北海道・小樽に関する歴史や魅力、独自の風習について、作家・文献学者の山口謠司さんが語った。
この内容をお届けしたのは、J-WAVEのワンコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。放送日は2025年8月25日(月)〜8月28日(木)。同コーナーでは、独自の文化のなかで育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口さんが解説する。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが実際に小樽を訪れ、そこで営む人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
積丹半島近海で獲れるバフンウニ
北海道の美しい湾岸都市である小樽。北の商都として明治時代以降発展してきた小樽には、レトロかつロマンチックな歴史的建造物が現存している。そして小樽港や小樽運河を中心に近代化してきた歴史を有する。もちろん美味しい海の幸が豊富だ。
山口:北海道・小樽で学ぶお金と旨さ。夏のウニと日本銀行というお話をしたいと思います。ウニの味って、うわっと口の中に海が押し寄せるような濃厚な味ですよね。旨さという言葉がぴったりな味だと思います。
小樽はかつて北のウォール街と呼ばれたところです。明治、大正、昭和初期の北海道経済の中心地です。ウニ、ニシン、そしてスケトウダラという海の旨さ。これが北海道の経済、ひいては日本の海運業などの産業を大きく育てたところなんですね。経済を動かすための拠点だった、そこが小樽なんです。それをわかりやすく表しているのが、今の小樽市内にある堺町通りというところです。
この堺町通り沿いには、日本銀行旧小樽支店金融資料館が立っている。
山口:もともと日本銀行小樽支店だったところです。この建物、明治45(1912)年に竣工されました。建物は、厚さ90センチの石造りの壁、天井の高いホールで、まるで財宝を守る要塞のような佇まいをしております。ここがただの銀行ではなく、信用を守る砦だったということを物語っているようです。
中に入ると、貨幣の歴史や偽札の見分け方、それから日銀が果たす役割などのパネルがずらりと並んでいます。そして、グッと目を引くのが金庫室です。中に入ることができますが、今もそのまま残る巨大な金庫室に入ると、天井の高いコンクリートの空間に自分の声が反響します。
金の延べ棒のレプリカや一億円分のお札が置いてあり、それを持ち上げられるようになっています。これがずっしりと重いんです。この重さはまるで国家の信用そのものを手にしているような気がします。
山口さんは「夏の小樽といえば、やっぱり海ですよね」と話す。
山口: 6月から8月にかけて特に水揚げされるのが、積丹半島近海で獲れるバフンウニ。色はオレンジがかった濃い黄色。とろりと溶けてほんのり甘く、そして塩気がたっぷり。小樽のお寿司屋さんで握りを一貫つまんでみてください。金の延べ棒より価値があると思うかもしれません。
ウニを頬張りながら思いました。お金って、何なのか?と。お金はものではなく、信用・信頼ですよね。この自分のお財布の中に入っている紙切れ1枚で、あるいは円という数字の羅列でウニを頂くことができるという約束事。日銀が発行しているお札には、その信頼を支えるための大きな仕組みがあるんですね。でも、私たちが手にする味わい、そして体験、これこそが本当の価値そのものなのではないでしょうか。
例えば東京から小樽に行くためには、いろんな準備をしなくてはなりません。でも、自分で手間暇をかけた行動が、夏のウニの美味しさをさらに美味しく感じさせてくれることになるんです。旧日本銀行小樽支店の建物は、今も使える空間として市民に愛されています。ここに訪れれば歴史そのものを、味わうことができるのです。
小樽港にて朝食す
山口さんは取材に出かける度に、手書きで日記をしたためているそうだ。
山口:皆さん、日記つけていらっしゃいますか。書くとなると字が浮かんでこなかったり、いざノートの前にペンを持つといきなり書けなくなってしまう。「タイプライターだったら上手くいくのに、書くとなると何で難しいんだろうな」。こんなことを考える方も多いかもしれません。
