【山口さん解説】3分できた大津波、北海道南西沖地震(1993年7月12日)

え、皆さんはですね、大津波をもたらした 地震と言いますと、どういったものを 思い出すでしょうか?え、1つはやはり 2011年3月の東日本大震災。え、あの 大被害をもたらしました。東北地方太平 沖き地震でありましたね。え、津波の高さ が高いところで、ま、40mぐらいに達し たといった地震津波でした。あれが、ま、 最近ではかなり顕著な、え、ま、地震津波 災害になったんですけれども、高さとして はね、それに匹敵するぐらいの大津波が やってきた事例もあります。範囲の方、 被害の範囲は東日本大震災よりは、ま、 狭かったんですけども、その狭い範囲に 甚大な被害を出した津波災害の事例があり ます。え、それが1993年7月12日に 発生をしました。北海道南世地震となり ます。え、今からちょうど32年前の今日 、え、夜に発生をした地震になります。え 、今回はですね、その北海道南世地震の、 ま、概要、ま、津波ですとか、あと被害 ですね。え、さらにはその日本海側の地震 についての特徴、え、そういったものなど について、え、見てみたいという風に考え ております。で、また私ですね、横にあの 、え、チャット開いております。え、この 、ま、津波地震などに関して、ま、ご質問 いただければですね、そういったものにも お答え、え、できる時間、この後設けたい という風に考えております。え、この後も この書き込みなどね、え、お願いできれば という風に思います。で、その93年7月 12日の地震、まず信源です。こちら北土 チリンのチリン地図で、え、見ていきたい と思います。え、北海道の南西部の置合に お尻という島があります。で、この北海道 南世置地震は屋を含むエリア。この辺りの 岩板が破壊されて発生したものになります 。え、地震が発生したのが93年7月12 日22時17分頃のことです。 マグニチュードが7.8という、ま、巨大 地震にも近いレベルですね。非常に エネルギーの大きな地震でした。この地震 によって 当時の気象観測所における震度はですね、 オ樽、すッ、江蔵、深、え、こちらで震度 5でした。当時の、え、震度階級5弱は 分かれてなかったので、ま、震度5という ことになったんですけども、信源のこの 付近の串に関しては、ま、震度6、今の ように、ま、弱で階級を開けますとね、 7点、マグニチュ7.8の地震が直化で 起きたということは震度6強ぐらいに、え 、なっていても全くおかしくない話だと いう風に思われます。ま、このお尻登板は そういった強い揺れにも見回舞われました し、もう1個あるのが大津波にも見舞われ たということになります。で、ここから ですね、その被害について、え、見てみ たいと思います。え、まずこちら。これ お薬と空殺で捉えたものになります。え、 この93年7月12日の翌日に、ま、撮影 されたものになります。で、これはですね 、北から南に向かって撮影をしております 。福島の最難。ここが青み崎と言います。 青み崎。ご覧の通り、ま、煙が上がって ますね。火災が起きていることも伺えます が、ここ少し茶色見るところあります。 これ全て 町だったんです。人家が密集していたん ですね。その大津波によってこれだけの家 が全て流されました。で、この青地区と いうのは、ま、人口も大変多い。串島の中 では大変人口の多いエリアだったんです けども、この最難何の部分、1番海に近い ところのね、青い悟というところだったん ですけども、こちらは200人ぐらいの 住民がいらっしゃった中、実に70人が、 え、亡くなったり行方不明になるという ような、ま、もう壊滅ですね。もう建物を 全く残っておりません。そういった壊滅的 な被害がありました。で、さらにこちら もう少し北側のエリアに関しても、ま、 相当大きな被害が出たんですけども、この お尻の中でも青い地区というのはですね、 津波にもうやられた。で、もう1個あるの がこの火災だったんです。ま、煙上がって ますけれども、地震が起きたのが22時 17分頃で火災が起きたのは22時35分 あるいは40分頃から、え、火事が発生を しまして、ま、それが燃い広がったという ことになります。もうこの段階では大津波 は来ておりました。何らかの原因でこう 出荷したわけなんですけども、大津波に よって家が流されたり、あとは倒れたりし てる。こうやって瓦礫の山になってる ところに火災が発生したということはもう 木材とかが気出しになってるわけですよね 。一旦火がついたらもう止められません。 