日本にいる外国人留学生のうち、もっとも多いのが中国人だ。静岡大学の楊海英教授は「多くは中国で徹底した反日教育を受けてきた世代であり。彼らが卒業後に日本社会に流入し、やがて定着していくことは学術界、先端技術、安全保障などの分野においてリスクを孕んでいる」という――。
※本稿は、楊海英『中国共産党 歴史を書き換える技術』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。

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公式でも300人超が犠牲になった天安門事件
中国において、過去の歴史の意味づけがどのようにコントロールされてきたかを示す典型とも言えるのが、1989年6月に発生した天安門事件と、今に至るまでの事件の取り扱いである。この出来事は、中国現代史における決定的な転換点となった。
民主化を求めて天安門広場に集結した学生たちに対し、中国政府は武力による苛烈な弾圧を加え、その対応は国際社会から厳しい非難を浴びることとなった。中国共産党は公式に死者数を319人と発表したが、実際の犠牲者数がそれをはるかに上回ることは疑いようがなく、イギリス政府の機密文書は、その数が1万人に達する可能性があると報告している。
こうした大規模な流血の惨事は、もはや一国の内部問題にとどまらず、国家権力による暴力的弾圧の象徴として、国際社会の記憶に深く刻み込まれることとなった。事実、この事件は中国政府にとって、共産党体制の正統性を根底から揺るがしかねない深刻な危機であった。
日本を仮想敵国とする「愛国主義教育」
にもかかわらず、政権はその構造的な矛盾や民意の噴出と正面から向き合うことをせず、その矛先を外部へと転嫁する道を選んだ。ここにおいて、ナショナリズムを梃子てことする新たなイデオロギー戦略が本格的に展開されることとなる。
江沢民政権下では、「愛国主義教育」の体系化が進められ、とりわけ日本が仮想敵国として明確に位置づけられた。「日本は中国を侵略した悪の象徴であり、中国共産党はその悪に打ち勝った英雄である」とするフィクションが、初等教育から高等教育に至るまで一貫して刷り込まれていったのである。
このような教育体制のもと、次代を担う若者たちの歴史認識、国家観、さらには世界観そのものが、党の意図に沿って形成されていったのである。その余波として、日本製品に対する不買運動が各地で相次ぐ。これらは市民による自発的抗議として喧伝されたが、その背後に政府の黙認や誘導があったことは言うまでもない。
 
						
			
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