コラム:米国債の格下げは長期ドル安を招くか=内田稔氏

 5月16日、格付け会社ムーディーズ・レーティングスは米国債の格付けを最上位から1ノッチ引き下げた。内田稔氏のコラム。写真はニューヨークのタイムズスクエアのモニターに映し出された米国旗。2020年11月撮影(2025年 ロイター/Brendan McDermid)

[東京 28日] – 5月16日、格付け会社ムーディーズ・レーティングスは米国債の格付けを最上位から1ノッチ引き下げた。これでS&P、フィッチと主要3社の格付けが全てダブルAプラス(ムーディーズはAa1)でそろった。見通しも「安定的」で一致している。ムーディーズは昨年9月のレポートで政府債務の拡大が続く場合の格下げを示唆していただけに、格下げは時間の問題ではあった。ただ、トランプ大統領が示した相互関税に触発され、4月に米国のトリプル安を目の当たりにした後だけに、タイミングとしては最悪だ。今回の格下げによってさらなるドル資産離れとドル安が進むとの見方が台頭しつつある。

<悪い金利上昇はドル安要因>

確かに、悪い金利上昇の尺度の一つである10年物のタームプレミアムとドル指数について過去四半世紀を振り返ると、緩やかながらも両者は逆相関の関係にある。すなわち、タームプレミアムが拡大するほどドル安が進む関係だ。タームプレミアムを説明変数、ドル指数を被説明変数とした場合、係数はマイナスの値をとり、1%の有意水準で統計的にも有意と出る。

一方、ドル指数は米国の対外金利差とは正の相関関係にある。金利差を説明変数、ドル指数を被説明変数とした場合、係数はプラスの値をとり、同じく1%の有意水準で統計的に有意となる。この結果から、米国の金利上昇がタームプレミアムの拡大を伴う悪い金利上昇であっても、海外との金利差拡大がドル高をもたらすとの解釈も成り立つ。

事実、2023年8月にフィッチが米国債の格下げに踏み切った際、タームプレミアムの拡大とともにドル指数が上昇した。昨年秋の米大統領選の最中、トランプ氏の再登板とトランプ関税延長の公約を織り込む過程で、やはりタームプレミアムが拡大し、ドル指数も上昇した。結局、「悪い金利上昇」とドルの関係性は不確かでもあり、ドル安、ドル高のいずれに進むのか、その時々の地合いやテーマに左右されると考えられる。

その点、足元では米下院を通過した拡張的な予算案を念頭に「悪い金利上昇」が進みやすい。その上で米国と各国・地域との関税交渉がまとまらない限り、市場はリスク回避的となりやすく、こうした状況での「悪い金利上昇」はドル安を招くおそれが強い。一方、関税を巡る交渉が決着し、不透明感が払しょくされれば、リスク回避色が和らごう。金利が上昇している分、ドルが持ち直す可能性が考えられる。実際、5月12日、米国と中国が相互の関税率を一定期間引き下げることで合意した際にドル/円が148円台まで2円以上も急騰したのはこのケースだろう。このため、向こう数カ月間のドルの方向性は関税交渉の行方に強く影響されよう。

<格下げは米国債離れをもたらすか>

一方、数年先までを見据えると、今回の格下げによって米国債から他の国債へと資金シフトが生じる可能性は否定できない。実際、香港の年金基金が今回の格下げによって米国債を手放す可能性が報じられている。とは言え、銀行の国際的なルール作りにおいて中心的な役割を担うバーゼル銀行監督委員会(バーゼル委員会)が標準的手法として定める海外ソブリン向け与信(含む国債保有)に対するリスク掛け目は、トリプルAもダブルAもゼロである。ほとんどの投資家にとってもダブルAの資産のリスクはトリプルAと同等と考えられる。しかも、主要7カ国(G7)各国の国債の内、格付けにおいて米国を上回るのは前出の3社全てからトリプルAを得ているドイツと3社中2社から取得しているカナダに限られる(英国とフランスはダブルA、日本はシングルA、イタリアはトリプルB)。相対的にみて米国が依然として高格付けである点に変わりはない。