特にお薬はこれあの当時の当時ね、私の この映像覚えてます。え、消防車もね2台 ぐらいしかなかったんですね。の地区に 集まってこれれる消防者が2台ぐらいしか ない。そこで発生した大かじ実に190胸 以上がま、焼けたといった。そういった 火災に対しては当時の消防力ではですね、 もうどうしようもなかったんですね。え、 そういった形で人水によってもう壊滅的 被害を葬ったということになります。で、 またさっきあの震度6ぐらいにはなってた のではないかという風にお話しました けれども、これね、当時のこの、ま、写真 です。これ下の方に移っているのはこれお 、お寺の屋根だそうです。で、ま、瓦礫 積み重なっておりますけれどもこれはです ね、津波による被害という風に意味られ ます。津波によって流されて、ま、集め られたような形ですね。瓦礫が、え、こう 集まってきてるわけなんですけども、ここ に赤と白の、え、この柱のようなものが 映ってます。これ当時ここにあった東台な んですね。東台がコンクリート製ですよ。 寝こぎ。根元から折れて倒れるぐらいの 強い揺れにも振り回舞れたということに なります。本当にですね、この北海道 南性沖自身お尻党は甚大な被害でまたこれ ですね じゃないんです。この北海道の南西部の 沿岸一体もこれは津波による被害を受けた ということになります。で、この、え、 93年7月12日の北海道南世を記地震 津波の高さも強烈です。 お尻とちょっと拡大してみます。 どれぐらいの大津波が来たのか。最も 高かったのがここです。 モイバチ区と呼ばれるところでして、この 辺りがね、調査によってちょっとあの上下 はするんですけども、高い調査報告見ると 31.7mまで津波が駆け上がったという 風にされてます。あとはこの先ほどあった お尻町のこの南の方ですね。青の辺りです と、こちらは10m前後、10m前後の 大津波。あとはですね、ここに、えっと、 ね、お尻 地区っていうのがあります。ここが、え、 役場もあって町の中心部なんですけども、 この辺りでも、え、4m前後ですねのやっ てきた。このお尻地区はどちらかというと 崖崩れによってホテルが、え、押しつされ ました。ここで20人以上の方が宿泊客 などで20人以上の方がなくなるという、 え、被害があったんですけども、大津波も 来てます。で、この北の方の稲地区って いうのがありますね。この辺りでもやはり ね、10mに達するような、あ、10m 近いような、え、おつめがやってきたので はないかという風に推定されてます。ま、 このようにもうお薬全体に大津波がやって きたということになります。で、対岸の この 岡海道南西部、小島半島も場所によっては ね、5から10mぐらいの大津波がやって きました。全体で亡くなった方、行方不明 の方230人でした。そのうち202人が 北党で28人がこの対岸のお島半島の沿岸 部で、え、やた、ま、犠牲者をあります。 このようにですね、東日本大震災に比べる と範囲は狭いんですけども、集中的に5m 、10mあるいは30mの大津波が来たと いう点で 狭くても本当にその被害は集中的に起きた 人大な被害につがったということになり ます。で、この津波の特性を見てみたいと 思います。で、こちらの図、これが これ、お尻のサ難タ青地区を移したものに なります。で、このお尻の最難独特の地形 してますね。こうとんがってます。さっき お話した青い宮崎というのがここにあり ました。で、この辺りにも人が密集当時し ておりました。で、ここに大手波がやって きたんですけども、大手波 新玄岩板が壊れ始めたエリアはお薬島の 西側だったんです。西側でそこで始まった 岩板の破壊がお尻党の真下まで及んだと いうことになったんですけども最初はです ね自体はお尻全体には西の方からやってき ました。西の方からやってきた。で、その 後回り込むのような形で東の方からもやっ てきた。そういったねえ。この向きの違う 津波が、ま、時間を置いてやってきて、 この東西方向からね、この挟むような形で 、え、この家等を、ま、洗い流していった 、押し流していったということになります 。で、この青い地区というのは標もあまり 高くないということで、これね、当時の 避難行動のお話のもあるんです。あの、 この青の南の方にあったもうあの、あの 建物の中にいらっしゃった方はもう停電 ですよ。もう22時17分の地震で 真っ暗闇になったところですね。とにかく もう揺れている中でもこれは危ないと津波 来るんじゃないかということでもう大急ぎ で逃げて助かった方もいらっしゃるんです 。