パラオと青森をつなぐプロジェクト

 

ページをご覧いただきありがとうございます!

私たちは青森県にある弘前大学の学生、あんな、こはる、まゆです!

私たちは今、2025年10月にパラオ共和国で開催される独立記念日のイベントに、私たちが暮らす青森の特徴ある文化を紹介するブースの出展を計画しています!

 

パラオ共和国は、太平洋のミクロネシア地域に位置し、世界複合遺産「ロックアイランド群と南ラグーン」に代表される世界有数の美しい海と豊かな自然を持つ、約200の島々からなる多くの観光客が訪れる国です。親日国としても知られています。

 

一方で、かつて日本が統治していた時代があり日本の文化が息づいていたこと、今も地名やパラオ語には日本語由来の言葉が多く残っていること、第二次世界大戦ではペリリュー島が日米の激戦地となり日本側だけで10,000人以上(青森県出身者100名超含む)が命を落とし、戦後80年となる今もなお多くの遺骨が現地に眠っていることを皆さんはご存じでしょうか。

 

実は、私たちは2025年2月、弘前大学の創立80周年記念事業に参加し、初めてパラオ共和国を訪れました。

https://www.hirosaki-u.ac.jp/topics/101110/

 

豊かで美しい自然もさることながら、ペリリュー島に残る生々しい戦跡を巡り受けた衝撃、現地の同年代の学生との交流等から感じた日本との「トクベツ」(パラオ語)な関係の希薄化が強く印象に残っています。

そのときの経験から、「日本とパラオのつながりを絶対に消してはならない」という思いが芽生えました。

 

このプロジェクトでは、戦争の悲惨な歴史を風化させず私たちの世代が引き継いでいくこと、相互理解を進め平和につなげていくことを目的にしており、その貴重な第一歩になると考えています。

 

ぜひ最後までお読みいただき、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

 

自己紹介

 

 
「どうして今まで知らなかったんだろう…」

 

今年2月、私たち(あんな、こはる)は弘前大学80周年記念の先行事業の一環として、パラオ共和国への海外派遣プロジェクトに参加しました。滞在は実質3日間という短い日程でしたが、在パラオ日本国大使館やベラウ国立病院への訪問、第二次世界大戦で激戦地となったペリリュー島の戦跡見学、美しいロングビーチが有名なオモカン島、パラオ短期大学の学生との交流など非常に濃密で貴重な経験をしました。

パラオは第一次世界大戦後、国際連盟の委任統治領として日本の統治下に入りました。日本は1914年から1945年の終戦まで約30年間、学校や病院、道路・水道などの社会インフラを整備し、教育も行いました。そして戦後も現在に至るまで経済協力やODAによる支援を続けています。もちろん統治については功罪両面あると思います。それでも今日パラオが親日的な姿勢でいるのは、先人たちが長きに渡り良いコミュニケーションを取ってきたことによるものです。

 

訪問の中で、特に印象に残っているのがペリリュー島です。

コロール本島からボートで1時間程度、普段青森で暮らす私たちの平和な日常とはかけ離れた、「戦争」について強く考えさせられる場所でした。

とてもここでは書ききれませんが、少しだけ紹介させてください。

 

日本兵が潜伏したとされる「千人洞窟」内部です。ライトの光を頼りに暗く狭い洞窟を少し進むと、ガラス瓶や食器等が散乱していました。暗く蒸し暑いあの環境は、自分だったら一晩も耐えられない。当時どのような思いでここに身を潜め、戦闘し、亡くなっていったのかと思うとつらい気持ちになります。

 

ペリリュー島には当時の戦車がそのまま残されています。

「日本軍九五式軽戦車」は、他に残された米軍の戦車と比べると装甲が薄く、厳しい戦いだったことがうかがえます。

 

「海軍司令部跡」には、弾丸の跡が柱や壁面にはっきり残っており、実際に触れてみましたがそのざらっとした冷たいコンクリートの感触が今も指先に残っています。

 

ペリリュー島の博物館には、日米両軍の武器や遺品、写真等が展示されています。

 

穴が開き、変形するほどの攻撃…兵士が所持していたのなら生き残るのは難しい状況だったと思います。

 