仮に、今回の格下げを理由に米国債を売却する投資家がいるとすれば、ドイツやカナダ国債に振り分けるか、自国通貨のキャッシュ(預金)に置くことが合理的となるが、その場合、市場規模や流動性が障害となるはずだ。なぜなら、各国の政府債務残高(グロス)をそれぞれの国債市場規模に見立てて比較すると米国の約35兆ドルに対し、ドイツが約3.0兆ドル、カナダが約2.5兆ドルと米国の10分の1にも届かないからだ(24年末のIMFデータ)。3社からトリプルAを取得しているスウェーデンやノルウェー、スイス、オーストラリアまで投資対象を広げるとその規模はさらに小さく、米国の1%にも届かない。どの国債市場も米国債から逃れてきた資金の受け皿には到底なり得ず、結局ほとんどの投資家が米国債をそのまま保有し続ける公算が大きい。

<米ドル優位の根源>

米国債の市場規模が他を圧倒している主因は、ドルが基軸通貨の地位にある点だろう。国際通貨基金(IMF)が集計する外貨準備に占めるドルの比率は緩やかな低下傾向にあるとは言え、それでも24年末時点で約58%と依然として最も高く、2番手ユーロの約20%を大きく引き離している。経済規模で米国に次ぐ中国の人民元もようやく2%を超えたに過ぎず、円とポンドはおおむね5%前後で横ばいでの推移が続いている。外貨準備の多くがドル建てで存在する限り、それをプールする巨大な米国債市場がこれからも存在し続けよう。今後、決済通貨の分散が見込まれはするが、それでも基軸通貨としての利便性や有用性に照らし、ドルの地位が根底から覆される展開は考えにくい。

<基軸通貨の交代はあるか>

仮にそうしたシナリオが起こるとすれば、それは米国が自らその地位を放棄するか、ドルに代わる通貨が現れた場合だろう。その点、グローバルな貿易システムの改革や貿易収支の不均衡是正のため、ドル高の是正を論文で唱えた大統領経済諮問委員会(CEA)のスティーブン・ミラン委員長は22日、メディアとのインタビューの中で、ドル安を画策しているとの見方を完全に否定し、強いドル政策を支持する考えを示した。ベセント財務長官も繰り返し、強いドルを支持する構えを強調しており、米国が自ら進んで基軸通貨の地位を放棄するとは今のところ考えにくい。

また、基軸通貨の候補となるのは、事実上IMFの特別引き出し権(SDR)の通貨バスケットに含まれるユーロ、人民元、ポンド、円に限られよう。このうち、世界の名目国内総生産(GDP)に占める規模が3%台の英国のポンドや日本の円が世界のあらゆる決済需要に応えるのは現実的ではない。さらに、新しい基軸通貨は当初急騰を余儀なくされるはずだ。支払い手段として必要とされ、強い需要に直面するからだ。その上、多くの中央銀行が外貨準備のアロケーションを見直す過程で、さらなる当該通貨の急騰を促すとみられる。輸出競争力の維持と物価の安定といった両面に照らし、ユーロ圏や中国が自ら基軸通貨に名乗りを上げるとは考えにくい。

世界の株式市場の時価総額に占める米国の割合は6割を超えており、今回の格下げがそのリバランスのきっかけとなる可能性はある。また、他の2社よりも早い11年に米国を格下げしたS&Pが見通しを「ネガティブ」に引き下げると、ドル安期待が刺激される可能性も否定できない。ただ、様々な観点から現実的に考えていくと、ドルが基軸通貨の地位を脅かされて趨勢(すうせい)的にドル安が進むとみるのも時期尚早と映る。

編集:宗えりか

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*内田稔氏は高千穂大学商学部教授、株式会社FDAlco外国為替アナリスト、公益財団法人国際通貨研究所客員研究員、証券アナリストジャーナル編集委員会委員、NewsPicks公式コメンテーター(プロピッカー)。慶應義塾大学卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、マーケット業務を歴任。2012年からチーフアナリストを務め、22年4月から高千穂大学商学部准教授、24年4月から現職。J-money誌東京外国為替市場調査では2013年より9年連続個人ランキング1位。国際公認投資アナリスト、日本証券アナリスト協会認定アナリスト、日本テクニカルアナリスト協会認定テクニカルアナリスト、経済学修士(京都産業大学)。YouTubeチャンネル「内田稔教授のマーケットトーク」では解説動画を公開している。

*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。

私たちの行動規範:トムソン・ロイター「信頼の原則」, opens new tab

Write A Comment