2025年6月8日、イタリアの投票所
Keystone / Claudio Furlan
イタリアでは過去4年間で100件を超える国民投票が実施された。直接民主制が活気づく背景には、デジタル身分証明書(ID)と国営オンライン署名収集プラットフォームの発足がある。
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2025/09/12 08:30
市民の政策案を国民投票にかけるイニシアチブ(国民発議)や、議会を通過した法案を国民投票で覆そうとするレファレンダム(国民表決)は、イタリアでは長らく強力な組織力と資金力を要する大業だった。
「すべての署名は公証人によって認証され、居住地の市町村によって正式に認証されなければならなかった」。北イタリア・トレント出身の弁護士リカルド・フラカーロ氏(44)はこう振り返る。2018~19年の15カ月間、ジュゼッペ・コンテ内閣で世界初かつ唯一の「直接民主主義担当相」を務め、イタリア国民の権利にまつわるさまざまな制限やハードルを除去する責務を担った。
リカルド・フラカーロ氏は世界初の「直接民主主義担当相」に就いた
Alessandra Tarantino / Keystone
スイスやリヒテンシュタインと並び、イタリアは国レベルにおける直接民主制の手段を最も積極的に活用している国の1つだ。過去50年間で、イタリアで市民の署名集めを契機に実施された国民投票は88回に上る。
フラカーロ氏によると、ファシスト独裁政権と第二次世界大戦という圧力のもと、建国の父たちは国民投票に数々の法的・手続き的ハードルを設けた。国民投票や議会での憲法改正について定足数を厳しくすることで、誕生間もない民主共和国を共産党などの手から守るというのが目的だった。
スイスでもデジタルIDが導入される?
イタリアよりさらに深く直接民主主義が根付いているスイスでは、何年も前からデジタルIDやオンライン署名収集が検討されてきた。2021年のデジタルID導入案は64.4%の反対で否決された。データ保護や個人情報の商業利用に対する不安がぬぐえなかった。今月28日の国民投票では、国が独占的に管理するデジタルIDの導入が再び国民投票にかけられる。
デジタルIDが実現すれば在外スイス人協会悲願の電子投票が容易になるだけでなく、オンライン署名収集にも道が開かれる。昨今署名の偽造スキャンダルが発覚したことで、オンライン署名収集を指示する声は一層強くなっている。連邦議会では今年6月、デジタルIDの実現を前提に2026年からオンライン署名収集を解禁する議員提案が複数提出された。
イタリアの直接民主主義は今、新たなピークを迎えている。2021年以降、100件を超えるイニシアチブとレファレンダムが国民投票にかけられた。民意を問われたのは大麻の合法化や大統領直接選挙制の導入、狩猟の廃止、同性婚合法化、連邦制の再編、売春の非犯罪化、ウクライナと中東における平和構築策など、実に多岐にわたる。
民主主義シンクタンク「ガエターノ・サルヴェミニ」(トリノ)のロレンツォ・カブリエーゼ代表は「若者や移民などこれまで政治への関与が低かった集団が、政治への関与を強めたことが明らかになっている」とスイスインフォのインタビューで述べている。同機関は地方公共団体や国家、欧州レベルの参加型民主主義や直接民主主義プロセスの活用状況を分析する。
トリノ中心部にあるシンクタンク「エターノ・サルヴェミニ」ロレンツォ・カブリーゼ代表
SWI swissinfo.ch / Bruno Kaufmann
カブリエーゼ氏によると、直接民主主義的な政治参加が強まった背景には3つの決定がある。まず国連の規約人権委員会が2019年、イタリアの市民の権利に官僚的な障害があると非難。そしてイタリア議会が2021年に電子署名の導入案を可決し、2024年には政府が国営・無料の署名収集プラットフォームを開設した。
カブリエーゼ氏は「これにより、政治参加という基本的な権利をすべての有権者が享受できるようになった」と話す。またSPID外部リンクと呼ばれるデジタルIDの導入により、障がいを持つ人も平等に政治的権利を享受できるようになったという。イタリアは2015年に先駆けてデジタルIDを導入した国の1つとなり、それ以降も継続的に技術開発を進めている。
投票率要件をめぐる議論
デジタル化はイタリアの民主主義を活性化しただけでなく、市民の権利に関する国民的議論も引き起こした。ボルツァーノ自由大学で憲法を教えるオスカル・ペテルリーニ氏は、「共和制憲法の発効以来、私たちの民主主義の枠組みは大きく変化した」と強調する。同氏は保守政党「南チロル人民党」代表としてイタリア上院議員を数年間務めた経験がある。
「1946年の王政廃止に関する国民投票では、有権者のほぼ90%が投票した」。その後、国民投票の可決には賛成票が過半数を占めるだけでなく、投票率が50%を超えることが要件に加わった。「今では、反対派がこの規定を利用してボイコットやデモによる不参加を呼びかけ、提案を阻止しようとする」(ペテルリーニ氏)
6月中旬、主にオンライン署名で実現したレファレンダムの国民投票が行われたが、結果は芳しくなかった。労働市場改革と国籍取得の緩和は5件とも賛成多数を得たが、投票率は50%に達しなかった。右派民族主義者のジョルジャ・メローニ首相が報道陣が集まるローマの投票所に足を運び自ら投票を棄権するという行動に出たためだ。
投票所で棄権するイタリアのメローニ首相
Palazzo Chigi / Filippo Attili
首相の挑発に反発した人権擁護団体が同日、投票率要件の撤廃外部リンクを求めるオンライン署名収集を開始。わずか1日でイニシアチブの成立に必要な5万筆をはるかに上回る署名を集めて提出した。議会が提案を審議する必要があり、国民投票が実施されるかどうかは未定だ。ただカブリエーゼ氏は、真剣な議会審議が行われるとはみていない。同案は6月の国民投票とは異なり、議会法に基づき委員会に委任されたあとは無視される可能性があるという。
ペテルリーニ氏は、投票率要件を25%に引き下げる代わりに、必要署名数を2倍に増やすという妥協案がとられる可能性があるとみる。レファレンダムの成立に必要な署名数は現在の50万筆から100万筆に増えることになる。有権者が5000万人なら2%弱に相当する。スイスのイニシアチブの条件と同じ比率だ。
編集:Mark Livingston、独語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫
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