1つひとつの施設や企業、個人が“閉じていく”のではなく、それぞれが街に“ひらいていく”開発で新たな彩りを取り戻した、長門湯本温泉。地域全体がつながり合い、住民から観光客まで様々な人が交差する街は、どのように実現したのだろうか。
独占型の温泉地を脱し、多様な人々が交差する街に
開湯約600年と山口県で最古の歴史を持つ、長門湯本温泉。立ち寄り湯〈恩湯〉を中心に、音信川沿いをそぞろ歩く人で賑やかな温泉街には、危機的衰退からのユニークな再生の物語がある。
曹洞宗・大寧寺の定庵禅師が住吉大明神からのお告げで発見したと伝わる共同湯〈恩湯〉。お湯の湧き出る岩盤には神像が鎮座。建物が泉源の真上に建ち、浴槽下から空気に触れていない源泉が湧く。
昭和の観光ピークを経て、バブル崩壊した温泉街に激震が走ったのは、150年続いた老舗ホテルが廃業したときだった。2014年のこの衝撃的な出来事をきっかけに、街は一致団結。行政任せにするのではなく、民間企業、住民に専門家も交えて、16年、温泉街の再興を目指す「長門湯本みらいプロジェクト」を始動させたのだった。
橋の向こうに見える平屋が街のシンボル〈恩湯〉。
官民連携による地域再興も特別だが、ここからの実行力も、また凄まじい。なんと、街は自ら〈星野リゾート〉を招致し、20年には〈界 長門〉が誕生。〈恩湯〉の再建、川沿いの整備や夜のライトアップなど、温泉街全体のリノベーション構想から彼らに委ねると同時に、それぞれが連携してワークショップや意見交換を重ねながら、街づくりを推し進めていくという、これまでに類のない開発となった。
〈柳屋〉で名物の瓦そばを。
建物は70年前の旅館の社員寮を改装。
このプロジェクトの根底には、一企業が利益を独占するのではなく、長期的な視点で地域全体の価値を高め、街に配分していくという“ステークホルダーツーリズム”の考え方がある。施設単体に始終するのではなく、温泉街全体としての活性化を目指すことは、その場しのぎでない持続可能な街を実現し、様々な地域課題の解決にもつながる。
大阪から移住した夫妻によるブルーパブ〈365+1 BEER〉。
実際、リニューアルが進む中で、他県からの移住者が増えたり、新しい飲食店がオープンしたりと、街は豊かに息を吹き返したのだった。かつて地元の人と団体旅行の高齢者しか見かけなかった温泉街には、子連れの家族や女性グループ、若いカップルまでが加わり、多彩な人々が行き交う場所になった。
〈365+1 BEER〉の店先で長門産のクラフトビールを楽しむ旅行者たち。「湯」は昔の〈恩湯〉に掲げられていた看板。〈恩湯〉や長門市の飲食店などでも、ここのビールを楽しめる。
また、長門湯本が特別なのは、観光地としての側面と、そこに暮らす人たちがうまく融合していることだ。それは、観光客向けの土産物店が軒を連ねる、画一的な観光化とはわけが違う。温泉街のポテンシャルを生かしながら、住民と観光客とが自然に交流できるよう街にそっと手を添えるかのような開発であるからだろう。
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