【写真で見る】「百聞は一見に如かず」本間哲朗 中国日本商会会長が語る中国ビジネス最前線

前編はカオスだったころの中国からその後の驚異的な発展について。さらに「政経一体」の中国で日本商会が果たす役割についてです。

(前・後編のうち前編。毎週水曜日に配信:JNN北京支局のポッドキャスト「北京発!中国取材の現場から」より抜粋・再構成。8月22日北京市内で収録)

■「電気がない上海」「天安門事件」…中国勤務は「ハズレくじ?」

Q初めて中国に来た時の印象はどうでしたか?

本間会長
上海に1989年1月、北京は1991年に初めて来ました。1989年の上海は「真っ暗」でしたね。電力が不足していたので街灯がないんです。車も全然走っていない。タクシーを呼ぶときは外国人の宿泊を受け入れている外国人宿泊所へ行って「外貨兌換券」という外国人専用の特別なお金を使わないと手配できない時代でした。今はアプリでパッとタクシーが呼べちゃうので若い人に話しても信じてくれないんですけれども。本当にこの40年の中国の変化は我々日本人にも中国人にも想像を絶する幅だと思いますね。

この話をすると中国メディアの若手記者も首をひねって信じようとしないんです。「上海の浦東地区の開発は1991年に始まったんだよ。だから私が1989年に上海に行ったときは全く何もない荒れ地だったんだよ」っていうと「そう言われればそうですね」となるんですけれども、そのぐらい激しい発展を成し遂げてきたんですね、この国は。

Q当時は「この国で商売するのか」と不安になりませんでしたか?

本間会長
1985年に入社してその年の秋に「本間さんは台湾に行って中国語を勉強してもらう」と人事部に言われたんですけども「ちょっとハズレくじかな」と思いましたし同期の女性陣からは「本間くん格好わるい」って言われましたですね(笑)。

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