能登町鵜川は海の町

能登中心部から離れた鵜川

今の主力産業は定置網漁

日の出大敷・中田洋助さん

現在、能登町鵜川の主力産業は定置網漁です。日の出大敷網の中田洋助さんの事務所は、最後に9基のにわかが集まる海瀬神社の前にあります。その中田さん、能登半島地震があった2024年元日に様々な被害を受けましたが、倒壊家屋が道を塞ぎ、断水・停電の状況にも関わらず1月7日には漁を再開したのです。中田さんの言葉からは「鵜川を支える」という強い意志が伝わりました。

震災の町に交流スペースを作る計画が

更地を案内してくれた

日本財団「憩いの家」PJ

鵜川にも建設する計画

空き地だらけになった鵜川に、中田さんが中心となって新しい交流スペースを建設することになりました。日本財伝の災害対策事業「みんなの憩いの家プロジェクト」に手を挙げたのです。鵜川には食堂がありません。「鵜川みんなの番屋」(仮称)と名付けるスペースでは、例えば魚介ラーメンなど鵜川で獲れる魚介料理を提供して地元住民の集う場所を作ると共に、観光客も呼び込みたいと考えているそうです。

祭り当日 夕方には「ヨバレ」も

勢揃いした「にわか」9基

夕方には神出組のヨバレが

親戚や知人をもてなす習慣

祭り当日の夕方。「見卸しの浜」には、各町会のにわか9基が勢揃いしていました。にわか祭りの本番は午後9時から。神出町のテントでは町の人達や親戚縁者をはじめ、祭りをサポートするマツリズムのメンバー達も招いてもてなす「ヨバレ」が行われていました。ヨバレは能登のキリコ祭りに伴うもてなしの風習で、本来は持ち回りで自宅で行いますが、能登半島地震で倒壊した家屋も多いことから、更地にテントを張って行うことにしたそうです。前日・当日の協力に感謝する町の人達が飲食を振る舞いますが、大原さんたちマツリズムメンバーにとっても、鵜川の風習や祭りの伝統を聞ける貴重な機会となった様でした。

そして・・・

 

花火と共に「にわか祭り」がスタート!

見卸しの浜で盛大な花火が

21:00から勇壮な祭りが始まる

海瀬神社前に揃った にわか

午後8時45分、見卸しの浜に勢揃いしたにわか奥の海に盛大な花火が打ち上がりました。花火が終わる午後9時からが勇壮な鵜川にわか祭りの本番です。9町会が魂を注ぎ込んだ色とりどりの山車が、震災の町を駆け巡ります。にわか祭りの山車は中央に一対の車輪があり、それを担ぎ手達がスピードを上げて引き回す祭りなのです。

「ヤッサイ! ヤッサイ! ヤッサイ!…」

力強い掛け声が、夜の鵜川に響き渡ります。そして午後11時頃、すべてのにわかが海瀬神社に集結するのです。奥能登のキリコ祭りの中でも特異な鵜川にわか祭り。来年も9基のにわかが出揃うことを願っています。

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