一方でこれね、 あの本当にね、津波っていうのは その精子の境い目ってのはね、本当に 分からんやなって私思うんですけど、その 一例もあって、このお尻とこれ今のこれは 今のあの地図です。これ青の方からこう北 の方にこう高台に通じる道路があるんです よ。ここを車で行けば1番短くえいける。 ま、そういった道路。ま、いくつかね、 あの、ルートがあるんですけども、なんで も車で逃げた方はですね、向こうからやっ てきた津波に飲まれてなくなった。ただ 走って逃げた人はもっと短いルートの その高台に逃げる、ま、あの、歩くぐらい 車走れないんですけどもね、歩く走るでし たら通れるような細い道を逃げていったの で流れた。え、そういった事例もあったと 聞きます。ま、このような形でどこの ルートを通るか。1早く避弾行動を取 るっていうのは重要なんですけども、どこ のルートを通るか、また車を使うのか、 走って逃げるのか、それによって静止が 分かれる。え、そういった事例もあったと いうことになります。ま、本当にここはね 、大変な、ま、大津波みによって、ま、 被害を受けたということになるんですけど も、ま、先ほどね、地図戻りますけども、 ま、今は南の方はここは、ま、あの、記念 費などが、え、あるとこういった状況でし て、もう今ね、さらちになってるんです。 人間があったところもさらち。ま、このね 、あの、お知に関して言うと、1983年 の5月26日、日本海中部地震っていうの がありました。マグ中7.7。これは秋田 県で大津波によって甚大な被害が出たん ですけども、このお薬島にもね、津波みに やってきたんです。4mぐらいの高さで やってきて、2人の方がなくなるという ような、え、Jがありました。つまり83 年のあと93年ですよね。10年を置いて また大津波がやってきたということでいっ たもうあのね、海に突き出たようなところ み崎っていうのはね、あの津波の高さが 高くなりやすいっていうような特徴もあっ たりするんですけどもういったところは こう人口をねこの済む場所としては危ない まそういった判断もあったのではないかと いう風に思います。ま、今はここは魔人化 がないエリア。ただもう少し期待になり ますね。え、この住民の方もいらっしゃる ということになります。で、ま、本当にね 、この津波に関しては、まあ、そうですね 、どういう挙動を取るのか分からないって いうところもありますね。で、あとね、 さっきあの避難のあの行動のお話もしまし た。車で逃げて巻き込まれた人もいたん ですけども、走って逃げて助かった人もい たと。そういった話もあるんですけども、 もう1個ね、あの83年の日本海中部のお 話しましたよね。83年の日本海中部地震 は屋知島にとっては大ですよ。大詰だった んですよ。2人なくなってます。それも高 4だったんです。高いところに住んでる人 からすれば当時83年の日本海中部地震 って窓の外から津波を見ていったそうなん です。何も自分のところには来なかった。 なのでこの93年7月12日の時も大丈夫 だろうと当時あれだけの王自身でも大丈夫 だったんだから今回も来ないだろうという 風に避難しなかった人もいるそうなんです ね。その方、その後の大津波に巻き込まれ てなくなっております。え、このような形 で津波っていうのはね、過去の事例ってね 、当てはまらない場合もあります。 もちろん大津波、もう30m、40mの 大津波が昔あった。よく言いますね。東 日本大震災の時にも神社があって祠があっ て その江戸時代とかそのもっと前の大津波 ここまで来たからこれより下には立てるな みたいな形の教訓として残されてる神社も あるそうです。そういった巨大津波に関し ては過去の教訓ってすごい役に立つと思い ますね。ただ4m、5mぐらい、これも おめですけども、4m、5mぐらいの津波 で当時大丈夫だからと言って、次それが来 ないかっていうのはなかなか言えないかと いう風に思います。2011年の東日本大 震災がまさにそれを物語ってるのではない かという風に思います。ま、ですので とにかくですね、津波に関しては揺れたら 海岸で揺れを感じたらまず逃げる。これ 鉄速になります。川などを含めますと かなり奥までることもありますからね。川 の付近にいらっしゃる方も注意する。これ 鉄あとはおつ波警報、お津波警報っていう のが気象庁から発表されるということに なります。これ3分できたボ波って書いて ますよね。陸地に近いところで起きたので それだけあっという間に来たんです。