【津波予報進化のキッカケ】チリ地震津波(1960年5月24日)・日本海中部地震(1983年5月26日)・北海道南西沖地震(1993年7月12日)(山口さん地震・火山解説 part2) #山口剛央

え、今日ですけれども私ですね、今から 津波のお話を、ま、色々してみようかなと いう風に考えております。で、なんでこう いうことを思いついたかと言うと、これは 、ま、私もう毎年ね、この5月の下旬と なると過去に起きた大きな、ま、津波被害 というのをね、え、思うんです。え、1つ が1960年の5月24日、え、日本にお 津波がやってきました。チリ地震津波と いうあ、海外からやってきた大津波だった んですね。え、大変大きな被害が出ました 。そして今日5月25日を挟んで26日 明日です。明日は1983年の日本海中部 地震。え、これは100人以上というです ね。津波によって大変大きな、ま、被害が 出た事例ということになります。ま、この 5月の下旬というのは結構ね、この津波 災害、え、多い、ま、時期に、ま、当たっ てるということになりまして、あ、今週は その辺りのお話とまたこの津波予報の、ま 、進化ですね、そういったものをきっかけ にして今どういう風な、え、この進化を 遂げているのか、今に至っているのか、 この辺りも合わせて見ていきたいという風 に考えております。え、ではですね、まず はその過去の津波、その地震についてです ね、ちょっと振り返ってみたいと思います 。で、1つがこのじゃ、まず知事自身です ね。起きたのは日本時間ですと1960年 の5月23日です。現地時間は5月22日 でした。この数字もうね、あんまり 聞き慣れないレベルですよね。 マグニチュードが9.5となっております 。で、このマグニチュード9.5ですから 、2011年の、ま、東日本大審査を 引き起こした東北地方太陽機震、あの時の マグニチュードが9.0となりまして、ま 、0.5違いますからね。マグニチュード 0.5違うと大体56倍ぐらいエネルギー が違、え、違います。あの東北大北地震 56、6個分のエネルギーをこの地理自身 では放出したということになります。で、 あまりにも規模が大きくて、これね、あの 、 地球自体がこう、こうちょっと縮んだり 膨らんだりしたんですね。地球全体が揺れ たっていうような、ま、そういったぐらい の強烈な、ま、地震だったんですけども、 ま、もちろんマグニチュード9.5です。 当時現地はも大被害、え、数千人という レベルで、ま、揺れだったり、ま、津波の 被害が出ました。で、このここで出た津波 実はね、このバツ売ってんですけど、これ 新玄って言って新源ってあくまでもガ板の 破壊が始まったところなんですよ。で、 そっからこの9クラスになってくると 何百kmに当たってガ板が壊れていくと。 で、このチリ自身大体何北1000km ぐらいのこの看板が破壊されたという風に 見られまして、東日本大震災のあの東北 地方太陽地震あれは南北大体500km だったんですね。破壊された領域が。で、 幅200kmぐらいで、このチリ地自身は 長さ1000kmで幅200kmぐらいえ 、それぐらいのガ板が破壊されるという もう拡段に規模の大きな地震でした。で、 その広大なエリアのガ板が壊れたことに よって当然そのうん、この変化がですね、 回底にえ、伝わります。大津波が発生をし まして司方発砲に広がっていきました。で 、最終的に日本時間の5月の24日の、ま 、明型ぐらいに、え、まず北海道に達し 始めたということになります。え、この5 月24日に来たチ立津波は北海道から沖縄 にかけて主に太川側中心に大被害を 吹き起こしました。え、日本全国で実に 142人が、え、亡くなったり行不明に なるというような、ま、大きな被害が出た んですけども、この知事自身日本でなんで そんなに大きな被害になったんですかと いうことが、え、あります。で、それがね 、これなんです。日本の被害拡大の要因と いうことになるんですけども、ま、ご覧の 通り1つ目がですね、日本会の津波予報 技術しかなかったんです、当時。ま、 つまりですね、遠くの地震、遠くの大地震 が起きて日本に津波が来た時にその どこどこに何メート来るっていう予測技術 そもそも持ってなかったんですよね。で、 日本っていうのは1941年に津波予報 っていうのが実は始まりました。今の津波 予報の全進にあたって当たるものなんです けども、1941年に三陸沿岸の、ま、 津波警報組織っていうのが発足しまして、 それが日本の津波予報の最小だったんです 。で、もっと全国的に展開するのはね、 もうちょっと後です。1949年に、あの 、ま、当時占領ですよね。GH、え、GH 、GHの指示で、ま、津波予報やれという ことが、あの、当時ですと、中央気少代 ってとこですね。