太平洋戦争中に女性たちが記した日記。食べ物に苦労していた戦時中の生活を克明に記したものばかりです。戦後80年となり、家族を守った「銃後」の女性たちのありのままの姿を見つめ、当時の記憶を伝える取り組みが、千葉県で進められています。

(千葉放送局 東葛支局 記者 木原規衣)

日記に記録された戦時中の生活

色鮮やかな表紙のこちらの日記。東京の女学生が昭和20年に疎開した長野県での暮らしを記しています。

6月のある日の日記には、朝、昼、晩と3食すべてが「大豆御飯」と記録。

女学生は、その日に食べたものを詳細に記録していて、戦況が悪くなる中、食料事情も厳しくなっていた様子が生々しくつづられています。

「銃後の日記」 読み解いて伝えたい

千葉県八千代市に住む島利栄子さんです。

本人や家族から譲り受けた女性の日記を読み解き、当時の人々の暮らしなどについて出版する活動をしています。

戦後80年。今、注目しているのが、戦時中やその前後に書かれた日記だと言います。

女性の日記を学ぶ会 島利栄子さん
女性たちの日記というのは「銃後の日記」なんです。食べ物を家族にしっかり与えることとか、病気の家族を守ることとか。戦った女性たちだと思うんですよね。

年々悪化していく日常生活も克明に記録

当時書かれた日記の1つ。千葉県出身の大島静さんが昭和17年から10年分の日常を記したものです。


島利栄子さん

連用日記という形式です。

同じ日付の出来事を10年分並べて記録するこの日記。

5月30日のページには。

昭和17年
干いわしで花かつお作る。 父おはぎ持ち帰り皆喜ぶ。

ささやかな幸せを感じる家族の日常がうかがえます。

昭和19年
1か月ぶりとうふ配給。

戦況が悪化し、生活に困窮していた様子がわかります。

昭和20年
飯米少なく、お豆も少なくなり、おからの代用食もできず。野菜の配給もなし。食糧毎日苦労する。

終戦の直前で、満足に食べ物がない中でも、必死に生きようとする様子が記されています。

家族が知らない当時の苦労も

日記を書いた大島静さんの孫の、上條順子さんです。
島さんの活動をきっかけに、初めて祖母の日記の存在を知りました。 


上條順子さん

本当に細かい字で、天気まで全部書いてあるのね。書いてない日は全然ない。


上條順子さんと大島静さん

祖母の静さんからは、戦時中の話をほとんど聞くことはなかった上條さん。日記を読むことで、当時の祖母の苦労を初めて知りました。
 

上條順子さん
日記は当時の生活そのものです。すごく貴重だと思いますし、後世に残していかなければいけないものだと思いますね。私の祖母ながら本当に立派だなと思う。

平和の尊さをより多くの人に 

戦争によって苦しい生活を強いられた人たちの実情を知ってもらいたい。
島さんは、戦後80年となるのを前に、女性たちの日記を集めた展示会を開くことを決めました。

世界で戦争が相次ぐなかで、日記を通じて平和の尊さを感じてほしいと考えています。


島利栄子さん

日記を読み解いて、一生懸命そこから何かを学び取ろうとする気持ち、伝えていく思いが次の世代にあれば、きちんと伝わっていけるんじゃないかなと思う。

展示会は7月5日に、千葉県八千代市で開かれ、専門家による講演なども予定されているということです。

展示会 「日記ー戦時を生き抜いた女性たち」

日時 : 2025年7月5日(土) 午後1時~午後4時
会場 : 八千代台東南公共センター5階ホール(千葉県八千代市八千代台南1-11-6)
主催 : 「女性の日記から学ぶ会」

 

「首都圏ネットワーク」での放送内容は、7月10日(水)午後7時まで「NHKプラス」で配信しています。

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