です ので、大津波警報この時もね、間に合わ なかったですので、さっきの青の人たちは もうそんなこと聞いてるよもないと。 むしろ交際無線なんて聞こえなかったって いう人の方が多かったらしいんです。ただ それでもいち早く自分で行動して助かった 。そういった事例も多くは多くありました 。ま、そういったところをね、え、まず 教訓として重要になるのかなという風に 思います。で、ま、地震の概要以上という ことになるんですけども、ここからですね 、あの、日本海で起きる津波の特徴、これ について見てみたいと思います。で、 さっきのこの93年北海道南世自身もそう なんですけども、ここプレート協会あり ます。北米プレートとユラシアプレートの 境い目っていう風になってるんですけども 、この教会はですね、こっちの例えば日本 海とか千島海とかあと南海トラって言い ますね。このフィリピン海プレートと ユラシアプレートの境い目。こういった ところに深え比べると海の深さがあんまり まだ深くなっていません。太陽プレートと 、え、北米プレートの境い目だとね、海の 深さ7000mとかになってきますけども 、そんなに深くないということで、まだね 、ここプレート協会としてはね、しっかり とこう明るにはなっていない。ただこの 辺りにはそのプレートの境い目がある だろうということでこの辺りを特に日本海 東援変動隊東の変動の帯日本海東園変動隊 でここで19返す20世紀後半ぐらいから 地震愛についたんです。1つが1940年 み崎沖地震。これマグニチュー7.5です 。64年新潟地震マグニチュウ7.583 年日本海中部地震93年北海道南世地震と 反世紀ぐらいの間で大きな地震が4回続い たんですね。で、その中の1つが北海道 南世地震ということになるんですけども、 この日本海園変動対結構ね、活発化して いる恐れがあるんじゃないかというのも 当時指摘されました。ま、この後93年の 地震の後、幸い7クラス後半のようなね、 大きな地震は起きてはおりませんが、 もっと陸地に近いところですと、2019 年6月山形県の気合いでありましたね。 マグニチュード6.8、え、最大震度6強 というような山形県の沖合いでも、え、 強い地震が起きたりするなど大砲の方がね 、地震活動で結構活発なイメージあります けれども、実際は日本側でも大きな地震が 起きてもおかしくはないといったエリアに なります。で、この日本海側の地震の特徴 っていうの、ま、今お話ししましたけれど も、このエリア、これ今のね、新玄分布に なるんですけども、これ、あ、そうなん、 これ未だにね、余心起きてんですよ。この 北海道南世地震。これ、あの、過去30 日間で体に感じない小さな地震も含めて ポロっとしたものですけども、もちろん あの、体に感じるなものはもうほぼない です。まず起きてないです。ただ体に感じ ない自信未だに起きてるんです。余心が 未だに続いてる。それだけ自信の規模が 大きかったということを示めちゃいます。 で、ちょっと話また戻りますけども、この 日本海側の地震の怖いところもう1個あり ます。ここにさっきプレート協会があ るってお話しました。で、太平側はここに プレート協会が走ってます。これ北日本の 気合です。この距離 太多の方はね、距離あるんです。プレート 協会で大きな地震が起きた時に太平側より も日本海側の方が新源陸地に近いパターン がね、多いんです。新潟地震っていうのは ね、この泡島付近ですね。もうもう陸の すぐ沖きました。北海道南瀬地震津波来る まで3分から5分ぐらいでした。それだけ 陸時に近いところが新玄駅だったんです。 日本海中部地震も第一波まで7分できまし たということで相対的にですね、日本海岸 の津波というのは地震が起きてから来る まで早い傾向っていうのが考えられます。 ノの地震もそうでしょうね。元の地震に 至ってはもうその滑段層がもう沿岸 すれスレにありましたので、ま、津波が 発生しました。これはあの、ま、いろんな あの説あります。ある調査ですともう1分 2分ぐらいで、え、沿岸に来たんじゃない かなという風にもされております。という ことで日本海側で起きる地震っていうのは もうとにかく揺れが揺れを感じたらより 早く逃げる必要がある。多ガの地震津波が ね、安全って言ってるわけじゃないですよ 。側の自震津波であって10分20分 かかってやっていきます。ただ1分1秒 争う世界ですからわずかな時間差が精子を 分けるということになります。太陽側に 関してもあの例えば相トラフここで起きれ ばもうふ単位でやってきますね。もっと 短いかもしれません。南海地震だってそう です。