あの気象庁の先進中央 気省代にお達しがあってそこでこう慌てて お津波法のえ仕組みをま作ったっていうの が1949年で1952年ぐらいからま このまのえ津波予報のまあ1番この最初の 頃のえ最初の方になるえ津波予報っていう のがましっかり出せるようになったという ことになるんですけどもそっからわずか8 年なんです。 もっと遡って1941年からを起点にして も、え、19年しか経っておりませんでし て、ま、正直のね、日本近海の津波予報 技術でさえね、そんなに発達はしてません でした。ま、しては絵画から来る津波 なんていうのはね、全く予想する技術を 持ってなかったんです。で、もう1個重要 なことがあったんです。これ国際的な津波 予報連携さえなかったんですよね。海外で 起きた地震ということで、ま、あれだけ その知事地震のね、大きな地震になって くるとさっき言った通り地球全体が揺れた ぐらいですから日本にもね、津波、あ、 ごめんなさい。地震が起きたのはね、実は もう分かってたんです。何やら南米で ものすごい規模の地震が起きたぞっていう な、日本の町庁もこれ把握はしていたん ですよ。ただ起きたのは分かってたんです けども、ま、津波が来 るっていうことをあの察知 する連絡手段というかね、海外の情報を 入手するネットワーク持ってなかったん です。で、当時はこれね、米軍からその 地理ですげえ地震があったぞと。太平洋 一体にこう津波が広がってる可能性がある ぞっていう情報は入っていたんです。で、 実際に大きな津波発生して、その後に ハワイに大津波集来したんですよ。ハワイ で実に60人以上の方がなくなるという ような大きな被害が出るぐらいの大津波み だったんですけども、そのハワイに津波が 来たぞっていうのも日本知ってたんです。 市場。ただそれを連携した、ちゃんと連携 した上で予測を出すそもそも持ってなかっ たんですよね。なので日本にそんな大津波 が来て100人以上の人がなくな るっていうような大街はそもそも想定をし てなかったということになります。で、 ここで1つ目の日本のこの津波、え、予報 の、ま、進化の1つになるんですけども、 今はですね、地球規模で起きた、ま、地震 、もうあの即座にね、入っています。お ニュースでもあの世界の地震、あの監視し ます。え、USGSの情報なども監視して いるんですけれどもそれだけね、もう即座 に入ってきます。津波みが起こりそうだっ たら大体規模で分かっています。で、そう いう風な世界の、え、世界規模の、え、 情報を入手するようになるきっかけになっ たのがこの1960年のね、え、知理、 知理地震津波みなんですよ。で、日本の 場合ですとこの後、え、ハワイの太平洋 津波警報センターターっていうのがあるん ですけどね、え、そこからちゃんとこう 情報を入手するような、え、ことを、ま、 やるようになった。え、これによって、え 、海外で大きな地震津波みが発生した時も 日本の方に、え、その情報が、え、入って くるようになった。え、即座に入ってくる ようになった。ま、そういったことがあり ました。ま、この1960年っていうのが その進化のきっかけの1つということに なります。で、もう1個これがね、5月の 26日、明日です。え、1983年の明日 ですね。つまり42年前になるんですけど も、日本海中部地震というのが起きました 。で、これも日本の津波予法の歴史の中で の、ま、大きな転換点ということになるん です。で、起きたのが こちら場所は秋田県沖置きです。日本海に 中部地震という名前はついているんです けれども、実際秋田県沖置です。ちなみに なんでこの日本海部ってのはもっとこっち の方ねイメージしますけど、ま、なんで こんなあの表現になったかって言うと、あ 、これ気象庁のね、え、あの名称のけ方 でいくとね、これ秋田県沖地震とかね、 青森県正法沖地震っていうのがね、あの、 ま、正しいというか、ま、合致するんです けども、秋田県の沖きとかって言うと ちょっとね、あの、被害がすごい限定的な イメージが出てくるというのが1つあり ます。一方でね、日本海中部地震っていう 表現つけたその1つがね、やっぱね、広域 なんですよ。災害屋でも大きな被害出て ますね。あとは東北の日本海画なんて もちろんです。あと北陸屋さん山と言うと ロシアや韓国でも、え、大きな津波被害が 出たというのがこの日本海中部地震だった んですね。ま、そういったこともあって、 あまりこうエリアを限定ちょっと広めに 影響したよっていうところを、ま、意味 持たすために、ま、日本海中部地震という ちょ名前がついたっていう背景もあるん ですけども、とにかくこれも規模が大きい です。マグニチュードが7.7の14km 浅王地震でした。で、これによってこの 青森県や秋田県を中心にやはり大津波です ね。で、地震の揺れとしてはそんなに極端 の大きなものじゃなかったです。え、この 時は、え、深、秋、え、それ秋田ムつ深か 、え、青森から秋田で震度5だったんです よと。え、一方で津波はもう大規模被害を 引き起こしたとこういったレベルでして 実者104人のうち100人が津波による 犠牲者ということになりました。