ウクライナとの停戦に応じようとしないロシア。その政権内部には綻びが出始めている。拓殖大学客員教授の名越健郎さんは「プーチン大統領は信頼していた側近に裏切られた。ナンバー2が不穏な動きを見せるなど足元が揺らぎつつある」という――。


ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(2025年9月8日)

写真提供=©Vyacheslav Prokofyev/TASS via ZUMA Press/共同通信イメージズ

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(2025年9月8日)



プーチンの最も忠実な側近がウクライナ停戦を直訴

8月15日の米アラスカでの米露首脳会談後、ウクライナ和平交渉が動き出すかにみえた。しかし、プーチン大統領は「紛争の根本原因除去が必要」と開き直り、一向に歩み寄る気配はない。戦場で優位に立つロシアは戦争継続を望み、時間稼ぎをしているだけのようだ。


「プーチンの戦争」を止めるには大統領自身の翻意が必要だが、戦争が泥沼化する中、政権内部で停戦を求める声も浮上し始めた。この戦争は、外交舞台や戦場で終わらせることはできず、クレムリン中枢の決断がかぎを握る。


米紙「ニューヨーク・タイムズ」(8月10日付)は、プーチン氏の最も忠実な側近の一人、ドミトリー・コザク大統領府副長官(66)がウクライナ戦争の停戦と和平交渉実施を大統領に直訴したと報じた。


「祖国への功績」勲章を授与されるドミトリー・コザク氏(2014年3月24日)
「祖国への功績」勲章を授与されるドミトリー・コザク氏(2014年3月24日)(写真=Kremlin.ru/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)


同紙によれば、政権内でウクライナ政策を担当するコザク氏は2022年2月24日に侵攻する前から、ウクライナ軍の抵抗を理由に開戦に反対していた。昨年と今年も個別にプーチン氏に会い、戦闘停止と和平交渉開始のほか、治安機関を政府の監督下に置くことや司法制度改革を促したという。事実なら、強硬路線を否定し、民主化と改革を求めたことになる。


開戦直後、一部の幹部が侵攻を批判したことがあったが、軍を侮辱する行為を禁止する刑法改正以降、政権中枢から反戦論が登場するのは異例だ。


「謀反」に対し大統領が下した人事

コザク氏はプーチン氏と同じレニングラード大法学部を卒業し、1990年代に法律専門家としてサンクトペテルブルク市庁舎でプーチン副市長の下で働いた。プーチン氏が99年に首相になると、モスクワに呼ばれ、側近として活動。大統領選でのプーチン氏の当選に貢献した。


冷静沈着な性格と能力を評価するプーチン氏は一度、コザク氏に首相ポストを打診したが、断られた経緯がある。コザク氏はその後、チェチェン共和国対策やソチ五輪準備、ウクライナ対策など難題を率先して担当し、大統領の懐刀の役回りだった。


実は、開戦直前の22年2月21日、プーチン氏はクレムリンの大広間で安保会議の討議をテレビ中継させ、ドンバス地方の独立承認の是非について一人ずつ発言させた際、コザク氏の発言を遮断したことがあった。反戦発言を察知し、封印させた可能性がある。


信頼するコザク氏の「謀反」はプーチン氏にはショックと思われる。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙はプーチン氏が周囲を強硬論者で固めているため、動揺することはなかったとしている。


この報道はロシアでも転電された。有力紙「ベドモスチ」(8月29日付)は、「コザク氏は政府高官で戦争に公然と反対する唯一の人物だ」とし、今後大統領府を離れ、北西連邦管区大統領全権代表に左遷されそうだと伝えた。


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