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【写真を見る】「仕方なく人の肉を…」凄惨な体験を語るインタビュー

■「差別から抜け出せる」“日本兵”として戦地に送られた先住民たち

台湾北部の山岳地帯。この地で代々暮らす林義賢さん(72)。古くから独自の言葉や文化を築き上げてきた、台湾の先住民族です。

この地域には、“日本兵”として戦死した、先住民を弔う慰霊碑があります。

藤森祥平キャスター
「ここに彫ってあるのはどなたの名前ですか」

先住民族 林義賢さん
「死んだ人(の名前)。父は、一緒に戦った仲間に感謝していました。生きて帰れた人は、運が良かったんです」

戦時中、日本の植民地だった台湾。日本軍は、台湾の先住民たちを志願兵として部隊に組み入れ、戦場へと送り込みました。

先住民族 林義賢さん
「その時台湾は、日本王様。日本の軍人が来て、兵隊にする人を選んでいきます。体力がある人、体格がいい人を集めて戦争に行かせました」

林さんの父親、源治さんは1941年、旧日本軍に入隊。インドネシアのモロタイ島などで戦いました。

林源治さんの息子 義賢さん
「殺し合いでした。敵2人を刺し殺したことも、手榴弾を投げて人の肉が飛んできたこともあったそうです。戦争に行っている間、祖母は父が生きて帰れるように祈っていました。祖母は父のことが心配で、戦争に行って2年後に目が見えなくなってしまった。父は祖母にずっと申し訳ないと言っていました」

先住民たちはかつて「高砂族」と呼ばれていました。日本は、着る服や生活習慣も異なる彼らを、日本式の学校に通わせ、同化を図ろうとしました。しかし、先住民族である高砂族には明確な差別が存在したと当時の手記には記されています。

手記
「日本人一等、台湾人二等、高砂族三等国民だと、きわめて不平等であった」

手記にはまた、「日本兵になれば尊敬され、差別から抜け出せる」という思いが書かれていました。

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