2024年に能登半島地震と奥能登豪雨の二重被災をした石川県輪島市町野地区に、2025年7月、臨時災害放送局「まちのラジオ」が開局した。その開局を支援したのは、2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町で放送した臨時災害放送局「女川さいがいFM」のスタッフたちだった。14年の歳月を超えて、かつての被災地の人々が、新たな被災地の人々を助けている。「まちのラジオ」はどういう経緯で生まれたのか、現地を訪れた。(Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
農家も消防士も看護師も 本業を持つスタッフが挑んだ初生放送
「ラジオの前のみなさん、こんにちはー! ここからは、まちの復興情報番組『まちのWA!』」
2025年7月7日正午、石川県輪島市町野地区で開局した臨時災害放送局「まちのラジオ」で初の生放送が始まった。番組で挨拶をしたのは、町野復興プロジェクト実行委員会「町プロ」の6人。彼らの明るい声が響いた。
「今日は、令和7年7月7日月曜日、777とスリーセブンそろったおめでたい日ですね。そして七夕。昨年は能登半島地震、そして奥能登豪雨と2度の大災害に見舞われた、ここ町野町なんですけども、ここからは新しい町づくりを進めていこうということで、今日からスタートしたのがこの臨時災害放送局『まちのラジオ』です」
「まちのラジオ」がプレハブのスタジオから放送していること、「女川さいがいFM」(現オナガワエフエム)のスタッフたちとつながって開局にこぎつけたことなど、「まちのラジオ」のバックグラウンドを軽妙な会話で紹介していく。ひとりが「これ本当に開局してるの?」と言えば、「開局されてるらしい」と笑いが起きる。
テンポが良く、和気あいあいとした会話を聞いていると、ラジオ経験がないメンバーたちだというのが信じられないほどだ。農家、消防士、看護師など、全員が本業を抱えながら「まちのラジオ」に参加している。準備にあたり、日本財団から100万円の助成金を受け、「オナガワエフエム」から約300万円分の機材と経費の支援を受けたが、運営資金は関係者の持ち出しで、頼みの綱はクラウドファンディング。それもまだ目標額の15%ほどだ。
「まちのラジオ」のスタジオにはエアコンもあるが、マスコミ14社が取材に来たため、撮影できるように窓を開けて生放送。この日の気温は33度だ。「まちのラジオ」でも天気予報が紹介され、町野地区の商店の情報も流された。町野地区のスーパーからの中継も。また、震災発生直後から支援を続けているキャンドルアーティスト・CANDLE JUNEさんからのメッセージも放送された。さらに、石川県七尾市にある国土交通省能登復興事務所の若手職員も生放送に出演。道路の復旧状況や今後の見通しについての説明も行われるなど、まさに町野地区の住民が今、知りたい情報を届けていった。
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