ワールドシリーズ制覇を果たしたドジャースの一員として日本に凱旋した大谷翔平。規格外のスーパースターの活躍を、地元の人々はどう受け止めているのか。大谷が生まれ育った岩手県奥州市を訪ねた。(全2回の1回目/後編へ)

 真美子夫人との結婚にはじまり、元通訳の不正送金問題、新天地ドジャースでの驚異的な活躍、史上初の「50-50」達成、そしてワールドシリーズ制覇に2年連続のMVP――2024年は、例年にもまして“大谷翔平の年”だった。いかなる力学が働いたのか、新語・流行語大賞に選ばれたのは耳慣れないドラマの略称だったが、少なくとも「50-50」のほうが世間一般に浸透していた印象は否めない。

 とはいえ、もはや大谷の存在は流行の枠に収まるものではないのかもしれない。この国の平均的な情報環境で生活を送っていれば、否が応でもその顔や名前を日常的に目にすることになる。テレビも、紙媒体も、ネットメディアも、広告主も、国民的スターの強大な引力に抵抗できない。なかには暴走気味にプライベートを報じて、批判を集めた放送局もあった。大谷フィーバーの負の側面だ。

 いまやアスリートの枠を超えた「大谷翔平」という固有名。では、大谷が生まれ育った地元は、いったいどんな距離感で郷土の英雄の活躍に接しているのだろうか。そんな興味から、ワールドシリーズ制覇後の昨年11月、岩手県奥州市に足を運んだ。

「大谷選手を使って市の広報をしようとは考えていません」

 奥州市協働まちづくり部生涯学習スポーツ課の鳥海友紀さんは、きっぱりとそう話した。

「市民の応援を盛り上げたり、時々こういった取材に応じたりはありますけれども……。野球に集中してもらうために、地元としてはなるべく迷惑をかけないように。大谷選手にこちらから無理なお願いをすることはありません。大変心苦しいんですが、私どもから大谷選手にメッセージを伝えたり、物品をお送りしたりすることも一切できないんです。応援団の活動も、純粋に応援をすることが趣旨になります」

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