ですので この日本海中部地震はもう基本的には津波 被害が最も大きかったということになり ます。で、ちょっとね、 この写真をね、ご覧いただきたいんです けど、1回私に戻していただいて、えっと ね、この写真をね、見ていただきたいん です。これ日本海中部地震当時の、ま、 被害をた写真になるんですけども、ま、 ご覧の通りですね、これは小が半島です。 北県の小賀半島。もうあのつ波が収まった 後の穏やかな海面が広がってますが、波に 打ち上げられた船というのが岩場に残って います。この時最も高かったのが秋田県の 、え、峰浜村。今の発方町なんですけども 、高いところがね、14mの津波が、え、 押し寄せたということよになります。で、 この船ももうあれですね、もう津波が 上がってきて、もう陸の方に押しられて、 で、その後波が引いていって陸に取り残さ れる。東日本大震災の時にもね、え、あり ました。こういったこの津波によって もっと巨大なね、貨物線などがね、え、陸 の方にお知らせだっていうのはありました けれども、ま、この秋田、あの、この日本 会部自身でも同じようなことが見られたん です。で、あとね、この写真は私がですね 、あの、ま、これ起きたのがね、小学校の 、ま、5年生の方になるんですけども、 すごいね、戦列に覚えてるんです。ね、 当時の新聞にもの被害写真乗ったんですよ ね。私小学校5年生でしたけどもすごい 覚えてますの、その衝撃。これ今からお 見せするやつでこれ津波の恐ろってこう こういうことなんだなっていうのがね、 分かります。ちょっと画面暗くて恐縮なん ですけども、これ青森県の13個という 奇水です。海と繋がった湖があるんです。 え、今はね、誤所川らしいになってますね 。当時のシ浦村で撮影された写真なんです けども、これここにね、暗いんですけど、 人が映ってるんです。何人もここに映っ てるのおそらく4人ぐらいだと思われます ね。で、あとはちょっとこれね、見にくく て申し訳ないですけど、この辺りに56人 の方がね、映っているんですよ。で、これ 一見何気なく見える海際の写真なんです けどね。これ後ろに来てるのは津波なん です。もうここまで来てます。これです。 この時13個を沿った津波の高さ実に6m 。何にもないですよね。砂浜です。まあ、 なんかゆるものがあれば津波みっていうの はね、そこでエネルギーを落とすってこと があるんですけども、もう何にもない ところですから、津波はもう一気に 押し寄されたということで、この写真映っ ているんですよ。手前に車ありますよね。 この辺り車ありますけれども、これ次の 写真こちらなんですね。ちょっと寄って ます。で、ここに車映ってます。さっき2 台映ってましたけども、1台ね。この辺り にいらっしゃった方が車で逃げたんです。 逃げられたんです、この人たちは。ただ この辺りにいらっしゃる方 はもう姿ってませんね。津波に巻き込まれ たということになりまして、この13個で 6人なくなってるんですね。さっき映って いた人たち全部で9人、え、いらっしゃっ たんですけども、そのうち3人の方が 亡くなって、え、6人は、え、助けられた と。この辺りの船に助けられたそうなん ですけども、13校の別の場所では他に また3人なくなって合計6人なくなったと こういった、ま、その第3次のね、え、 瞬間を捉えたこの連続写真、当時は連続 写真だったんです。ま、こういったこの 津波の恐ろしさというのをね、まざまざと 見せつけたというのが日本海中部地震でし た。で、この日本海中部地震に関しては 被害がね、人大なものが出たんですけども 、大きな被害になった要因、これを ちょっと見たみたいと思います。これね、 もうあの当時から、ま、言われております けども、被害拡大の 要因大きいのがこの津波警報発表が津波の 到達の後だったんです。地震が起きたのが 12時頃、ちょうど小午後頃に聞きました 。第1 波秋田県の沿岸に届いたのは12時7分 だったんですね。7分後。一方で津波警報 を発表されたのは14分後、12時14分 だったんです。え、ですので結局ね、津波 慶、大津波慶は間に合わなかったんですね 。で、もう1つはこの日中隊で海岸近に 多くの人がいたということになります。今 のさっきのこの13校で巻き込まれた人 たち、あれ釣り用されてたんですよね。 釣りをしている人たちが巻き込まれたと こういったものを言いました。え、もこの ね、この、え、日本会中部地震の場合は、 え 、えっとね、例えばあの、あ県の代子、 の代しコですとね、全部で41人の方がね 、え、津波で巻き込まれてなくなってるん ですけど、それなんでかって言うたら、港 の工事をしていた人なんですよね。で、 悲惨な事例としては、えっとね、これは 小賀半島ですね。え、秋田県野賀半島で あった事例でこれ、ま、お昼だったので 遠速に来ていた小学生が多数巻き込まれた んです。