2025年9月11日(木)〜 10月7日(火)
9:00 – 16:00(無休)
プロンプトと表現 #1:京都AIスケッチ
会期:2025年9月11日(木)〜 10月7日(火)9:00 – 16:00 毎日オープン
会場:OM Art × Music(京都府京都市下京区東塩小路町 735-3 8階)
主催:OM Art × Music / 企画:福原寛重
人は洞窟の壁に線を刻み、色を重ねることで「描く」ことを始めました。
ルネサンスでは、ブルネレスキが一人称視点による遠近法を実験し、アルベルティが幾何学的な構造として理論化しました。そして、カメラ・オブスクラ(camera obscura/暗箱)も活用され、写実的な描写を助けるツールとして絵画表現に大きく貢献しました。投射された風景をなぞる行為は、光学的に完全な遠近法を表現できる利点があります。しかし、それはアーティスト自らが構図を描いたものではなく、単なるトレースだという批判も当時からありました。それでも、その手法によって描かれた作品は数多く存在し、人々に絵画として受け入れられました。有名なものでは、フェルメールのポワンティエ技法もカメラ・オブスクラを使ったのではないかという議論があります(確証はありません)。それでも、彼の作品が優れたものであることは間違いありません。
やがて時代が進み、コンピューターで合成したイメージを作品にしたり、プロジェクターを用いたトレース、大型プリンターの出力を転写して油絵を描くといった手法も生まれています。手法や表現は技術の進化によって常に変化するものです。その是非は議論されるものの、良し悪しで測れるものではないでしょう。
では、現代においてAIが生成したイメージを下絵としてトレースすることに、何か問題があるのでしょうか? そもそも、AIによる生成物はそれ自体が作品ではいけないのでしょうか? あるいは絵画の下絵の一形態として新たに利用することに問題があるのでしょうか?
もうひとつの視点としては、絵画は常にアートであるとは限らないということです。絵画とはあくまで表現のための「手段」のひとつであり、アートはその外側に広がる、もっと多様で複雑な営みです。その表現は平面だけでなく、立体、テキスト、音、体験、現象など多岐にわたります。では、AIによる生成イメージもまた、この「手段の多様性」の連なりの中に位置づけられるのでしょうか?
こうした技術と表現の連携を経て、いまや生成AIの時代に至ります。かつては複雑な構文を必要としたプロンプトも、今では一語で世界が描かれます。単一イメージのビジュアライゼーションという領域においては、プロンプトエンジニアリングという言葉さえも既に無くなりつつあります。AIを用いることで、誰でも比較的簡単に、期待するビジュアルを描ける時代になりました。AIが作り出す一見完璧な世界は、人間だけが持つ不完全さや偶発的な表現の価値を、かえって際立たせてくれるでしょう。
AIは単なるツールなのか、それとも人の創造性を拡張する「コンヴィヴィアルな道具」なのか。あるいは、かつてのカメラ・オブスクラのように、次なる創造のステッピングストーンとなる存在なのか。技術の進化はいつの時代も、「描くとは何か」「アートとは何か」という根源的な問いを私たちに投げかけてきました。
本展では、プロンプトと作品を並べることで、テキストと、そこから生まれたイメージの関係を紹介しています。
今回は特に「京都」をテーマとし、レンブラント風、アニメ風、CG風など異なるスタイルを前提に、京都の風景やロケーションを盛り込んだプロンプトを用いました。想定どおりの美しい生成結果が得られたものもあれば、思わぬ違和感やおかしな表現が生まれたものもあります。その精度の高さと、ずれから生まれる可笑しさの両方を楽しんでください。
難しい理屈を知らなくても、まずはビジュアルを眺めるだけで十分です。京都という都市がもつ文化性と精神性をテーマに、生成AIが見せる驚きの精度と、失敗した面白さを気軽に味わいながら、ふと「描くこと」「創ること」の未来について考えてみる。
そんなひとときをお届けできれば幸いです。
福原寛重
WACOCA: People, Life, Style.