今夏のE-1選手権で日本代表デビューを飾った川崎フロンターレの大関友翔(20歳)。ルーキーイヤーにほとんど出場機会をつかめず、昨季J3の福島ユナイテッドFCでプレーした大関は、なぜ短期間のうちに急成長を遂げることができたのか。「福島に行ってそれをより一層、リアルに感じたんです」。サッカー選手として覚醒した俊英の“意識改革”とは。(全3回の2回目/#1、#3へ)

「目に見える結果が本当に大事」鬼木達の金言

――何かを変えないといけない。

 2023年、冬。

 プロ1年目を終えた大関友翔は強い決意を抱いていた。

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 ルーキーイヤーだったこの年、公式戦の出場はわずか1試合に終わっている。

 同期入団であるCB高井幸大、SB松長根悠仁、MF名願斗哉が春にプロデビューを果たしていく中、何が足りないのかを自らに問いかけながら、試行錯誤する日々を積み重ねていた。だが夏が過ぎ、秋が訪れても出番が巡ってくることはなかった。

 自信がなかったわけではない。むしろ、チームの練習でもやれている手応えがあった。それでも試合には出られない現実が立ちはだかっていた。

 初めて公式戦のピッチに立ったのは12月のこと。シーズン最終戦となるACLの蔚山現代戦、韓国の地で13分ほどプレーをしたのがプロデビューとなった。

 全くと言っていいほど試合に絡めないまま、1年目が終わった。何かを変えないといけない。そう強く決意するのは必然だった。では、何を変えるのか。

 環境が変わることはすでに決まっていた。翌年から、J3リーグの福島ユナイテッドFCに育成型期限付き移籍でプレーすることになっている。

 頭の中には、ある言葉が巡っていた。

 それはまだU-18の頃、トップチームのキャンプに参加した際に、当時の指揮官である鬼木達から授けられたアドバイスだった。

「もっとゴール前に入っていくプレーを増やした方がいい。プロになったら目に見える結果が本当に大事になっていくから」

 結果とは、「アシスト」に加えて「ゴール」のことも意味していた。

 ユース時代の大関は、ビルドアップを円滑に進めるゲームメークをこなし、鋭いスルーパスでFWにゴールを取らせるボランチだった。チャンスを演出する側であり、自らが積極的にゴールを奪う場所に入っていくタイプではなかった。

 うまいプレーは必要だが、うまい選手は自分以外にもたくさんいるのがプロの世界である。より高く評価されるのは、目に見える結果を出し続ける選手だった。

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