80年前の沖縄を伝えるシリーズ「沖縄戦タイムライン」です。今回は80年前の5月中旬、最前線の状況です。
シュガーローフで戦った元海兵隊員
司令部のある首里を取り囲むように東海岸と西海岸から前進したアメリカ軍。日本軍は、いまの那覇市新都心地区に構築した地下壕などを中心に抵抗しました。「シュガーローフの戦い」です。
シュガーローフは、ビルが建ち並ぶ中にその姿の一部をとどめています。80年前、この場所で戦った元海兵隊員、ニール・マッカランさん(98)です。
(この景色を)覚えています。ここがシュガーローフの西端です。ここでは日米双方多くの命が奪われました。当時、木は1本も見えなかった。
シュガーローフでは、日米両軍がわずか数十メートルの距離での戦闘を繰り広げました。
日本軍の迫撃砲で多くの海兵隊員が犠牲になった。私たちの陣地に迫撃砲を撃ち込み、手りゅう弾を投げてきて私たちも手りゅう弾で応戦しました。夜には白兵戦です。2000人の斬り込み要員が攻めてきました。
互いに手りゅう弾を投げ合う接近戦。日米両軍の被害は膨らんでいきました。常軌を逸した戦場は、次第に狂気に包まれていきます。シュガーローフの戦闘で心を病んだアメリカ兵は、1300人近くに上りました。
アメリカ軍は1週間後に制圧しましたが、死傷者は2600人あまりに上りました。シュガーローフの戦闘について「最も熾烈な戦いだった」と記録しています。
当時18歳だったマッカランさんは、足を撃ち抜かれて戦線を離脱しました。
口にしたのは後悔の念
この日、多くの戦友の名前が刻まれる平和の礎を訪れたマッカランさん。偶然、旅行で沖縄を訪れていた現役のアメリカ軍の兵士と出会いました。
国への奉仕に感謝いたします。偶然あなたのビデオ証言を見たんです。だからあなたに感謝を伝えたくて。
国のために戦った英雄としてたたえられたマッカランさん。しかし、口にしたのは後悔の念でした。
住民の命が失われたことを残念に思います。犠牲を避けるためにできる限りのことをした。起きてしまったことを嘆いている。起きてはならなかったし、そして二度と繰り返してはいけないのです。
激しい戦闘の末、日本軍は、シュガーローフから後退します。そして、アメリカ軍が首里の司令部に迫る中、重大な決断を下すことになります。
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