東日本大震災で子供亡くした夫婦「帰ってきてくれた」家族5人が絵で再会 生き抜く決意新たに (25/07/08 17:20)

今年1月 愛知県田原市の画小林明さんが石巻で被災した負妻負妻の元を訪れていました。品 [音楽] を引き渡し 今野雪さんさん不です。 から行って 東日本大震災発生当時大な津波被害を受けた石牧市大川地区で暮らしていて [音楽] 我が神よりも大切な 3人の子供をなくしました。 あそこでなんか家族取りたいっていうね で一緒に行ってさは小林さんにどうしても描いてもらいたいがありました。 うちのお父さんも はい。 あの、家族写真に映ってないのが多いので、 だからどうしても小林さんにはあの、ま、無事の主人入れてみんなでっていう 人の、 その5 人の絵をちょっと書いていただきたいなっては ちょっと希望としては思って ひゆ幸さんがいつも撮影役だっため家族 5人揃った写真がないのです。 小林さんは抱きしめる思いという プロプロジェクトを立ち上げ、大切な人を なくしたりした全国の家族を尋ね、絵を 描いてきました。尋ねた家族の数はすでに 500に きっかけは東日本大震災の被災地を訪れ、 我が子を失った親の思いを聞いたことでし た。 もう 抱きしめれない子供の親の思いっていうのを絵から伝えて欲しいってことで今野さん負妻の元を訪れた翌日小林さんは大川地区を回っていました。 [音楽] [音楽] かつてこ野さん一家の自宅があった場所。 [音楽] 長女さんと女リカさんは ここで津波に巻き込まれました。 実際に訪れると自然豊かな場所で 温かい家庭が気づかれたことも知りました。 山と川に育てられるってよく聞くんですけど、この山が組んでくれてる感じがして [音楽] 次に訪れたのは長男大輔さんが亡くなった大川小学校。 事前の避難計画が不十分だっために 児童と教職員合わせて 84 人が死亡または行方不明となりました。 博幸さんは大川小学校を巡る裁判で原国団長を務めました。 せめて次の命を守る教訓にという幸さんたちの思いは届き、 学校の避難想定や訓練が不十分だったという訴えは認められました。 すいません。 あそこまで行けてればってことにな。 そうですね。 せめて途中まで行けばやっぱ様子見えからそっからまださらにこ [音楽] 避難できるってこと やりきれない思いが残り続けていることを知りました。 ちょっとまだ言葉にできないですね。はい。整理がつかないというか。はい。より丁寧にちょっとそのうん。 やって向き合っていきたいなってのが流れも感じての 1枚にしたいなっていうのがあってさ せっこの大輔さんを真ん中にその両隣にまりさんとリカさんがいる構図にしました。 [音楽] 絵を見たらこう戻れるというか、なんて いうかそういう1枚だったらとっても 嬉しいかなっていうか子供たちが今のね、 自分たちと一緒にいてくれてるってのが絵 で形になれば 心がね、楽になってくれるんじゃないか なっていうか 全体のバランスを見返しながら思考錯誤を 繰り返します。 悩まれるってことですか? そうね。ま、表情だったりなんかぐるぐるやりながらのあれですね。 [拍手] [音楽] 完成した絵を届ける日が来ました。 ついに ついにはい。 すいません。新潟の展覧会とかあったんで。 はい。あ、 ああ、 すごい。おお。 ああ、すごい。 こんな形で。 ああ。ああ。 こういう感じ。 ああ。本当にバグのああ、感動だね。なんか [音楽] [音楽] いいね。この子供たちが手低限りくれる。 [音楽] うん。そうそうそうそう。みんなね、いだ 家族5 人揃って優しい笑顔を歌べています。回答し 主人は一緒に映ったことないんですね、家族写真で。 だから、あの、その中でこうわ 、笑ってる姿、そういうのを何か残し たかったし、やっぱあったかかったこう 家族なので、やっぱそういう温かさって いうのを残したいなって思って、まあ、3 人に対しての思いのもうずっと言ってます けど、あの、後悔しかて うん。やっぱ死んだら終わりだって。うん 。ただこういう形でこうなんかこの家に 帰ってきてくれたようなうん。やっぱそう いう風な感じはあるよね。平凡にこう 暮らしていきたいと思う反面だよ。 やっぱり震災経験して災害でやっぱり子供 の命 が失われるっていうのは すごく悲しいことだっ 、ま、実感したし、ま、語りもそうだし、 ま、そういうことを少しずつずやって いこうかなと。 小林さんはこれからも家族の絵を描き続けます。 もうあと体2 つぐらい欲しいすけどね。欲しいけど、ま、 [音楽] 1つしかないんで はい。 動けるだけ動いて思いをね、あの、繋いでくっていうか伝えてくさんは語りを続けています。 [音楽] みんなの命ちゃんはみんなで守る。 本当にあの 1人1 人守るんじゃなくて、やはりですね、みんなで守らないと、あの、防災にはならないんですよ。で、自分だけが、あ、分かってるからいいやなくて、やはりそれをですね、みんなに伝えていかないとテンション [音楽] [音楽] きっと見守ってくれている。 これからも生き抜こうとする両親の姿を。