墓地では多くの慰霊碑が並んでおり、線香をあげて手を合わせました。

異国の地ではありますが、まるで日本にいるような不思議な感覚になりました。

 

2015年に天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)が献花されたことでも有名な「西太平洋戦没者の碑」。

中央には目のモチーフがあり、碑は日本の方角を向いています。

 

戦後80年になりますが、ペリリュー島に限らず、激戦地には未だ多くの遺骨が眠ったままです。

遺骨収集は現在も続いていますが、遺族の高齢化も進み、組織の維持が難しくなった遺族会が解散するニュースも目にします。

 

訪問中に交流したパラオコミュニティカレッジ(PCC)の学生には、ペリリュー島を訪れたことのない人もいました。

戦後アメリカの統治下に置かれ、アメリカ文化が浸透し、独立後の政治的な制度も影響して、多くの若者が就職等でアメリカへ渡るといいます。会話した学生も「卒業後はアメリカに行く」と言っていました。

やむを得ないことではありますが、「トクベツ」な関係を築いてきた日本人としては少し寂しいのも事実です。

 

 

何より、戦争の記憶は長い年月とともに風化していくのだと感じました。

私たちの身近な人に聞いてみても、パラオのこともペリリュー島のことも知りませんでした。 大学の記念事業がなければ、私たち自身もこのような歴史に触れる機会はなかったかもしれません。

 

「どうして今までパラオのことを知らなかったんだろう…」

「これだけ歴史的なつながりがある国のこと、ペリリュー島のこと、みんな知らないままでいいんだろうか…」

 

「もっと多くの人に知ってもらうにはどうしたらいいんだろう…」

 

帰国後、私たちは、自分たちにできること・やりたいことは何なのかを考え、今以上にパラオと日本を繋ぎ平和を伝えていくために、パラオの人々と交流する機会を作ることにしました。まずはパラオのことをもっと知りたいと思い、JICAの活動で現地で教師をされている方とお話させていただいたり、パラオの遺構等に精通する第14師団ペリリュー島戦車隊の会の方や多くの訪問歴がある県議会議員、日本遺族会理事の方との勉強会を行ったりしました。

特に、遺族会理事がお話しされた「自分たちは次の世代に繋いでいくということを十分にしてこなかった反省がある」という言葉が胸に残っています。 

 

また、勉強会のご縁から青森県神社関係者大会において私たちが現地で感じたことを発表する機会をいただきました。

さまざまな立場からパラオに想いを馳せる人々が青森にも多くいることは、私たちの大きな後押しになりました。

 

 

このような活動を通して、風化していく戦争の記憶や日本とパラオの歴史的なつながりをより多くの方に知っていただきたいと思いましたし、パラオの人々との交流企画も実施したいと気持ちを新たにしました。

 

私たちが暮らす青森の文化をパラオへ

 

そんな中、在パラオ日本国大使館の方から、パラオには独立記念日のイベントがあり自由にブースが出せることを教えていただき、私たちは「ぜひブースを出して交流したい!」と盛り上がりました。

しかし実は「日本文化」については、在パラオ日本国大使館等が現地で定期的に日本フェアなどのイベントを開催して発信しています。着物や漢字、おしるこ…どれもメジャーな日本の文化です。当然、予算も規模もはるかに大きく、私たちが同じことをやっても…。

それなら私たちは、私たちが暮らす青森の特徴的な文化を通して、パラオの皆さんと交流したいと考えました。

紹介したいものは山ほどありますが、いろいろな制約も考慮しつつ、現時点では以下の内容を考えています。

 

 
さらに学びを深めて社会に還元したい

 

これまで勉強会やヒアリングで、多くの方にいろいろなことを教えていただきました。「ペリリュー島にはこんな場所もある」「当時を知る高齢者に今ならまだギリギリ話を聞ける」「パイナップル工場跡に行ったほうがいい」など…。

今回イベントへのブース出展にあたって、私たち自身の学びも深める機会にもしたいと考えました。ご縁があり教えていただいた場所を中心に訪問し、帰国後に学んだことをまたお伝えしていきます。

 

