欧州委員会が2025年7月に提案した40年の温室効果ガス削減目標について、欧州連合(EU)理事会で議長国を務めるデンマークは、9 月18 日開催予定の環境大臣会合での採決を見送った模様である。9月12日、米政治サイトのポリティコなどが報じた。加盟国間の合意形成が難航したことが背景にあるとみられる。

COP30までに「暫定目標」を提出へ

2025年下期にEU議長国を務めるデンマークのメッテ・フレデリクセン首相(右)と欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長(右から2人目)(写真=Simon Wohlfahrt / Bloomberg via Getty Images)

2025年下期にEU議長国を務めるデンマークのメッテ・フレデリクセン首相(右)と欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長(右から2人目)(写真=Simon Wohlfahrt / Bloomberg via Getty Images)

 欧州委員会が提案した目標は、40年の温室効果ガス削減目標として排出量を1990年比で90%削減するもの。11月に開催される気候変動枠組み条約第30回締約国会議(COP30)に向けて、パリ協定の締約国に提出が求められている2035年の温室効果ガス削減目標(NDC)を取りまとめるベースとなる。

 気候変動を巡る国際交渉において、EUによるリーダーシップが低下することも懸念される。ただ、9 月16 日付けのロイター報道によると、EUは国連に対し「暫定的な意向表明」として35年時点に1990年比で66.3~72.5%削減する暫定的な意向表明(statement of intent)を通知する方向で調整しているという。そうであれば、「白紙状態」や「目標撤回」と受け止められる事態は回避されそうだ。最終決定は10月23~24日に予定される欧州理事会(首脳会議)以降に先送りされる見込みである。

 主要な加盟国間では、40年目標そのものを否定する国は少ない。とはいえ、温室効果ガスの削減が「産業・家庭に与える影響」や「(影響を緩和する策としての)制度設計の柔軟性確保や補償拡充」の観点で立場が割れている。特に国内の政治基盤を補強する必要に迫られるフランスに加え、イタリアや中東欧諸国(ポーランドやハンガリーなど)は、排出削減に伴うコスト負担への懸念から、柔軟性の確保や補償拡充の要求を強めている。

 北欧諸国やスペインは、温室効果ガス削減の厳しい目標を掲げる「野心」を維持することを求めている。またドイツは、欧州委員会が40年目標とともに提案した、国際クレジットの利用を認める措置を含めて支持している。36年以降、1990年のEUの純排出量の3%相当をパリ協定6条に基づく高品質な国際炭素クレジットで代替することを認める措置で、域内産業による脱炭素化の負担や社会的反発を緩和する策として盛り込まれた。

 フランスは直近の首相辞任や議会分断などによる政局不安、エマニュエル・マクロン大統領の求心力低下を背景に、国内の政治基盤を補強する必要に迫られており、イタリアや中東欧諸国寄りの姿勢に転換している。EUとの交渉の場では、「国益を守る姿勢」を示すことが国内向けの政治的メッセージとなる。そのため、今回、意思決定を首脳レベルに引き上げる(最終決定を10月の首脳会議に延期する)ことを主張し、原子力の制度的安定化や炭素クレジット枠の拡大といった要求もより強く前面に打ち出した。

 こうしたことから今回の遅延は、削減目標の数値を巡る技術的論争というよりは、加盟国それぞれの国内政治状況が強く反映されたものと言える。今後の首脳会議での妥協は、加盟国の国内事情を吸収する形で柔軟性の上乗せや基金拡充を伴う「政治的取引」として提示される可能性が高い。

10月に最終合意へ、クレジットや原子力に商機も

 10月に見込まれるEU首脳会議での合意について、最も実現可能性が高いのは40年90%削減の枠組みや厳格性を維持しながら、加盟国からの抵抗や慎重な意見を抑え込む様々な政策パッケージを組み合わせる「包括的なシナリオ」である。

 具体的には、(1)国際クレジットの利用枠を現行案の上限3%から限定的に(例えば5%などに)拡大する一方でEU独自にクレジットの「品質」に関する基準を強化する、(2)既存の社会気候基金などを拡充し、中東欧のさらなる負担緩和措置を提示する、(3)原発について「低炭素技術の一部」として明文化し、産業支援の対象に確実に含める――といった政策との組み合わせが考えられる。

 このうち原子力発電については、加盟国間の対立(ドイツ、オーストリア、ルクセンブルクなどの反対)や、使用済み燃料廃棄物の処理など未解決な論点がある。そのため、サステナブル投資の対象となる経済活動を定義する制度「EUタクソノミー」において「無条件のグリーン技術」に位置づける合意を得るのは難しいだろう。ただ一方で、ドイツ政権がEUにおいて原子力を再生可能エネルギーと同等に扱うことに異議を唱えない意向を示したとの報道(5月20日付けロイター)や、東欧諸国など域内で原発の新規増設や寿命延長の機運が高まっていることを踏まえると「低炭素技術の一部」として明文化し、産業支援の対象に含める可能性は高まっていると言える。

 日本企業にとっては、EUの40年目標を巡る妥協は、最終合意がなされるまでは不透明感が市場のボラティリティを高めるリスクとなる一方、炭素クレジット市場や原子力分野などでは機会になることも期待される。いずれにしても制度の方向性が固まることで、欧州市場での脱炭素関連ビジネスはいっそう拡大することが期待される。

岩坂 英美(いわさか・えみ)
SMBC日興証券金融経済調査部サステナビリティ・リサーチ室
シニアESGアナリスト

岩坂 英美(いわさか・えみ)
東京大学経済学部卒業、コロンビア大学Graduate School of Arts and Sciences(計量社会科学専攻)修了。2012年内閣府入府、中長期マクロの調査・分析や政府経済見通しの作成等を担当。2019年~2023年成城大学経済学部非常勤講師。2020年より伊藤忠総研にて欧州政経情勢に加え、脱炭素関連調査を担当。2024年8月より現職。エコノミストとしての経験を活かし、データに基づいた分析を行うとともに、足元の政経情勢から今後の政策方向性を読み解くことを心がけている。

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