オランダ軍艦メヂユサ艦長であるファビユス
(町田 明広:歴史学者)
岩瀬忠震の外交デビューとハリスの来日
安政2年(1855)1月、岩瀬忠震は外交官としてデビューを果たした。勘定奉行川路聖謨・水野忠徳とともに、ロシア使節プチャーチンとの日露和親条約の修正交渉のため、下田に派遣されたのだ。この交渉では、アメリカが領事官を置く前に、ロシアは置かないことで妥協を引き出した。
安政3年(1856)7月、初代駐日米国領事ハリスは通弁官ヒュースケンとともに、日米和親条約で開港された下田に上陸した。ハリスは玉泉寺を総領事館と定め、直ちに出府を希望し、江戸での通商条約の締結交渉を開始したいとの意向を開示したのだ。
下田にいても、時間ばかりかかって、結局は何事も前進しないことを恐れ、ハリスは繰り返し江戸に行くことを要求した。幕府にとって、その要求にどのように対応するのか、大きな難題となった。
WACOCA: People, Life, Style.