南回地震だって早いところですと3 分前後で来るという風にも、え、言われて おります。開表側も決して安全ではないん ですけども、日本海側相対的に地震が 少ないと言っても地震津波みに対しての 警戒は怠れないということになります。 はい。え、ま、といった形でですね、その 93年の北海道南世地震から日本会の地震 の津波、え、地震津波に関する特徴につい てもお話したんですけども、ここからです ね、ちょっと皆さんからのね、え、ご質問 を受けられればなという風に考えており ます。ま、時間が許す限りで、え、見て いきたいんですけれども、え、そうですね 。 ま、いかがですかね。ま、急にね、 ちょっとこの、え、振られてもっていう話 もあるかも分からないんですけども。そう ですよね。 はい。ま、そうですね。津波タワーね、 頑張って立てている。だからそれもやっぱ ね、場所をとにかく知っておくっていうの も必要ですし、あとはあの、もう普段から どこに逃げるかっていうところをあのね、 理解しておく。アザードマップとか地図と か見ておく。ま、こういったことはね、え 、重要だという風に思います。 あ、そうですね。揺れが小さくても神源が 遠ければ大津波の可能性もある。これ まさにおっしゃる通りです。 あ、1896年の岩手県置き明治 三陸沖置き地震津波がましたね。あれ結構 気合いで起きたんです。しかも揺れが 小さいタイプの地震だったんです。津波 地震というタイプで沿岸この岩手県の沿岸 で感じた故えはせぜ震度2家さん東北の 置き合いなんてそれぐらいの地震っていう のはしょっち起きますから当時もね 1896年の6月15日まそれの地震も皆 さん前気にされなかった明治時代ですから ね津波警報なんてなかったですので何も気 にされなかったんですけどもその後やって きた高さがですよ日本大震災に継ぐ高さ です。え、岩手県、え、で、1番高かった ところが38.2mの大津波がやってきた と。全くね、その良きせぬ大津波によって その明治地震津波というのは実に2万人の 方がなくなるというような、え、そういっ た大津波被害もありました。その時は揺れ が小さかった。信源も遠かったです。 しかも津波地震という揺れが小さいタイプ の地震だったということで油断を招いたと いうことになります。ま、そういったね、 本当にこの津波はね、地震津波みはね、 挙動がね、もうあの予測、予測立たないっ ていうか、もういろんなパターンがあり すぎてもうわかんない。その都度、 いろんなあの高さ、え、いろんな着方、 いろんな速さになるという風には言えると 思います。 はい。 相手が浅いと早く津波が来るんですか? えっとね、これは神元の位置にもよるかと 思います。ただ、あの、大原速は海の深さ が深いほど津波は早い。え、そういった 特徴を持ってます。これもね、あの、もう よくね、あの、もう津波というか、あの、 こういった地震の教科書にも、あの、必ず 乗ってますけども、海の深さが4000m ぐらいだと時速が700kmぐらい ジェット機のスピードと言れますね。網の 深さが5000mまで来ると実に 800kmぐらい、時速800kmの波が やってきます。で、ただね、深さが 1000ぐらいになってくると、えっとね 、360kmか360kmぐらい一気に 遅くなります。沿岸すれスレのところ深さ が数十までなってくると、ま、あの、速 さんがね、時速30kmとか50km ぐらいまで落ちてくるということで、津波 はとにかく海の深いところは早く進みます 。ただし 沿岸部近いところで発生すればですよ。 これはもうその深さが海の深さが浅くて 例えば時速100kmぐらいだったとして も見つけてから逃げるのはもう不可能です よね。え、この 世界記録100m層の世界記録でさえ時速 にするとま、36km 40kmいかないぐらいですかね。時速に して100kmな不可能ですよね。高速 道路走ってる車の遅です。沿岸物ギリギリ まで来た時でも時速30kmぐらいあり ますから、ま、そういったことで見てから 逃げるのは無理ということになります。 ですので、ま、浅から早く到達するという よりは浅速度は遅くなるんですけども、 津波は近くで起きればもちろんあっになっ てくるということで、え、お認識いただき たいという風に思います。はい。東京でも 津波が発生する可能性はありますか?あり ます。あの、ありますよ。東京湾ってあの 普通の方まで行けばあの普通より南の方 まで行けば海の深さちょっと深くなって くるんですけども東時湾の北の方って浅い ですよね10m20mまもうちょっとあり ますかね浅い津波の大きさを決める1つの 要因があって 地震の規模も例えば同じですの深さも同じ です。