え、小学校の遠足でちょうど12 時過ぎの地震ですからね。これお弁当の 時間、え、海岸付近で皆さん寝を休めて、 え、お弁当食べようとしてた時に大きな 地震が起きた。で、その後津波警報出る前 にそのやってきましてね、え、13人小学 生かな遠速でのこの、え、小学生13人が なくなるというような、え、そういったね 、え、悲しいこともありました。このよう に日中代で多くの人が現場にいたっていう ところも、え、被害拡大の大きな要因と いうことになります。あとはこの津波に 対する過去の認識。これ は秋田県、当時の秋田県の、ま、独特の点 もあったかもしれません。え、 1939年に小賀地震っていうのがあった んですよ。秋田県小が半島で大きな地震が あったんですけども、その時は実は山崩れ 自りで結構大きな被害だったんですね。 津波はね、被害ほとんどなかった。 ほとんどなかったから基本なかったんです 。で、同じく1964年、今度はね、岡島 沖地震ってのが起きたんですけども、これ も大きな地震だったんですけども、あの、 これも特に津波み被害はなかったんです。 ただその1939年の地震などは山崩れ ですから、つまり逃げる方が山ではなくて 海に逃げるようにっていうような認識が あったという話があります。で、一方で この日本海中部地震揺れの被害も確かに あったんですけども、津波の被害が人代に なったものということでと、昔のこの過去 の認識とは逆のことが起きてしまったと いうことになります。ま、そういったこと もありますし、あとそもそもこの当時、ま 、このね、あの1980年代とか90年代 前半ぐらいまでに言えるんですけども、 これ私もう1個覚えてますよ。1993年 のね、7月12日の北海道南世地震、え、 というのがあったんです。薬島でね、大に なったやつなんですけども、このその頃 ぐらいまではね、これね、大津波警報出て いるのにですね 、テレビのカメラがね、海岸映しに行って んですね。港を映しに行ってんですよ。 そこにいらっしゃるんですよね。眼璧に 立ってこうリポートしてんです。大津波 稽古出てるのに。消防の人たちもね、津波 の高さ測ってんですよ。がで、その港で それぐらい警報とか大津波警報とか津波 慶王に対する意識ってのはね、非常に 低かった時代んですよね。で、この 1983年日本間中部地震の時も皆さんね 、陸あの沿岸ですごい揺れを感じてんです よ。揺れを感じているんですけれどもそれ を即危ないと感じて逃げなかったんですよ ね。え、そのさっきの13校のこの釣り人 が巻き込まれた話とかもありますけども、 そういった人たち津波に来たのが12時で 30分40分ぐらいだったと見られます。 12時に揺れを感じていて、その後30分 40分逃げたかったんです。で、それに よって結局来てしまって巻き込まれた。 代ロなどもね、同じことが言えるかという 風に思うんですけども、ま、ね、当時と今 では津波に対する認識っていうのは そもそも結構違ったっていうのがこれはね 、全国的にも言えるんじゃないかなという 風に。ま、三陸あたりはね、え、元々 大きな津波被害を受けてるので、そこそう いったところはね、ま、別だと思います けども、津波被害をあまり受けてこなかっ たところは全国的にそういった共通的な 認識があったのではないかという風に思い ます。ま、そういったね、背景が色々ある んですけども、その津波予報の進化という 観点でいくと、やっぱこれをどう改善する か 。これですよね。12時、12時に地震が 起きて津波が来たのが12時7分。大津波 警報が出たのが12時14分。なんとか これを短くできないのか。これがその後 かなりやっぱり問題になったんです。ただ 当時は当時としてはね、別に14分後に あの大津波三津波警報を出すっていうのは ね、これは当時としては合格点だったん ですよ。一応20分ぐらいを目に20分 までを目ドに出すっていうのが当時の運用 の、え、基準だったんです。え、それにを 、ま、クリアして14分で出したんです けども、津波の方が早かったということに なりますね。ですので、この後1980年 代後半になって、ま、省庁も、え、津波を しっかりとこの早く出すためのシステムを 、え、構築しました。え、地震津波、え、 関数、え、地震津波総合監視システムとか ね、そういったものを、え、作ったという ことになって、その1980年代後半以降 は一応ね、5分で津波予報を出せるように 、え、なったんです。え、実際そうですね 、80代後半はね、実際大きな地震津めて なかったんですけど、ただ 1990年の、え、北海道東方、え、 北海道南世地震、さっきのお尻党の津波 なんていうのはね、え、地震発生から5分 で確かに津波警出せたんです。それぐらい その10分20分かかってた世界から一気 にこう縮めるっていうことができたんです けども、ま、その1つの、ま、きっかけに なったのが1983年の、え、日本海中部 地震ということになります。