「物質の根源」を探究し、「原子と原子核をめぐる謎」を解き明かすため、切磋琢磨しながら奔走した科学者たち。多数のノーベル賞受賞者を含む人類の叡智はなぜ、究極の「一瞬無差別大量殺戮」兵器を生み出してしまったのでしょうか。

近代物理学の輝かしい発展と表裏をなす原爆の開発・製造過程を解説したロングセラー待望の改訂・増補版『原子爆弾〈新装改訂版〉 核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』から、興味深いトピックをご紹介するシリーズ。

今回は、前回の記事に引き続き、原子爆弾の投下目標が日本へと決定されていくプロセスを追います。

まずは、実に不自然な謎である「ドイツの核兵器開発を警戒したアメリカが、なぜそれをスパイしようとしなかったのか?」に対する検証から説き起こします。果たしてそれは、「マンハッタン計画」の矛先が日本に向けられていくことと関係しているのでしょうか?

【書影】原子爆弾・新装版

*本記事は、『原子爆弾〈新装改訂版〉 核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。

スパイ組織「アルソス・ミッション」の結成

アメリカは、ドイツの原子爆弾開発を懸念し、それゆえに20億ドルもの巨費を投じて「マンハッタン計画」を強引に実行に移した経緯がある。

それほどまでにドイツの原爆開発を恐れていながら、アメリカはなぜ、ドイツの原爆開発の現状を探ろうとはしなかったのだろうか? 

不可解といえば不可解だが、アメリカは1944年(昭和19年)の末まで、ドイツの原爆開発状況を探ろうとはしなかったのである。

1944年も押し詰まった頃、アメリカはようやく、ドイツの原爆開発のようすを探る目的で「アルソス・ミッション(Alsos Mission)」というスパイ組織を結成している。このアルソス・ミッションの科学班長には、オランダ出身のユダヤ人物理学者サミュエル・ゴーズミット(ハウトスミットとも。1902~1978年)が任命された。

ゴーズミットは、1927年にオランダからアメリカに帰化してミシガン大学に職を得ているが、その2年前の1925年秋、当時はライデン大学の大学院生だった彼は、同じく大学院生だったジョージ・ウーレンベック(1900~1988年)とともに、電子は自転(スピン)による角運動量を持っていなければならないということを理論的に予言している(のちに実証された)。

ゴーズミットの両親は、ナチスの手によってガス室に送り込まれ、殺害されている。これは筆者の推測だが、このためにゴーズミットはドイツ(ナチス)を心の底から憎んでおり、アルソス・ミッションの科学班長に自ら進んで名乗りを上げたのではないだろうか。

【写真】サミュエル・ゴーズミットと科学者たちアルソス・ミッションの科学班長となるサミュエル・ゴーズミット(一番左の人物)と科学者たち。中央がドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルク、その右隣がイタリアの物理学者エンリコ・フェルミ。1939年頃の撮影 photo by gettyimagesイメージギャラリーで見るアメリカの策略だったのか

先にも述べたように、アルソス・ミッションが結成されたのは1944年の末であり、スパイ活動として本格的に動き始めたのは、すでにドイツがかなり窮地に陥っていた1945年(昭和20年)に入ってからである。アルソス・ミッションによって、連合国側は、ドイツが原子爆弾の開発・製造に成功していなかったことを知る。

しかし、ドイツの敗戦がほぼ決定的と言えるような時期にドイツの原爆開発の状況が把握できても、ミッション(スパイ)の効果がさほどあったとはいえまい。それともこれは、アメリカの策略(戦略)だったのだろうか?  すなわち、ドイツの原爆開発の詳細を知らないままに「マンハッタン計画」を推し進めたほうが、開発を促進しやすいと考えた可能性はないだろうか?

新大統領トルーマンの就任

いよいよ本格的な原子爆弾の製造段階に入った1945年4月12日、時のアメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトの逝去を知らせるニュースがロス・アラモスにもたらされた。

日本軍によるハワイ・真珠湾への奇襲攻撃を受けて、日本に対して宣戦布告をおこなったのはこのルーズヴェルトであり、「マンハッタン計画」を承認したのも彼であった。

【写真】ルーズヴェルト大統領の葬儀ルーズヴェルト大統領の葬儀 photo by gettyimagesイメージギャラリーで見る

ルーズヴェルトの死を受けて、副大統領であったハリー・S・トルーマン(1884~1972年)が新大統領へと就任した。

ところが、トルーマンは事実上「マンハッタン計画」については知らされていなかったのである。新大統領トルーマンは、当時の陸軍長官ヘンリー・スティムソン(1867~1950年)から、初めて原子爆弾製造計画の詳しい内容を知らされている。

「日本への投下」に反対した科学者たち

5月8日には、ロス・アラモスにドイツ無条件降伏の報が入った。

マンハッタン計画の最高責任者であるグローヴズ将軍は、このドイツの降伏を受けて、原子爆弾を日本に投下することを意識しはじめたようである。

【写真】ドイツの降伏を受けて、原子爆弾を日本に投下することを意識しはじめたと思われるグローヴズ将軍グローヴズ将軍。ドイツの降伏を受けて、原子爆弾を日本に投下することを意識しはじめたと思われる photo by gettyimagesイメージギャラリーで見る

しかし、オッペンハイマーやコンプトンら多くの科学者たちは、日本に投下しなくとも、原子爆弾の実験を日本の軍関係者に見せつけることによって、日本の戦争続行意欲を一挙に低下させることが可能であるという立場を取った。

ハンガリー3人組の一人レオ・シラードは、原子爆弾の日本投下に真っ向から反対した。

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