 
なぜクラウドファンディングを行うのか

 

費用について検討したとき、アルバイトの回数を増やすなど自分たちですべて用意する方法も考えましたが、授業やインターンシップの予定も詰まっており現実的ではありませんでした。このプロジェクトは、パラオについて多くの方に関心をもっていただくことも目的でしたので、クラウドファンディングにチャレンジしてみようと思いました。不足分を支援していただく形になります。正直なところ、どれほど賛同していただけるのか不安もありますが、ご理解・ご支援をいただけますと幸いです。

 
一過性のイベントで終わらないために

 

①定期的なイベント参加、オンラインでの交流継続

今回のプロジェクトをきっかけに、同様のイベントへの参加、独自のイベント開催も検討しています。

また、継続してパラオの方とオンラインで顔を合わせながらコミュニケーションを続けていきます。

たとえば毎回テーマを決めて、お互いの文化を紹介しあうなど双方にとって発見のある時間を作っていきます。

 

②勉強会の継続、広報活動による関心の喚起

これまで同様に勉強会を継続していきます。まだまだパラオについて知りたいですし、お声がけしたい有識者の方もいらっしゃいます。

帰国後の報告会や講演等の他、広報活動も行い、大学生に限らず高校生や社会人などにも参加していただき、活動の輪を広げていきます。

自治体にも協力を働きかけていきます。

 

このように、青森を中心にパラオを通じて戦争の悲惨さを学び、平和に向けて自分たちができることを一緒に考えていくコミュニティを創出します。

私たち若年層が学びながら、戦争の記憶を風化させずに語り継ぎ、そして文化交流を軸に互いを理解し尊重する姿勢を身につけていく社会を青森から発信していきます。

 

 

資金の使い道

 

私たちが用意できる部分以外の不足分をご支援いただき、以下の使途に大切に使わせていただきます。

・渡航費、滞在費

・ブース出展に必要な食品・飲料、消耗品購入等

・各施設訪問に伴う必要経費

・報告会開催にかかる諸経費

 

目標金額を超えた場合には、ネクストゴールとしてブース内容の追加や訪問先の追加等を検討します。

 
現在の準備状況

 

独立記念日イベントの具体的な日程や詳細はまだ出ていませんが、参加申込みは9月とのことで、例年と同様の日程と見込んで準備を進めています。(10/1~10/3のいずれか)

 

・週1~2回の打ち合わせ(ブース内容調整や渡航までのスケジュール調整、関係各位への連絡や情報共有)

・パラオコミュニティカレッジ(PCC)の学生とやりとり(ブース出展協力依頼)

・報告会やリターンの準備

 
相互理解から平和へ

 

私たちはパラオを訪問して、豊かな自然や伝統的な文化、日本との深いつながりを知り、特に現地の方々に温かく接していただいたことで一気にパラオのことが好きになりました。パラオの皆さんが親日的なのは、日本が統治した時代の暮らしが世代を超えてポジティブに語り継がれてきたこと、今日に至るまでODAなど「日本・パラオ友好の橋」に代表されるように日本が支援を続けてきたことによるものです。

 

 

時代と共に形は変わっても、今後も「トクベツ」な関係を維持していきたい。

 

まずは今回のブース出展がパラオの皆さんにとっても青森や日本を深く知るきっかけになってくれたらうれしく思います。

 

 

私たちは文化交流によりお互いのことに興味を持ち、お互いを知ることで、平和に近づくと信じています。

今回のプロジェクトはその最初の一歩です。

 

企画について相談した際に、ある方に言われました。

「君たちは君たちのやり方でやればいい。アドバイスを取り入れるのはほどほどに。今までのやり方でうまくいってないわけだから。」

 

これからも様々な方にご指導いただきながら、私たちの芯にあるものを大切にして進んでいきます。

 

皆様のご支援、よろしくお願いいたします!

 

 

 

※野村杏奈様、五十嵐真結様からプロジェクトを行うこと、名称と画像掲載を行うことの許諾を取得しております。

※プロジェクト成立後、天災等やむを得ない事情(緊急事態宣言などコロナウイルスによる影響を含む)によりイベントが開催できなかった場合、返金いたします。

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