で、これまだ ね、その先の話があって、今お話しした 1993年の北海道南世地震津波警報を5 分で出すたんですよ。当時は合格なんです よ。ただこの資料を襲った大津波地震発生 から3分で来ちゃったんですよね。日本、 このね、日本はこのやっぱ海に囲まれて おります。陸の近くで津波が起きた時と いうのはそれだけやっぱり早く来てしま うってことがざに起きる技術がどんどん 発達をしていますね。人間もこれにそれの この自然にこうなんとか勝さろうとして 一生懸命頑張るんですけども必ずその上を 置くっていうのがね、この試練。特にこの 地震津波の世界っていうのはそういった ところがね、昔からいっぱいあるんです。 2011年の、え、東北地方太陽機震。 この時は3分で出さんですよ。14時46 分の地震に対して14時49分に大津波 警報を出せたんですけれども、2011年 の地震の時は何が失敗したか?高さの予想 なんです。6mと予想したんですね。宮城 県で6m、岩手県と福島県で3mという ことで、大津波警報が3分で出せたんです けども、実際に来た津波は10数、高い ところは30m以上にするというような高 さのところの予想ができなかったという ことで、もうどんどんどんどんね、この 人間の上を行くっていうのがね、ま、津波 、え、地震津波という世界になります。で 、今お話ししたその1960年の、ま、 海外の津波を、え、感じするっていう ところでの、ま、進化で1983年の、え 、日本海中部地震は何か速さを改善するっ ていうところでの進化で、2011年の、 え、あせ、え、1993年の、え、北海道 南世地震、これ3分で来たので3分で 出せるよ、出せるように速さを、ま、進化 させました。で、2011年の東北地方 太平地震は高さ予測といった点での、ま、 進化。こういったところがね、図られてい ます。ま、2011年の東北地方代表機の その高さの、ま、お話は、あ、あのね、 細かく言うとまた長くなっちゃうんで、 あの、短く言いますけど、昔はあの、 1999年に高さ予想っていうのはね、 あの、え、それもね、改善されたんですよ 。えっと、0.5、1m、え、 23468101m、10m以上かという 形での細かい予想に99年に改められたん ですけども、結局ね、今もっと荒くして ます。えっとね、え、1から3mで、え、 警報で3m以上で、え、3m超えるで 大津波み警報で、その上のランクも、ま、 5m、10mといった形で、昔はこのね、 2mとかの4mとか6mとかものすごく 細かかったのもね、あの、1個にしてます 。あんまり細かくしても意味ないんですよ ね。で、細かくすることによって津波の 予想高さなんてですね、誤差だらけです から、今でも誤差だらけなのに対して あんまりこう刻んだ予想を出してもね、 むしろ下手すりゃ安心につがっちゃいかね ないんですよね。4mと、え、10mって 全く規模変わってきます。で、も昔あの4 とか10とか細かく出したんですよ。今だ と5、10といった形で出してきて結構ね 、あのギュっとくってます。5mと10m でも相当違うんですけども、予測を出す上 ではだいぶね、あの5と10では比較的 出しやすいと表現もありますけどもね、ま 、なんとなくこう計算はね、え、つくよう に今なってきております。ということで今 ね こうい刻みにしてるんですけども、それ だけ分かりやすいですよね。大津波警報 っていうはもう我々あのとにかくもう高台 に国早く避難っていうのはもう皆さんも 認識化されてると思いますけども、ま、 そういった高さ予想の点での、え、改善と いうのも、え、今2011年をね、え、境 にまた図られているということになります 。ま、こういった形で、ま、え、その改善 にはね、その地震津波みによる犠牲って いうのがあるんですけども、それを無駄に しないための改善度がどんどん測られて いる。ま、それが今に繋がっているという ことになります。え、ちなみにそうですね 、え、2024年去年1月1日のノ半島 自身は大津波慶を出ました。津波慶が第 1歩で出たのは地震から2分後でした。え 、 2010年去年の8月8日にヒガナで起き ましたね。地震ありました。あの時津波 注意が出たんですけど、あの時も2分で出 てます。ということで、ま、速さの 方だいぶ改善はされてきてるってことある んですけども、ま、ね、あの、ま、それで も海の近くにいらっしゃる方はもう とにかく津波警報以前にまず逃げ るっていうことはね、強い地震を沿岸で 感じたらやるとことは非常に重要かという 風には思います。はい。そうで、ちょ、 また長、長なくなっちゃってね、申し訳 ないんですけども、あの、ま、こういった 形でですね、今ね、横でチャットをね、 あの、また拝見しておるんですけれども、 いや、そうですね、このやっぱね、この 津波に関してはね、皆さんもやっぱりね、 もう2011年を持ってですね、すごい 認識、認識されてるかと思います。