コラム:ドル/円上昇シナリオの現実味、凪相場上抜けの条件は=内田稔氏

 9月17日、米連邦公開市場委員会(FOMC)は政策金利の引き下げを決定した。内田稔氏のコラム。写真は4月25日撮影(2025年 ロイター/Dado Ruvic)

[東京 30日] – 9月17日、米連邦公開市場委員会(FOMC)は政策金利の引き下げを決定した。ただ、ドル/円は発表直後こそ145円台半ばまで急落したが、その後は持ち直しに転じ、150円目前に迫る場面もみられた。日米の金融政策の方向が異なる中で、ドル/円が150円を明確に上抜けする可能性はあるのだろうか。本稿ではこれまでの円安の要因や米経済の現状を整理した上で、ドル/円が上昇するシナリオの現実味や必要な条件を検討する。

<依然として弱い円>

年初来、円は主要通貨の内、スウェーデンクローナを筆頭に、ノルウェークローネ、ユーロ、スイスフラン、英ポンド、豪ドルに対して下落している。利上げ時期を模索する日銀とは対照的に、これらの国・地域では政策金利が引き下げられている。このことから、円には金融政策の格差では跳ね返すことのできない下落圧力が加わっていると考えられる。

その一因に、名目金利からインフレ率を差し引いた実質金利の低さが挙げられる。政策金利、2年物国債利回り、長期金利から消費者物価指数の実績値を差し引いた日本の実質金利はどれも諸外国より低く、水準もマイナス圏に位置している。年初来、この実質金利は実はほかのどの国や地域よりも上昇しているが、為替相場には実質金利の「変化」よりも「水準」の方が強く影響しているようだ。

このほか、依然として赤字が続く貿易収支やサービス収支に加え、活発な対外直接投資なども需給面からみた円安要因とみられる。このうち貿易収支について言えば、日米関税交渉の合意事項が忠実に履行される場合、対米輸入の拡大により、再び赤字額が10兆円規模に膨らむ可能性もある。また、外貨準備の活用や米ドル建て融資などによって、基本的に円売りが発生しないとされる最大5500億ドルの対米投資を巡っても、円売りが完全に排除されるわけではないだろう。

<日銀、利上げの引き金は「円安」>

こうした中、日銀は9月の金融政策決定会合にて政策金利の据え置きを決めた。しかし、2名の審議委員が反対した上、上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(REIT)の売却開始も決めるなど、着実に正常化を進めつつある。金融緩和度合いを調整するとの従来からのスタンスを維持しており、29日には野口審議委員も早期利上げに前向きな見解を示した。日銀はいずれ追加利上げを決めよう。マイナス金利解除を除けば、過去2回の利上げはいずれも「経済・物価情勢の展望」が公表される会合だった。その例に従えば、次なる利上げは早ければ10月、遅くとも来年1月と考えられるが、円安が進む場合、12月会合で利上げが決まる可能性もあるだろう。もっとも、インフレ率がよほど低下しない限り、次の利上げを以てしても日本の実質金利はマイナス圏にとどまる。「変化」よりも「水準」が強い影響を持つのであれば、次なる利上げが円相場の反転を招く可能性は低い。

<クロス円上昇が示唆するもの>

ここで改めて諸外国の金融政策やクロス円をみておこう。まず、中立金利付近まで利下げを終えた欧州中央銀行(ECB)はしばらく様子見の構えだ。スイス国立銀行(SNB、中央銀行)も政策金利をゼロパーセントまで引き下げ、一旦利下げは一巡したと考えられる。予想に反して9月に利下げを決定したスウェーデン中銀(リクスバンク)も当面の据え置きを示唆した。利下げ局面を脱したこれらの国や地域の通貨は、円に対する騰勢を強めている。例えば、ユーロ円は9月に年初来高値を更新し、昨年夏場の高値に迫った。スイスフラン円もやはり9月に史上最高値を更新している。スウェーデンクローナに至っては、年初来約12%も上昇している。

こうしてみると、いつしか米連邦準備理事会(FRB)の利下げ打ち止めが意識される局面が訪れた際、ドル/円が上昇していくシナリオも当然ある。そこで、以下で米経済の現状をみておこう。

