【写真を見る】潜水艦とともに海に沈んだ父 痕跡を追い続けた男性が伝えたい思い 戦後80年

1回目は、2歳の時に戦争で父親を亡くした84歳の男性です。
潜水艦とともに海に沈んだ父親の姿を追い続けた男性が伝えたい言葉とは。

■写真を送ったけど、届いただろうかと、トラック島に送ったけど

宮崎市に住む横山俊昭さん、84歳。
2歳の時、父親の肇さんを戦争で亡くしました。

「父ですね。父親の記憶は全くないですね」

4人兄妹の末っ子の横山さん。父親の姿は写真でしか知りません。

この写真は、当時、母親が父親へと送ったものです。

(横山俊昭さん)
「写真を送ったけど、届いただろうかと、トラック島に送ったけどということで、しょっちゅう(母が)言っていたんですね。多分、父は見てなかったと思うんですよね」

ほとんど残っていない父親の記憶。
それでも、横山さんは遺族会などから史料を集め、父の足跡をたどりました。

■一歩でも父がいるところに行きたいと

福岡市の香椎海軍航空隊から偵察機を搭載するイ号17潜水艦に転属した父、肇さんは1943年1月、横須賀港を出港。

当時、日本軍が拠点としていたトラック島へ向かいました。

そして、8月19日。
ニューカレドニアのヌメア沖で攻撃を受け、潜水艦と共に海に沈みました。

母親が101歳で亡くなったあと、遺族会に加わった横山さん。
日本遺族会が実施した終戦70年の洋上慰霊やトラック諸島での慰霊友好親善訪問団にも参加しました。

(横山俊昭さん)
「トラック島については、父が最後に土を踏んだ場所ですよね、私にとってもそこに行けたらということでですね」

ほかの遺族と共にトラック島を訪問したことで、「区切りがついたと考えていた」という横山さん。

しかし…

(横山俊昭さん)
「やっぱり欲が出て、一歩でも父がいるところに行きたいと。飲んで酔うと『ニューカレドニアに1回は行かんといかん』と繰り返していたから」

そんな横山さんに、おととし、三女の智子さんが、ニューカレドニア行きを提案。
娘家族や孫たち総勢8人で、ニューカレドニアを訪ねました。

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