同じ ようなことはこう次の南海トラフ自身とか ねえ、ま、どこで起きるか分かりません けども、ま、東北の起きとか北海道起きと かだったらマグにちょっと8クラスの地震 が起きるとかね、え、そういった時にも 繋がっていく、え、通じるお話かという風 には思います。はい。ね、そうなんですよ ね。地震でもね、津波被害はやっぱりね、 出たということになりますね。はい。なの でね、これはもう本当に非常にもうこれね 、構成語り継ぐべきかの災害の、え、いく つかということになります。はい。で、 あの、先週も私、5月18日の時にですね 、アメリカのセントヘレンズ家壇のお話を しました。で、そん時にですね、あの色々 ね、あの、コメントいただきまして ありがとうございます。あの、チャットで も頂いてましたし、あのYouTubeの あのコメントでもいいておりましてね、え 、非常にこのありがとうございました。 あの名させていただきまして、あのいくつ かね、あのYouTubeのコメントとか でも書かれたんですけども、あのこの火壇 気になるなみたいなをね、お話をされて ました。私、あの、そうですね、1個ある なと思ったのが、あの、 箱根山ですね。神奈川県のあの、箱根の、 え、お話書いてる方がいらっしゃって、 そうなんです。根山ね、あの、噴したのが ね、2015年6月、ちょうど今からね、 10年前なんです。あ、お、10年経った かって思って、そのコメント見て思い出し たんですけども、ちょっとね、時間をして 申し訳ないんですけども、その箱根山のね 、え、お話ちょっとだけやらせて いただければという風に思います。で、 箱根火山、え、その2015年に噴火し ました。え、ま、場所はね、もうあの多く の方ご存知だと思うんですけれども、 神奈川県の西武にあたりまして、普段 あんまりね、噴火、え、普段あまりね、て いうか、あの、滅たにね、噴火しない、え 、山ということになるんですね。あ、 ごめんなさい。こっちですね。あの、恐れ が噴火したということで結構ね、あの、 当時大きなニュースになりました。で、 しかもやっぱね、大きなニュースになるの はやっぱ人が多い、近づく、容易に 近づける場所っていうのが多いですね。 やっぱこの場所です。ま、この先週のね、 お話ししましたけれども、日本レッド傘勝 さん110個ありますけども、その中の1 つです。で、ただね、この箱根やま、この 2015年の6月の、え、29日ですかね 、え、噴火、え、したんですけども、非常 に規模の小さい噴火でした。で、この箱根 はじゃあね、マグマ出すような噴火って もう3000年前まで遡るんです。そっ からあとは何かって言うと、いわゆる水蒸 機噴火と言いまして、マグマはね、 もちろん地面の中あるんですよ。熱い塊が あるんですけども、マグマとその地下水が ね、直接触れ触れない。マグマによって 関節的に温められた地水がこう膨と噴火 するのが水蒸機噴火って言うんですけども 、そのタイプがね、ずっと続いてます。 マグマ出るのは3000年前でした。と いうことで、あんまりこう今はね、規模の 大きな噴火が起きるような感じにはなって おりません。ただ時折り活動がするんです 。2015年はその水上噴、あ、小規模 でしたもね、あったんですけども、その後 2019年この時はね、軍発自身があの 多発した事例もあります。実は結構最近も ね、そういったことが起きておりまして、 まだまだ活動自体は続いてるっていうのが 箱根の、え、特徴であります。で、箱根は ね、もう5万年、6万年前っていうような 、もう我々の感覚から行くと大昔にこれ もう大規模分か起こしてるんですよね。 これはもうあのね、火災流をこの関東の 南部の方まで、え、こう運んでくるような 非常に規模の大きな噴火が、ま、出たよう な、あったような時代っていうのが5万年 6万年前とかっていう頃にあったんです けども、ま、それぐらい昔はね、非常に 怖い火山、規模の大きな噴火を起こす火山 でした。ま、今もう当然火山です。勝山 ですからね。怖いのは怖いんですけども、 規模としてはそこまで大きなものではない と。ただ1個あるのは人が容易に近づける んですね。この2015年の場合大枠煮で の噴火だったんですね。そういうことで やっぱね、小規模でも噴火した場合は人的 機会が出る可能性がある山ということが 言えます。ま、こういった、あ、火山、ま 、余因に普段近づけるところであっても やっぱりですね、火山情報に関しては特に 意識をする、より意識をするね、え、必要 があるかという風には、え、思います。 そうなんですね。本当にね、簡単に行ける 場所であるんですけれども、実は数か山だ という認識も必要ということになります。 ま、ということでですね、今日はその津波 予報の、え、進化歴史のお話をもに、ま、 最後ちょっと火山のお話もいたしました。 え、ま、最新の地震火山津波に関する情報 についてオテアプリウェザーニュースでも ご覧いただきます。