同じ角度で岩板がずれましたって なった時に津波の規模を決めるのは海の深 さなんです。なぜなら深い海底がね、深い ほど押しのける水の量増えますよね。と なると押しのけられた水が増えるという ことはそれだけ津波の規模が大きくな るっていうのが1個あります。ということ は東京湾とか大阪みたいに比較的浅い ところの海底でもしガ板がこうずれたとし ても押しのけられる水が少ないので規模の 大きな津波にはなりにくいです。ただし ですねつみは発生します。 95年1月の阪神安時代大審査を引越した 兵庫県南部地震となりましたね。 マグニチュード7.3浅い場所で起きまし た。あれ津波があったという風にね、あの されています。気象庁は津波観測してない んですけども、あの別の観測上であの見た 時にですね、高さ30cm40cmぐらい の津波があったという風な、え、痕跡が あったという情報もあります。で、これ なんでかって言うと、海底ずれたんです。 海峡の下で岩板がずれてそれが水を押しけ てま、津波淡路島なんですけどもね、え、 津波が観測されたっていうのもあったん ですけれども、ま、幸い押しのける量が 少なかったので、ま、数cmぐらい、 30cm、40cmぐらいで進んだといっ た事例です。東京湾の真車で起きてもそう いうことにはなるとは思うんですけども、 大きくガ板がね、ずれた場合、ま、その 場合はもう揺れの被害の方がはかに甚大だ と思いますけども、大きくあんまがずれた 場合はそれなり、それなりにね、近くの 沿岸には波はやってきます。遠くまでは 届かない。東京湾を出て遠くまでは行か ないとしても沿岸まではやってくるという ことは、ま、想定されます。ただね、私 個人的にはね、東京湾直下のその津波の 発生というよりは入ってくる方がやっぱ 怖いと思います。あの、 えっと、2011年のその東日本震災の時 は春見で1.3mぐらいの津波来てます からね。実際でもね、外から来る、え、 津波みってのは想定しておく必要があると いうことになります。はい。 はい。じゃあちょっとね、時間もあれです んで、ま、あと1個ぐらいで行きましょう か。 はい。 えっとね、えっとね、横ずれ断層ではどう なりますか?横ずれ断層は、え、津波は 引き起こしにくいということになります。 あの、そうですよね。津波のあの絶対に いる条件は岩板が上下方向にずれ るってこと。あの、どっちかが上がっても いいですし、どっちかが下がってもいいん ですけども、そういうタイプの地震を 起こすのは、えっと、この逆断層タイプ、 あとは正断層タイプ。ま、その2つです。 横ずれは岩板が、ま、こうね、断層が、ま 、あった時にこう、こうずれるタイプを 言います。横ずれ段ですので、改底のこの 上下方向へのこの伝達ってのは、あの、 ない。純粋な横ずれダソですね。それが ないということで解面には変化が起きませ んで、それによって津波みが起こ るっていうことは、え、ないと見ていいと 思います。ただ地震ってすごい いろんなパターンがあるってお話しました けれども、横ずれ断層が基本であっても 多少ガバずれることがあります。の上下 方向にそうなると上にずれるよりはね、 あの小さめになるとはなるということに なるんですけどもずれればそれで海面変化 起きます。海の海の水っていうかね、水 って圧縮されないですよね。基本ね、圧縮 されないので海底がずれればそのまま海面 にこの上下が伝わります。一旦伝わって しまえばそれは津波みとして発砲に広がる 性質がありますんでね。ま、横連れ段素は 基本は津波みに関しては大丈夫な方、え、 この右上ということになるんですけども、 ただそういった中水なパターンといれば 左側の生断層、逆断層みたいな感じでも 混ざってくる。そういった場合は、え、 津波の発生に注意用するということになり ます。はい。 はい。そうですね、ちょっとまたね、あっ という間に時間が経ってしまいまして 申し訳ございません。今日のところは、ま 、一旦、以上とさせていただきます。え、 またね、え、こういった地震ですとか、ま 、津波過去のものに関しては色々お話 できることもあるかと思いますので、また こういった時間を設けたいという風に思い ます。はい。え、ということで、ま、最新 の地震情報についてはお点検アプリ ウェザーニュースでもおいいただけます。 え、今日はですね、この1993年の7月 12日に発生しました北海道南世地震。え 、これについて振り返っていきました。 [音楽]

