地域経済を支える企業や業界をリードする人々にも新人・若手時代があり、誰もが失敗や苦労を乗り越えてきた。愛媛の経済人に成長のきっかけとなったエピソードなどを語ってもらう「私のスタートライン」。今回は、松山市で事業を立ち上げたファインデックス(東京)の相原輝夫社長が、若手時代の経験などを振り返る。愛媛新聞ONLINEでは「駆け出し時代の記憶」と「未来を担う世代へ」の2部構成で、相原さんへのインタビューを一問一答形式でご紹介する。

【あいばら・てるお】
 1966年生まれ、松山市出身。愛媛大卒。1990年に大手電機メーカー入社。1994年にパイオニア四国(現ファインデックス)で医療システム開発事業を立ち上げ、現在まで代表取締役社長を務める。

【ファインデックス】
 1994年、前身のパイオニア四国として松山市で医療システム開発事業を開始。1998年にピーエスシーへ商号変更し、2014年に現社名となった。松山市に置いていた本社は2015年に東京・松山の2本社体制とし、2017年に東京へ一本化。従業員数331人(2025年4月1日時点)。通年採用を実施しており、新卒の入社月は卒業後1年以内の4、8、10、2月から選択可能で、2025年度の新卒入社は6人。2024年度の離職率は5.6%、平均勤続年数は7年。2024年12月期連結決算の売上高は58億4100万円。2011年に株式上場し、2022年から東証プライム市場。

 

駆け出し時代の記憶

 

若い頃の経験を振り返った相原さん

相原さんは、愛媛大学教育学部の技術教育課程を卒業後、大手電機メーカーへ就職したと聞いています。愛媛大教育学部へ進学した理由を教えてください。 やはり地元の大学というのが一番の理由です。その中で教育学部の技術教育課程は、例えば電機や設計とか、金属加工、木材加工とか、1つの学部では学べないような幅広い知識を学べるところだったんです。だから、そこを選びました。

大学時代の就職活動で重視したことを教えてください。また大手電機メーカーにはエンジニアとして就職したそうですが、なぜその道を選んだかも聞かせてください。 僕らの(就職活動の)ときは、超売り手市場だったんですよ。バブル(経済)がまさにぐっと上り詰めていく最中だった。

 僕はずっと昔からそうだし、大学を選ぶときもそうだったんですけど、何かモノをつくる。その「モノ」というのは物理的なものだろうが、形があろうがなかろうが、何かを創造していく。そういうクリエーティブな活動に・・・

WACOCA: People, Life, Style.