※質問やリクエストなどありましたらコメント欄よりお教えください!!※

0:00 イントロ
1:21 チリ地震津波(1960年5月24日)
8:21 日本海中部地震(1983年5月26日)
20:09 その他の地震
26:27 活火山・箱根山

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<気象解説者(気象予報士)>
山口剛央 宇野沢達也 内藤邦裕 本田竜也 飯島栄一 芳野達郎 森田清輝

27 Comments

  1. まさか地球の裏側で起きた巨大地震で発生した津波がはるばる日本まで到達するとは、当時の日本では思わなかっただろうな…。

  2. 1700年のアメリカ北西部で起きたカスケード地震からの津波も日本と繋がりあって興味深いよ。当時この地域にはほとんど人が住んでおらず、文献もなかったけど、倒木などの状況証拠から1699年~1700年の間に大地震が起きたと推定されている。そしてほぼ同時期、日本では「みなしご津波」が元禄12年(1700年)に記録されており、日米の地質学者が共同でアメリカ北西部で起きただろう「カスケード地震」と日本で起きた「みなしご津波」が結びつき、歴史の謎ときに繋がった。

  3. 地球が丸い球体である以上、遠く離れた場所であっても、海が水で覆われているので影響は避けられない、という事ですかね。
    被害が出るまで想定されなかった、という点は残念ですが。
    過去には同じ様な事が起きたのでしょうけれども、時とともに忘れられてしまうのでしょう。
    伝える事の大切さ、ですね。

  4. 奥尻島の津波は30メートル近くまで到達したって祖母から聞きました
    震源地から近く避難してる間に大津波が来たみたいです

  5. チリ地震津波って、森田さんが小さい頃に飲み込まれた経験があると言ってた津波ですよね。

  6. 日本海中部地震は、小学校の遠足で海岸に来ていた小学生が津波に飲み込まれて大勢の被害がでたという記憶があります。

  7. でも、東日本大震災の津波って実は福島沖の試験運用中だった計測器では10mの津波を計測してたんだよね。活用されなかった。TBSの「夢の扉」という番組で取り上げられてました。

  8. 自然の試練を人は受けて立つしかない。防災には限界がある…減災しか出来ない。しかも、一人一人が前もって対策出来るかどうかに依存する。
    その為には地震の発生や津波予測をどのように人々に早く分かりやすく伝えるのかは最重要なんですよね。きっと。
    今の津波注警報は、遠地地震でも発表出来る。最短で2分で出せる。高さも簡素化して、巨大とか分かりやすく表現して工夫してる。でも…これでもまだ課題はあるのでしょうか?

