2010年秋、ガーナのミルズ大統領(左)は京都市上京区の京都迎賓館で茶道の点前を披露した。この一椀は、前原誠司外相(中央)らも味わった
公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。戦後最年少(50歳)で大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。
1回の選挙で選ぶのは乱暴
《大使として赴任していたコートジボワールで2010年秋、長らく延期されていた大統領選が実施されることになった》
02年から南北に分裂していた国が統一され、閉塞した政治が正常化し、気分も高揚する良いニュースなのに、コートジボワール人の表情は明るくなかった。大統領選の話題になると、途端に厳しい表情となり、慎重に言葉を選びました。
確かに、大統領制度には怖いところがある。最良の人物が選出されれば政治は安定するが、そうでなければ、身内びいきや国家資産の私物化など、権力の乱用を最低5年間許すことになりかねない。
そんな大統領を1回の選挙だけで選ぶなんて乱暴な…。そう思うアフリカ人は少なくありません。
〝一発勝負〟の怖さ
《アフリカの伝統社会をみると、長年にわたり人々の中で鍛えられ、人望を得て周りから推される形で指導者が選ばれてきた》
しかしアフリカの現代政治では、そのようなコンセンサス作りの過程もなく、多数決の〝一発勝負〟だけで大統領が決まる怖さがあります。まして、コートジボワールは02年から南北に分断され、南部の政府軍と北部の反乱軍が戦火を交えた。大統領選実施で「平和が戻る」「内戦で対立した人々が握手できる」と考えるのはナイーブ過ぎます。それほど平和プロセスは甘くない。人々の間に不安があるのは当然でした。
ガーナ、成熟した民主国家
《アフリカを見渡すと、大統領選をスムーズに実施している国もある》
野口英世が赴いた東隣の国、ガーナです。成熟した民主主義を実践しているアフリカの優等生です。
私がコートジボワールに赴任していた09年1月、ガーナで大統領選が実施されました。与党候補と、野党候補だったミルズ氏の得票率は49・8%と50・2%。そんな驚くべき僅差でも大きな騒乱はなく、ミルズ氏への政権交代が実現しました。
その後の大統領選も順調に実施されています。昨年12月の選挙では、野党候補のマハマ氏が選出され、政権交代も問題なく行われた。
ちなみにマハマ大統領は若いころ、在ガーナ日本大使館で、現地職員として勤務していた数少ない〝知日派〟の1人です。
〝一体意識〟を醸成
《ガーナで政権交代が問題なく行われているのは、「国民の一体性」と無縁でないという》
ガーナ人は、自分たちの大統領が「国民全体のために働いてくれる」と信頼しているのではないでしょうか。1957年春に独立を実現させたエンクルマ大統領は、ガーナの国境が「人為的」だと知り抜いた上で、部族の意識を超えた国民の一体性を確立することに腐心しました。
まず、小学校の先生たちを、自らが所属する部族以外の地域に派遣。高校の寄宿舎や教室では、地方からの生徒を部族の垣根を越えて一緒にしました。
徴兵制の軍隊では、各部族の兵士たちを混成にして部隊を編成。部族を越えた結婚も奨励しました。
さらに、国会とは別に、民族評議会という伝統社会のコンセンサスを得る制度も構築。このように、意識的に努力をし、長い年月をかけてガーナ人の〝一体意識〟が醸成されるに至ったのです。
「選挙延期の口実にさせるな」
《コートジボワールでは一方、岡村氏は大統領選の持つ〝危うさ〟に気付くことなく、欧米諸国の大使たちと一緒に、早期の選挙実施を働き掛けたのだった》
一緒というより、かなり前のめりでした。日本の資金を使い、全国1万1千カ所の投票所に、投票箱や投票台などの資材を提供。選挙管理委員会が「運営費不足だ」と言い出したら、「選挙の延期の口実にさせてはならない」とばかり、経費の手当てをしました。
コートジボワールの政治危機の解決は、国際社会の重大関心事。国連が平和維持活動(PKO)を派遣してまで、和平実現に取り組んでいた。日本は国際社会の重要な一員だから、尽力するのは当然のこと、それが日本のコートジボワールでの地位を高めることになる、と考えていました。
「後ろ向きの姿勢はいけない」
《思いつく方法は何でも使い、「平和と未来」を訴えた》
大統領選実施に慎重な意見が出る中、私は現地報道に出来る限り登場し、「後ろ向きの姿勢ではいけない」と叱咤激励しました。
そうした中、国際交流基金による派遣事業で、日本から民謡の音楽家たちがやってきた。私は国連と共催の形をとり、大使公邸の庭などで三味線、尺八、和太鼓で民謡を披露する「平和と未来への演奏会」を開催したのです。
大好評でした。演奏会の模様はテレビ中継され、何度も再放送された。ソーラン節の「どっこいしょ、どっこいしょ」を、コートジボワールの子供たちが「アロコ・ショー(熱々のアロコ)、アロコ・ショー」というフランス語に聞き取って口ずさむまでになった。〝アロコ〟とは、バナナの一種で、現地の日常の食べ物です。
そうした日本を含む国際社会の努力が奏功し、大統領選がついに実施されたわけです。私たちは選挙をすれば平和が回復する、と信じていました。しかし、実際にもたらされたのは、平和ではなく戦争でした。(聞き手 黒沢潤)
<おかむら・よしふみ> 1958年、大阪市生まれ。東大法学部卒。81年、外務省入省。軍備管理軍縮課長、ウィーン国際機関日本政府代表部公使などを経て、2008年にコートジボワール大使。12年に外務省アフリカ部長、14年に国連日本政府代表部次席大使、17年にTICAD(アフリカ開発会議)担当大使。19年に経済協力開発機構(OECD)代表部大使。24年から立命館アジア太平洋大学副学長を務める。
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