今年の甲子園で優勝候補の横浜を好ゲームの末に破り、鮮烈な印象を残した県立岐阜商業。全国的に公立校が厳しい向かい風に晒されるなか、なぜベスト4に進出することができたのか。複数の同校OBや関係者の証言から、創部100年の「伝統校」の秘密を探った。(全2回の1回目/後編へ)
大会前は「完全ノーマーク」だった県岐商
卒業生に母校愛を抱かせる学校とは、どんな学校なのか。
偏差値が高ければいいのか。スポーツで有名であればいいのか。あるいは学校の環境か、忘れがたい行事の記憶か。単純なようで、じつは簡単ではないテーマだ。
筆者が生まれた岐阜県では、夏の甲子園の代表校を知るときのリアクションが大抵この2つのうちのどちらかだった。
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「今年も県岐商か」「県岐商、今年は出ないのかぁ」
岐阜県民にとって、県代表はまず県立岐阜商業ありきで考えることがもはや定番である。
そして、岐阜県民は新聞等の報道では「県岐阜商」と表記されがちな同校を「県岐商」と呼ぶ。岐阜の“阜”という単語は岐阜以外の単語ではまず見ることはない。以下、本文中で「県岐商」と表記することをご了承願いたい。
今夏の甲子園で、横浜や健大高崎といった本命クラスの強豪を上回る躍進を見せたのが県岐商だった。
出場校49校のうち公立校は6校(金足農業、市立船橋、県岐商、鳴門、佐賀北、宮崎商)のみ。かつての商業系、工業系の野球名門公立校の多くが衰退して“古豪”という冠だけが残り、その間に全国各地の私立高校がどんどん台頭し、いまや完全に私立全盛の時代となった。そんななか、完全ノーマークだった県岐商がベスト8に残った時点でメディアが騒ぎ出した。唯一勝ち残った公立校であり、創部100年の名門校。さらに左手にハンデを持つ横山温大の活躍も手伝って、甲子園の主役に躍り出たのだ。
しかし大会前はまったくのノーマーク、表現は悪いが「その他大勢」の扱いだった。旧知の記者は、組み合わせ抽選後に設けられた出場各校の取材時間でも「注目度は低かった」と明かす。春夏連覇の期待がかかった横浜や健大高崎、仙台育英、関東第一、智弁和歌山といった優勝候補に報道陣が殺到するなか、県岐商の取材エリアにはしばらく誰も寄り付かず、藤井潤作監督と河崎広貴主将は寂しそうに佇んでいたという。事前予想で県岐商を有力候補にあげるメディアもほぼ皆無だった。
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