  9. 日本海中部地震の遠足のお子さんが亡くなられたのは、当時ほんとに衝撃的だった。

    あと、北海道南西沖地震当時のニュースを見ると大津波警報ってアナウンサーが言ってても、画面が津波警報のままだったんだよねー。

  10. 日本海中部地震については、そもそも当時では日本海側では津波は来ないという思い込みがあったと聞いたことがある。
    北海道南西沖地震は、奥尻島については震源域全体が含まれていた。奥尻島は岩盤が破壊された震源域のすぐ傍だから、奥尻は間に合わなかった。(ましてや、震度計が奥尻にはなかったということも大きい。)

  11. 奥尻の津波経験者です、あの時はめっちゃ怖く鮮明に覚えてます。
    後にわかった事ですが、発震から2〜3分くらいで津波が来た事がわかりました。

  12. 日本海中部地震が5月26日でした。
    前にも投稿したオカルト的な話ですが、5月23日から5月26日は震度5以上の揺れがなぜか集中して起きています。
    東日本大震災の3月11日や10月23日の新潟中越地震など多くの余震によって震度5以上を同日で観測した日を除くと
    過去590回の震度5以上の地震の中でこの4日間に17回と単発的な震度5以上を記録しています。
    今年も、震度5にはなりませんでしたが、5月23日に増加傾向があった浦河沖で比較的大きな地震がありました。
    今のところ、直近10日間で浦河沖みたいなデータが出ているのが
    三陸沖 9 10 7 7 13 8 12 6 9 8 89

    日向灘 2 4 2 9 10 4 3 10 4 4 52

    の2か所です。
    起きないことがなにより1番です。

  13. 奥尻の時、現地に取材で居た水中写真家の中村さんが必死で上に逃げた、と語っていました。

  14. 岩手県民なのでありがたい動画です岩手と津波は切っても切り離せないので、岩手には「津波教育」伝承「津波でんてんこ」があるほどなので

  15. 勉強になります。トンガでの海底火山噴火で津波の予測が難しく、日本では到達してから予報が出たのでこの事象もアップデートされていくだろうなと思いました。

  16. 3.11の当初はM7.9更新で8.4▶8.8▶9.0と発表されてますが地震規模が最初からM8.8くらいで観測できていれば津波の高さの予想も変わったんでしょうかね??

  17. 予測には限界があることを認識しているだけで対処方法が違うんだろうから、強い揺れがあったら、水辺にいたら即高台に避難。
    結果、何もなかったらそれはそれで良いんです。
    津波警報が出る前に津波は到達する可能性がある、津波の心配がないと発表されるまでは起きる前提で行動をするのが大切、だからまずは有無を言わさずまず避難。

    過去、外国で地震が起きたときに、日本人が津波が来るから避難しろ、って現地の人を説得して避難させ、後に大津波が押し寄せて多くの人命を救った事例などがあるそうです。
    これも、日頃から災害に対峙してきた日本人にしかわからない経験と感覚からなのでしょうが。

    あと、津波は30センチでも足元を平気で掬われて流れに持っていかれる、絶対にナメたらあかん。

  18. ちなみにNHKテレビの確定放送記録だとチリ地震津波の時は津波があったってことだけを通常番組の合間に流して、翌日からは歳末たすけあいの特別版を始めてる程度ですね
    そもそもNHK、岩手放送とも釜石や宮古はテレビ開局前でラジオ頼りでした

  19. 2010年2月のチリ地震津波の時、南三陸町で1メートルの津波を観測されました。
    湾内の養殖いかだに被害が出ましたね。

  20. 日本海中部地震は当時小学1年生、夏休み前の人生初の避難訓練の時にビデオ録画されたニュース映像を見て、これが2ヶ月前の事だと言われて凄く怖かった記憶があります。訓練中はワイワイ面白がってたけど、視聴覚室でビデオ見て本当に地震がきたらこんなに恐ろしいんだと小さいうちに認識できたことは人生においてとても大きな影響を受けたと思います。