明治から大正、昭和初期に活動した教育者・小樽の先生だった稲垣益穂という方がいらっしゃいます。当時の小樽区稲穂尋常高等小学校、今現在は小樽市立稲穂小学校という風になっておりますが、そこの校長先生をしていらっしゃった方でした。その稲垣さんは、毎日、日記をつけていたそうです。
非常に筆まめな方で、明治29(1896)年から亡くなる直前の昭和10(1935)年まで、ほぼ毎日欠かさず日記を書いていらっしゃるんです。今、この日記は小樽市総合博物館に保存されています。そして、ボランティアの方や職員さんの力によって翻刻され、出版されているんです。
稲垣益穂の日記の中には「小樽港にて朝食す」と書いてあるところがあった。
山口:朝ご飯をいただかれたということですね。小樽というところは働く港でした。そして、その働く人たちの胃袋を支えていたのがニシンと昆布です。そしてもちろんお米でした。
でも、その当時、まだ北海道ではそれほど多くのお米が収穫されていません。寒いので、お米はまだまだ貴重な食料だったんです。北前船で北陸、越後から運ばれてきた大切な食料でした。
そんな小樽では「おたる運河ロードレース大会」というのが毎年開かれる。
山口:地元の人なら誰でも知っている恒例の大会です。運河沿いから北の防波堤までをかすめ、天狗山の麓へと抜けるコースです。いわば、小樽という地形をまるごと体でなぞることができるコースですね。
小樽には、稲垣益穂が校長を務めていた稲穂小学校を卒業して、1920年、オランダ・アントワープで開かれたオリンピックにマラソンで出場した選手がいます。八島健三という人です。このアントワープで行われたオリンピックに出場し、世界第21位に輝いた選手です。北海道出身者として初のオリンピック選手。そして、明治大学に進み、1923年から1928年まで、箱根駅伝に6年連続出場。5年間区間賞を獲得しています。
実は現在行われているおたる運河ロードレースは、八島の力を検証するために始まった大会だったそうだ。
山口:毎年行われるこのロードレースのゴール地点、海の見える丘には炊き出しのテントが出ます。大きな鍋で煮込まれているのは、地元の海の恵みで作る三平汁。魚介の塩と油の効いた甘み。お母さんの味です。
毎週のように僕はどこかに取材へと行かせていただいて、毎日、日記を手書きで書いているんですけども、現在約480枚。書いていると楽しいんです。現地に行って感じたこと、それを帰ってきて思い返しながら、そして調べ直しながら書いていくと、行く前に考えていたこととは全く違う話になってしまいます。そしてつくづくいろんなことを学ばせていただいたなと思います。
ジャガイモで作られるオブラート
小樽には北海道で唯一、日本で見ても数少ないオブラート専門の工場がある。
山口:伊井化学工業という株式会社の工場です。今でも鹿児島名物のボンタンアメはオブラートで包まれていますね。オブラートって何から作られているかご存知ですか。ジャガイモの澱粉なんです。お薬をオブラートに包んでもらって、お母さんからポンとお口の中に入れてもらったことってありませんでしたか。
伊井化学工業の創業は昭和17(1942)年。今でもオブラートの原料は羊蹄山山麓で作られるジャガイモの澱粉100パーセントです。それに菜種油と大豆レシチン。これも北海道で作られる天然素材100パーセントです。
澱粉を40度のお湯で溶いて、菜種油を加えて、100度の熱蒸気を注いでのり状にします。幅180センチの回転式蒸気乾燥ドラムにこの原料をかけ流して、95度の温度で蒸気乾燥をさせると原紙ができるそうです。これをお菓子用とお薬用に分けて裁断すると、オブラートになるんですね。
北海道原産のジャガイモというと、なんとなく我々ポテトチップスを思い浮かべてしまいますが、ジャガイモはそれよりも見えないくらい薄い膜となって人を守ってくれているんですね。
オブラート、半透明、見えるような、見えないような……オブラートに包むという言葉がありますが、人は言葉を、思い出を、感情を、少しだけ柔らかくして包んで伝えることがあります。小樽という町も、そんな何か過去を優しく包んでくれる町のような気がします。
「PLENUS RICE TO BE HERE」は、『STEP ONE』で11時40分-50分にオンエア。ポッドキャストでも配信している。
(構成=中山洋平)
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