※質問やリクエストなどありましたらコメント欄よりお教えください!!※

今回の最新気象解説では、過去に日本で発生した巨大地震と津波について、特に1993年7月12日の「北海道南西沖地震」を詳しく掘り下げます。

この地震は、マグニチュード7.8という巨大なエネルギーを持ち、特に奥尻島に壊滅的な被害をもたらしました。津波は最大で30mを超え、地震発生からわずか3~5分で到達。火災も発生し、多くの尊い命が失われました。

動画では、当時の被害状況を写真や地図で振り返るとともに、日本海側で発生する地震・津波の「到達時間が非常に速い」という特徴を解説。また、日本周辺のプレート構造や、地震を引き起こす断層の種類の違い(逆断層・正断層・横ずれ断層)についても分かりやすく説明します。

過去の災害から学び、改めて地震・津波への備えについて考えるきっかけとなる内容です。

0:00 イントロ
1:21 北海道南西沖地震(1993年7月12日)
13:01 日本海の地震・津波の特徴
15:43 日本周辺のプレートと地震のメカニズム
20:09 質疑応答
28:58 断層の種類について

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山岸愛梨 松雪彩花 高山奈々 駒木結衣 戸北美月 小林李衣奈 魚住茉由 小川千奈 青原桃香 岡本結子リサ 田辺真南葉 松本真央 白井ゆかり 江川清音 川畑玲 福吉貴文

<気象解説者(気象予報士)>
山口剛央 宇野沢達也 内藤邦裕 本田竜也 飯島栄一 芳野達郎 森田清輝

35 Comments

  1. 日本海中部地震も秋田県とか青森県とかに結構津波被害があったのを記憶しています。

  2. 震源が奥尻島の側と思ったら、奥尻島含む震源域だったのですね。

    でも3分で津波来たら避難しようがないかな😢

    南海トラフも然り。

  3. 南西沖の時、確か、小学生だったけど断水して給水車に水もらいに行ったり家の近くのマンホールが液状化で地面から浮き上がっていたのを覚えてる(釧路沖の地震の記憶と混ざってるかも)

