2019年夏、甲子園出場をかけた岩手県大会での出来事は、野球界に大論争を巻き起こした。注目を集めた大船渡高・佐々木朗希投手(現・ドジャース)が、花巻東高との決勝戦の登板を回避したのだ。その佐々木に代わって先発マウンドに上がったのが、同じ3年生の右腕・柴田貴広投手だった。現在、総合不動産企業のオープンハウスグループで営業職を務める柴田さんが、「あの夏」と、「その後」を語った。《NumberWebインタビュー全3回の初回/第2回、第3回に続く》
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営業マンとして奮闘する現在
“あの夏”から6年。柴田さんは現在、オープンハウスグループ開発事業部の営業職として千葉県を中心に飛び回っている。担当しているのは、土地の仕入れ。猛暑の中、不動産業者への“外回り営業”に奮闘する毎日だ。
「自分たちが野球をやっていた時より暑いので、今の高校球児は本当に大変だなと思いながら歩いています」
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大船渡高を卒業後は、大東文化大に進学して野球を続けた。大学卒業後の昨年春に入社し、社会人2年目。スーツ姿もすっかり板についてきた。営業先では、「佐々木朗希の代わりに投げた……」と自らネタにすることも。“あの夏”について取材を受ける機会も増えたが、特段身構えることもなく、ポジティブに高校時代を振り返っている。
「5年以上経っていますから、時間が解決、っていう感じです。ヤフコメとかを見ると、『あの時のトラウマを……』と(同情的に)書かれていたりするんですけどね。個人的に、今でも申し訳なかったという気持ちはありますけど、それが辛くて野球が出来なくなったということはない。そこまで心配していただかなくても大丈夫です」
朗らかにそう話し、前を見据えた。
入学当時の朗希は「バケモンみたいなもんです」
柴田さんが大船渡高に入学したのは2017年のことだ。県立高校の野球部に集まった同学年の仲間は、マネージャーを含めて23人。狭い地域で小さい頃から野球の大会で見知った顔ぶれだった。
「みんな少年野球から知っている感じ。ぼくの中学校(綾里中、現在は閉校)は正直すごく田舎なので自分を含めて3人しかいなかったのですが、朗希(大船渡一中)の同級生は大半を占めていた。朗希がみんなに『大船渡高で一緒にやろう』と声をかけて集まった、そんなメンバーでした」
中学時代まで、柴田さんにとって佐々木は「対戦相手のスゴいやつ」。ただし、その頃佐々木が成長痛の影響であまり登板していなかったこともあり、見ていたのはもっぱら「打者」としての姿だった。初めて佐々木が投げているところを目の当たりにしたのは高校入学後のこと。その迫力に、度肝を抜かれた。
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