スピリット・オブ・セントルイス号の前に立つチャールズ・リンドバーグ。(PHOTOGRAPH BY BRIDGEMAN IMAGES)

スピリット・オブ・セントルイス号の前に立つチャールズ・リンドバーグ。(PHOTOGRAPH BY BRIDGEMAN IMAGES)

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 この記事を執筆するにあたり、私(筆者のクライブ・アービング氏)の意見が個人的な利害関係に基づいていることをまず断っておかなければならない。今からちょうど85年前の1940年7月、英国のロンドン近郊に住んでいた当時7歳の私は、晴れ上がった夏の空にドイツ軍と英国軍の航空戦が展開するのを見守っていた。後に「バトル・オブ・ブリテン」として名をはせる戦いだ。

 怖いとは思わなかった。現実から一歩退いた子どもらしい興奮を覚えただけで、あれが私たちにとっていかに困難な日々であったかには全く気付かなかった。そう理解するようになったのは後にジャーナリストとして長年をかけて調査した結果、いかに英国がぎりぎりの勝利を収めていたかを知ってからだった。

 当時の西ヨーロッパのほとんどがヒトラーの手中に陥っていたなか、英国は孤軍奮闘していたわけだが、もしあの戦いに敗れていたら、真珠湾攻撃によって米国の参戦が避けられなくなるまで持ちこたえていたかどうかわからない。

 しかし、私を何よりも動揺させた発見は、長いこと米国の伝説的人物として崇められてきたチャールズ・リンドバーグが、英国の勝利の機会を削り取るためにドイツに熱心に協力した事実だった。

 米国が参戦する以前、リンドバーグが1939年から1941年まで米国のファシストと近しい関係にあったことは長い間知られていた。アメリカファースト(第一)主義委員会にも加わっていた。1941年9月に、アイオワ州デモインで演説を行った際には、ルーズベルト政権、英国、そしてユダヤ人が、米国民とヒトラーとの対立を煽っていると非難した。

 一方、1930年代にリンドバーグがヒトラーの操り人形として、ナチスドイツの空軍が無敵の力を身につけたという考えを英国で広めていたことは知られていない。

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