(CNN) ロシアによって外部との連絡を3年以上絶たれたまま拘束されていたウクライナ人記者が24日、ウクライナとロシアとの間の最新の捕虜交換の一環として解放された。

解放されたのはドミトロ・ヒリウク記者(50)。ロシアで拘束されている数千人にのぼる民間人のひとりだ。民間人の拘束は国際法上違法とされる

ヒリウクさんの高齢の両親は、息子の消息を一切知らされないまま、国内外の政治家に面会したり、抗議活動に参加したり、ロシア当局に手紙を書き続けたりして、解放を訴えてきた。

ウクライナ当局が公開した映像では、国境を越えて帰還した直後のヒリウクさんが母親に電話をかける様子が捉えられていた。「母さんが気にかけてくれて、心配しているのはわかっている。母さん、泣かないで。すぐ家に帰るから」と話しかけるヒリウクさんの言葉が聞こえる。

ヒリウクさんと父バシルさんは、キーウ北部のロシア占領下の集落で生活必需品を手に入れようとした際、ロシア軍に拘束された。バシルさんは数日後に解放されたが、ヒリウクさんは痕跡もなく姿を消した。

ロシア政府は繰り返し拘束を否定したが、複数の元囚人の証言でロシアの収容施設に拘束されていることが示唆された。

ロシア連邦捜査委員会やブリャンスク州当局は2022年12月と23年1月、弁護士に対し、ヒリウクさんはロシア国内におらず、情報もないと公式に通知していた。

ヒリウクさんの写真を手にする両親/Ivana Kottasova/CNN
ヒリウクさんの写真を手にする両親/Ivana Kottasova/CNN

ヒリウクさんが2年以上前に拘束されてから両親が唯一受け取ったメモ/Ivana Kottasova/CNN
ヒリウクさんが2年以上前に拘束されてから両親が唯一受け取ったメモ/Ivana Kottasova/CNN

CNNの取材班は24年、ロシアがようやくヒリウクさんの拘束を認めた直後に両親を取材した。

ヒリウクさんから両親に届いた唯一の直接の便りは、22年4月付けの短い手書きのメモで、「生きて元気だ」と書かれていた。メモが両親に渡ったのは同年8月だった。

弁護士によれば、ヒリウクさんは罪に問われることも、裁判を受けることもなかった。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、今回の交換で解放された民間人8人の中にヒリウクさんが含まれていると確認し、自身のSNSに解放された8人の写真を投稿した。

ウクライナ捕虜待遇調整本部は8人の民間人が兵士や治安部隊要員とともに解放されたと発表した。解放されたのは二等兵と軍曹で、大半が捕虜として3年以上拘束されていたという。

ウクライナ側は捕虜交換の人数を明らかにしなかった。ロシア国防省は、今回の交換でロシア兵146人とウクライナ兵146人が送還されたと発表し、クルスク州にいたロシアの民間人8人も送還されたと言い添えた。

ウクライナ側は、交換にロシア人の民間人が含まれていたとの主張にはコメントしていない。

ウクライナのイエルマーク大統領府長官は、元ヘルソン市長のボロディミル・ミコラエンコ氏も解放されたと明らかにした。ミコラエンコ氏は22年に重病の囚人の釈放を優先させるため、自身の交換を拒否し、その後も3年以上拘束されていた。

ミコラエンコ氏は24日、「ここ数年、鉄格子とコンクリートしか見ていなかった」「今日は第二の誕生日だ」と語った。翌日が91歳の母の誕生日であることを「素晴らしい偶然だ」とも語った。

ウクライナ政府によれば、別の記者や、マリウポリのアゾフスターリ製鉄所で兵士や市民を治療した医師も解放された。

ウクライナ政府によると、少なくとも1万6000人の民間人がロシアに拘束されているが、実際の数はもっと多い可能性が高い。行方不明者は兵士や子どもを含め3万7000人に達しているという。

多くは占領地で拘束され、数カ月から数年にわたり裁判もなく勾留され、ロシアに強制送還されている。活動家や聖職者、政治家、地域社会の指導者のほか、検問所などで無作為に連れ去られた人々も含まれている。

ウクライナのメディア関連の民間団体IMIによれば、現在も30人前後のウクライナ人記者がロシアで拘束されており、大半は起訴も裁判も受けていない。

国際法上、占領国による民間人の拘束は限定された状況と厳格な期限が定められた場合を除いて違法とされている。捕虜と異なり、民間人の拘束者の扱いや交換に関する確立された法的な枠組みは存在しない。

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