東日本大震災で子供3人を亡くした宮城県石巻市の夫妻が、家族5人揃った絵の制作を画家に依頼しました。
絵で帰ってきた子供たちを前に、夫妻はこれからも生き抜く決意を新たにしました。

2025年1月。愛知県田原市の画家・小林憲明さん(51)が、石巻市で被災した夫妻のもとを訪れていました。

今野浩行さん・ひとみさん夫妻です。東日本大震災発生当時、甚大な津波被害を受けた石巻市大川地区で暮らしていて、我が身よりも大切な3人の子供を亡くしました。

今野さん夫妻は小林さんにどうしても描いてもらいたい絵がありました。

今野ひとみさん
「うちのお父さんも家族写真に写ってないのが多いので、どうしても小林さんにはうちの主人入れて、どうしてもみんなで5人の絵を描いていただきたいなって」

浩行さんがいつも撮影役だったため、家族5人揃った写真がないのです。

小林さんは「ダキシメルオモイ」というプロジェクトを立ち上げ、大切な人を亡くした全国の家族を訪ね、絵を描いてきました。
訪ねた家族の数は既に500に上ります。
きっかけは、東日本大震災の被災地を訪れ、我が子を失った親の思いを聞いたことでした。

小林憲明さん
「もう抱きしめられない子供親の思いを絵から伝えてほしいということで」

今野さん夫妻のもとを訪れた翌日。小林さんは大川地区を回っていました。
かつて自宅があった場所。長女・麻里さんと次女・理加さんは、ここで津波に巻き込まれました。
実際に訪れると自然豊かな場所で、あたたかい家庭が築かれたことも知りました。

小林憲明さん
「山と川に育てられるってよく聞くんですけど、この山が育んでくれてる感じがして」

次に訪れたのは、長男・大輔さんが亡くなった大川小学校。
事前の避難計画が不十分だったために、児童と教職員あわせて84人が死亡・または行方不明となりました。

浩行さんは大川小学校をめぐる裁判で原告団長を務めました。
せめて次の命を守る教訓にという浩行さんたちの思いは届き、学校の避難想定や訓練が不十分だったという訴えは認められました。

小林憲明さん
「あそこまで行けてれば」
今野浩行さん
「せめて途中まで行けてれば様子が見えるから、そこからさらに避難できる」

やり切れない思いが、残り続けていることを知りました。

小林憲明さん
「ちょっとまだ言葉にできないですね。整理がつかないというか。より丁寧にやって向き合っていきたいなって。流れも感じての1枚にしたい。」

末っ子の大輔さんを真ん中に。その両隣に麻里さんと理加さんがいる構図にしました。

小林憲明さん
「絵を見たら戻れるというか、そういう1枚だったらとてもうれしいかなって。子供たちが今の自分たちと一緒にいてくれてるって。絵で形になればちょっと心が楽になってくれるんじゃないかって。」

全体のバランスを見返しながら、試行錯誤を繰り返します。

小林憲明さん
「そうですね、表情だったり、うーん、ぐるぐるやりながらベストのところをあれですね…」

完成した絵を届ける日がきました。

今野浩行さん
「いいね、子供たちが手をかけてくれてね。」

家族5人揃って優しい笑顔を浮かべています。

今野ひとみさん
「夫は一緒に写ったことないんですよね。家族写真で。だからその中で笑っている姿を何か残したかった。温かかった家族なので、そういう温かさを残したいなと思って」
今野浩行さん
「3人に対しての思いはずっと言ってるけど後悔しかなくて、死んだら終わりだって。ただこういう形でこの家に帰ってきてくれたようなそういう風な感じはある。平凡に暮らしていきたいと思う反面、震災を経験して、災害で子供の命が失われるというのはすごく悲しいことだと実感したし、語り部もそうだしそういうことを少しずつやっていこうかと」

小林さんはこれからも家族の絵を描き続けます。

小林憲明さん
「もう体2つぐらい欲しいですけどね。1つしかないので動けるだけ動いて。思いをつないでいくというか伝えていく」

今野さん夫妻は語り部を続けています。

今野ひとみさん
「みんなの命はみんなで守る。ひとりひとり守るのではなくてみんなで守らないと防災にはならない。自分だけが分かってるからいいやではなくて、みんなに伝えていかないと」

きっと、見守ってくれている。これからも生き抜こうとする両親の姿をー。

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