  4. はっきり言って、私の目がひどく騙されていない限り、目の前にあるものは、間違いなく母親のずたずたにされ焦げた残骸から横向きに生まれた、放射能を帯びた四つ目のある霊長類の汚泥の、気持ち悪い塊のように見えます。それは自分がとても賢いと思っているかもしれませんが、実際には、現在私のかなり高価なベージュの靴を飾っている排泄物よりも明らかに知性が低いです。そして、あのキノコの頭は? まったく笑えます。(笑)

  5. 奥尻は3分、能登は1分、まだ揺れてる中に来る日本海側の津波はとにかく到達が早すぎるのが怖い。

  6. こんなにデータと事実に基づいた貴重な情報をフリーで提供していただけて、しかもわかりやすく、ほんとうにありがとうございます。

  7. 小学校低学年当時、奥尻島と程近い対岸にある岩内町に住んでいました。
    幼かった為、何が起こっているか詳しい事情は当時分からなかったものの、町全体が異様な空気に包み込まれていたのを今でも思い出します。

  8. 前日あたりは異常にウニが獲れたって親戚が言ってました 江差町の海岸沿いの電線に昆布がぶら下がっていたらしいです

  9. 奥尻島の向かい側に位置する北海道瀬棚でも被害があり、瀬棚にある父の実家も被害に合いました。

  10. 当時カメラマンの中村征夫さんが、ちょうど現地にいて津波の被害を語っていたのを覚えています。

  11. 暑くなり海に遊びに行く人や機会が増えてるので、少しでも多くの人に届きますように。
    備えるのと、出掛けた先でも頭の片隅に置いておいて、油断し過ぎないようにしないとな、と改めて思いました。

  12. 巻き込む津波って東日本大震災の時の映像に有りましたね。YouTube上に有った。

  13. 山口さんの一人語り。
    何気にWNIの一番人気ではないのかと思う
    あっという間に時間が経ってしまいます。

  14. もう30年以上経過したのか。
    津波による破壊と暖房用燃料タンク炎上による火災と、
    それまで伝承や事後の写真でしか見聞した事が無かった地震災害がほぼリアルタイム映像で可視化された事が衝撃的だった。
    90年代になってから地震や自然災害が相次ぎ大災害が可視化される先鞭をつけた。
    島嶼部かつ日没後に発生した災害であり翌朝日の出以降に漸く被害全貌が判明するのは見ていて歯痒い感覚を覚えた。

  15. 山口さん時間を作って頂きありがとうございました。
    津波は想像をはるかに上回りますね。日本海中部地震の津波は映像があり津波には1波2波ととめどなく押し寄せてくるしかも変則的に、それが恐怖ですね。
    東日本大震災での津波の動きも沖合からやってきた波が幅の狭い河を上る速さはすさまじかった記憶があります。
    逃げる時は安全な場所までとにかく走る。そのためのハザードマップだと地震が起きるたび思います。

  16. 南海トラフなどは国が進めて強震観測網が設置されましたが、日本は島国。
    国の強震観測網を設置していない地域を優先に行政と連携してWNIがライブカメラ(動画)を設置するのも良いのではないだろうか。

  17. 当時小学生だったけど全く覚えてないなー。島国日本に住んでる以上、学校の授業でもしつこいくらい教えないと。

  18. 能登の時は確か5~10mの津波
    奥尻島は30mと聞いていますから海水がビルのように持ち上がったんでしょうね

  19. 明治三陸地震みたいな震度2とか3でデカイのは避難行動遅れそうで怖いなぁ。

  20. 地震が来て、「でかいの来たな」なんて言ってる間に津波が来て一瞬。。。
    津波の恐ろしさを知らない人も多かったでしょうから、何が何だか分からなかったのではないでしょうか。
    特に夜ですしね。

  21. 丁度此の時、北海道旅行を計画してて上野発北斗星1号に乗ってて、翌日に北海道入りしてる筈が、野辺地で止まってて結局青森で運転して打ち切り。青森駅で事故返しの証明を貰って、何時間掛けて自宅に帰って来た。

  22. 曾祖母がこの地震による津波に飲まれ亡くなりました。昔母から聞いた話では、曾祖母は壊れた家の中でふすまに頭が刺さり血まみれになった状態で発見されたそうです。私が生まれる半年前のことでした。