台湾で最も有名な日本人は誰か。ノンフィクション作家・早坂隆さんの『戦争の昭和史 令和に残すべき最後の証言』(ワニブックス【PLUS】新書)より、日本人土木技師・八田與一(はったよいち)のエピソードを紹介する――。(第1回)

八田與一の銅像
八田與一の銅像。八田與一と妻外代樹の墓。台湾台南市烏山頭ダム(写真=ellery/CC-BY-SA-4.0,3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons)



台湾人で知らない人はいない日本人の正体

台南の市街地で拾ったタクシーの運転手にその行き先を告げると、彼はこう言って笑った。「私たち台湾人にとって大切な場所ですからね。知らないはずがありませんよ」


水田や果樹園が広がる景色の中を一時間ほど走ると、その「大切な場所」に辿り着いた。その地を「烏山頭うさんとうダム」という。このダムとそこから流れ出る農業用水を整備した人物が「台湾で最も尊敬される日本人」と称される八田與一はったよいちである。


台湾の教科書には彼の功績が写真入りで大きく掲載されている。明治19(1886)年2月21日、石川県河北かほく郡花園村はなぞのむら(現・金沢市今町)で生まれた八田は、第四高等学校を経て東京帝国大学(現・東京大学)に入学。工学部土木科で最新の工学知識を学んだ。卒業後、八田は台湾に渡った。総督府の土木局に勤務するためである。


日本が台湾の開発に注力していく中、八田は南部の嘉南かなん平野における灌漑工事を任された。当時の嘉南平野は、深刻な干魃かんばつが繰り返される不毛の土地であった。農民たちは慢性的な水不足に悩まされながら、貧しい生活を送っていた。逆に雨季には洪水が発生する時もあり、治水事業はこの地にとって大きな課題であった。


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