yokohama」のステージにも立ちましたね。

浦野:やっぱり、デビューしてからアーティストOWVとして地元の大きな会場に立てたのは感慨深かったですね。

2021年、OWVとして初めての全国ツアーに神奈川公演があったんです。QWV(OWVのファンネーム)のみなさんが「おかえり!」とたくさん声をかけてくださって。凱旋公演だ……ってじんわりきたんです。

―― 帰ってきたぞ、という思いが込み上げてきたんですね。

浦野:はい。僕も思わず「横浜、ただいまー!」って呼びかけたんですけど、よく考えたらまだ実家だから、朝ちょっと移動しただけで基本ずっと地元にいる。メンバーからも突っ込まれたし、変な空気になっちゃいました(笑)。

―― 神奈川公演の差し入れは何を用意したんでしょうか。

浦野:「地元・神奈川らしいものを!」と思って僕も大好きな、「湘南チーズパイ」や「鎌倉せんべい」などをそろえましたね。親戚も来てくれたし、張り切って。

―― 地元の方はどんなふうに応援してくれましたか。

浦野:家族はもちろんよろこんでくれました。僕はデビューするまでが長かったけれど、芸能界に入ったのは早かったんです。だから地元の友達や同級生とはなかなか遊べなかったんですが、母親経由で「◯◯くんがおめでとうって言ってたよ!」とか、応援してくれる様子が伝えられることが多かったですね。

―― 直接の連絡ではないところも、みなさん少し気を使ってくれたんでしょうね。

浦野:そうかもしれないですね。成人式に参加した時は芸能のお仕事をしていたこともあって、同級生たちからたくさん激励の声をかけてもらいました。照れくさくて、すぐ帰っちゃったんですけど。

―― この春、OWVは5周年を迎えます。今後、浦野さんが地元で叶えたい夢は?

浦野:やっぱり、OWVとして大きな会場でコンサートがしたいですね。それこそ、最初に立った横浜アリーナとか。

個人的な野望は、FMヨコハマでレギュラーをもつこと。FMヨコハマのスタジオは、家族で何度も宿泊している「横浜ロイヤルパークホテル」と同じく、ランドマークタワーの中にあるんですよ。OWVとして何度かゲスト出演させてもらったんですけど、自分たちの番組がもてたらうれしいですね。

お話を伺った人:浦野秀太(うらの しゅうた)

1997年生まれ、神奈川県出身。日本最大級のオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN」の元練習生4名で結成されたボーイズグループ・OWVのメンバー。特技はピアノ。結成5周年記念ライブ「SUPERNOVA」が2025年4月6日(日)に幕張メッセで開催予定。OWVとして3枚目のアルバム『Supernova』が4月9日(水)にリリース予定。

編集:ピース株式会社

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