公開日時 2025年06月08日 05:00更新日時 2025年06月08日 12:19
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平和の礎に追加刻銘されたヴァーノン・マーティンさんの名前を前に「感無量だ」と笑顔を見せる、ステフ・パウェルスキさん=5月27日、糸満市摩文仁
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石井 恵理菜
糸満市摩文仁の平和の礎に5年ぶりの米国人として刻銘された、米海軍の衛生兵でミシガン州出身のヴァーノン・マーティンさん。沖縄戦で日米両軍が激戦を繰り広げた「シュガーローフ」で、砲弾の破片が胸に当たり18歳で亡くなった。今回の刻銘に尽力したのが、県内在住の米国人、ステフ・パウェルスキさん(42)だ。刻銘後に平和の礎を訪ね、マーティンさんの名前をなぞると「80年を経てようやく認められた。特別なものだ」と喜びをかみしめた。
米軍基地内で教師を務めるパウェルスキさん。米海兵隊員の夫・ジェフさんの仕事で沖縄に越してきた。二人の子どもたちと地元の公園に行く中で、沖縄戦の戦跡を目にするようになった。
「沖縄には戦争について学べる場所が多くある」。元々歴史好きなこともあり、戦跡巡りを始めた。2022年からフェイスブックで「Okinawa Battle Sites」というページを運営し、多くの文献を読み沖縄戦の情報を整理しながら、自身が巡った戦跡について発信している。
「歩く負傷兵」という名前の写真に写る、米海軍衛生兵のマーティンさん(右)=1945年4月(沖縄県公文書館所蔵)
投稿を通じて24年に、沖縄戦で戦死したマーティンさんの情報を探しているという、米国在住のロバート・マクゴワン2世さんと出会った。マクゴワンさんの父親はマーティンさんと沖縄戦に従事した同僚。平和の礎にマーティンさんの名前がないと分かると、パウェルスキさんやマクゴワンさんらで協力し公文書を集め、戦後80年に間に合うよう刻銘に動いた。
5月27日に平和の礎を訪れたパウェルスキさんは、マーティンさんの名前が刻まれた礎に紙を当て、鉛筆でこすって名前を浮かび上がらせた。刻銘に協力してくれた人たちに送る予定だ。「多くの人がチームで協力して刻銘を実現させた。まるで運命だったように感じる」と笑顔を見せた。
(石井恵理菜)
