輪島市の沖合に浮かぶ離島の「舳倉島」は、能登半島地震や津波で建物などに大きな被害が出ましたが、およそ1年7か月がたった今も復旧作業は進んでいません。
30日は輪島市の本土と島とを結ぶ定期船の運航再開に合わせ、市の職員が被害状況の確認に訪れました。
舳倉島は、能登半島地震や津波で建物の被害が相次ぎましたが、輪島港の岸壁の隆起などにより定期船が運休していたため、復旧関係者が島にアクセスすることが難しく復旧や解体の作業は進んでいません。
港近くの建物には、海女が採ったサザエやアワビなどを生かしておくいけすがあったというですが、壁全体がはがれたままの状態で使えなくなっています。
また、島内の生活道路にもひびなどが入り壊れたままとなっていました。
30日は、再開した定期船に乗って大阪府や愛媛県などから輪島市に派遣されている職員およそ20人が復旧に向けた調査を行うため舳倉島を訪れました。
職員たちは、2つのグループに分かれて島じゅうの道路を歩きながら、ひび割れなどを撮影し被害状況を記録していました。
輪島市によりますと、舳倉島の被害状況の本格的な調査は地震の発生以降、30日が初めてだということです。
調査にあたった職員は、「思ったよりもひどい状況でした。調査をもとに早く復旧工事を進めたい」と話していました。
【舳倉島とは】
舳倉島は、輪島港から北におよそ50キロ離れた輪島市の離島です。
島の周辺は豊かな漁場に恵まれ、海女によるサザエ漁や、漁船でのメバルやブリ漁などが盛んで、6月から10月ごろにかけての漁のシーズンのみ一時的に移り住む漁業者が島民の多くを占めていました。
また、釣りやバードウォッチングに訪れる観光客にも人気のスポットとなっていて、30日、運航が再開した定期航路が島への唯一の交通手段でした。
輪島市によりますと、地震の前は、夏を中心とする漁のシーズンは漁業関係者などおよそ50人が、冬場は電気設備の関係者など数人が暮らしていたということです。
しかし、去年の能登半島地震で、建物が大きく倒壊したり津波に巻き込まれたりする被害が相次ぎ、現在、島で生活している人はいないということです。
輪島市には、「り災証明書」の交付を受けた一部の住民から、島にある建物の公費解体が申請されていますが、重機の搬入などのめどが立たず解体作業が行われた建物は今のところないということです。
【定期船には津波で漁船を失った漁師も】
30日、運航が再開した舳倉島への定期船には、津波で漁船を失った漁師の男性も乗っていました。
輪島市の市街地に住む風折善次さん(73)は、40年近く本土と舳倉島を行き来する生活を続けています。
毎年7月から9月にかけては舳倉島で暮らし、海女をしている妻や娘と小型の漁船で沖に出てアワビやサザエの漁をしてきましたが、去年の地震で島は津波に襲われ、漁船も船底に穴が空くなどの被害を受け使えなくなりました。
風折さんは、再び舳倉島を拠点に漁を再開したいと考えていて、120万円近くをかけて全長5メートルほどの中古の漁船を購入し、30日、運航が再開された定期船に載せて舳倉島を訪れました。
定期船が舳倉島に到着すると漁船は機械を使って海におろされ、風折さんは、息子や孫たちと沖に向かって試運転に出かけました。
風折さんの島の自宅は倒壊を免れましたが、地震で玄関の扉が壊れて使えなくなるなどの被害を受けていて、生活できる環境が整うまでにまだ時間がかかるといいます。
風折さんは試運転のあと「定期船は便利で島民には絶対必要です。購入した漁船の調子もよかったので業者に頼み1年かけて家を直し来年こそ舳倉島に住んで漁をしたい」と話していました。
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