<米労働市場の悪化に歯止めはかかるか>

実質国内総生産(GDP)成長率の推計値を週次でアップデートするウィークリーエコノミックインデックス(ダラス地区連銀)によれば、9月25日時点で米経済は2.1%成長を維持している。算出に用いられる10種類のデータの内、小売売上高(レッドブックリサーチ)をみると、9月分もおおむね好調を維持している。第3・四半期の実質GDP成長率も第2・四半期に続いて米経済の底堅さを示す公算が大きい。その個人消費は、株高による資産効果に支えられている。ここから見込まれる複数回の利下げを支えに、株式相場が堅調に推移する限り、個人消費も底堅さを維持しよう。

インフレを巡っては、関税の影響が表れ始める可能性がある上、サービス価格のインフレ率も高止まりしている。一方、労働市場の悪化が続いており、これが利下げ再開の引き金になった。コンファレンス・ボード(CB)の景気先行指数も低下し続けており、米経済の先行きに楽観は禁物である。とは言え、過去半年にわたり景気先行指数を押し下げてきたのは、消費者ビジネス期待指数と新規受注指数である。どちらも関税を含むトランプ政権の政策の不透明感が影響してきた可能性が高い。その点、関税交渉を巡っては日本や欧州連合(EU)との合意が既に成立した。10月末には米中サミットが持たれる予定だ。11月10日の米中関税交渉の期限到来を前に、ビッグディールが成立するかも知れない。仮に政策を巡る不透明感が解消すれば、企業の採用活動が回復する可能性もある。労働市場の悪化傾向に歯止めがかかり始めれば、市場では利下げ局面の終わりが意識されやすく、ドル高・円安が進みやすくなりそうだ。

<慎重さ要するドル高シナリオ>

以上を踏まえると、ドル/円は円の弱さに支えられ、底堅く推移しそうだ。9月雇用統計が予想の範囲内であれば、150円の大台を回復する可能性も十分だろう。ただ、ドル/円上昇シナリオにはまだ落とし穴も少なくない。

目先について言えば、今年も米政府機関が閉鎖されるおそれがある。材料としての新鮮味に乏しいが、会計年度末までに議会が新しい予算案を承認できない事態が繰り返されており、最悪の場合、格下げに発展するリスクがある。米国の労働市場に関しても、足もとでは求人件数が失業者数を下回り始め、失業率の上昇が加速するとの指摘もある。また、何らかの要因で株式相場の騰勢に陰りが生じれば、それは個人消費の冷え込みにつながる。

さらに関税を巡り、国際貿易裁判所、連邦控訴裁判所に次いで連邦最高裁も「違憲」判決を示した場合、関税収入が絶たれ、7月4日に成立した大型減税法案に伴う財政悪化に再び焦点が当たる。トランプ政権が異なる根拠法を持ち出すにせよ、市場の混乱とドル安は不可避だろう。早ければ年内ともされる判決が待たれる。

このほか、インフレ率の実績値に代えて10年物ブレークイーブン・インフレ率を用いて算出すると日本の実質長期金利がプラス圏に浮上してきた。円安に歯止めがかかり始める可能性もある。

こうしてみていくと、ドル/円上昇シナリオが実現するためには、米政府機関閉鎖を巡る混乱の沈静化、米労働市場の好転(または、少なくとも悪化の一服)、関税に対する合憲判決、日本の財政拡張によるインフレ期待の高まりなど複数の条件が要る。そのシナリオは確かに存在するが、まだ採用には慎重さも求められそうだ。

編集:宗えりか

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*内田稔氏は高千穂大学商学部教授、株式会社FDAlco外国為替アナリスト、公益財団法人国際通貨研究所客員研究員、証券アナリストジャーナル編集委員会委員、NewsPicks公式コメンテーター(プロピッカー)。慶應義塾大学卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、マーケット業務を歴任。2012年からチーフアナリストを務め、22年4月から高千穂大学商学部准教授、24年4月から現職。J-money誌東京外国為替市場調査では2013年より9年連続個人ランキング1位。国際公認投資アナリスト、日本証券アナリスト協会認定アナリスト、日本テクニカルアナリスト協会認定テクニカルアナリスト、経済学修士(京都産業大学)。YouTubeチャンネル「内田稔教授のマーケットトーク」では解説動画を公開している。

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