「もっとできた」後悔を胸に被災地と寄り添う 若手に震災を伝える警察官 南三陸町で迎える定年〈宮城〉 (25/03/21 18:30)

さまざまな角度から東日本大震災を見つめるシリーズ「あの時、そして今」。3月21日は発生当時、南三陸警察署で対応にあたった警察官です。被災地に寄り添いたいという強い思いから定年を前に、南三陸警察署に戻りました。

南三陸町歌津。3月4日、東日本大震災の行方不明者の捜索が行われました。南三陸町では、今も211人の行方が分かっていません。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「見つけてあげたいという気持ちは14年前と変わらないですよね」

捜索の指揮を執っていたのが南三陸警察署の佐々木勇治次長(59)です。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「諦めたくないということで、なかなか(死亡届を)出さない方もいた。結局、見つかってほしいんだよね」

佐々木さんは長年、捜査員として銃や薬物などの犯罪捜査に携わってきました。東日本大震災が発生したのは生活安全課長として南三陸警察署に勤務していた時でした。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「(津波は)真っ黒でね。いつも見ていると青くてきれいなんだけど、すごく黒い水の固まりが来るみたいな」

地震発生直後、佐々木さんはパトカーに飛び乗り、避難を呼びかけました。自身は間一髪、津波から逃れましたが、必死の呼びかけにもかかわらず、南三陸町では620人が亡くなり、211人が行方不明に。佐々木さんは今も自責の念を持ち続けています。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「もっと活動できたじゃん、て。俺たちがやっていなかったから、800人を超える犠牲になったんだというのは、俺はもうずっとその日からこの南三陸を離れた時からずっと思っているからね」

佐々木さんも周囲が浸水し孤立しますが、自らの判断で住民の避難先や食料の確保に奔走しました。その後は、行方不明者の捜索や遺体の検視など、変わり果てた町で住民と向き合う時間が続きました。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「ご遺体一人一人の後ろにはご家族の方あるいは恋人がいるわけですよ。それを思うと涙を流しながらの勤務でしたね」

しかし、震災の翌年、自宅のある仙台市内の警察署へ異動となり町を離れます。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「自分だけこの地を離れる。住民の方々はこの地で一生懸命、再建・復興を目指して一生懸命頑張っているのに、自分だけ逃げるような形で異動になっちゃいましたから。それはかなり申し訳ない、悪かったなという思いでいっぱいでした」

被災地に思いを寄せていた佐々木さん。「定年を迎える最後の年にもう一度」という希望がかない、去年4月、南三陸警察署に戻りました。この日、佐々木さんは震災後に採用された若手警察官などに震災の経験を話しました。津波の映像を見せて伝えたのは、そこにいる一人一人の町民のことです。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「単に建物が壊滅しているのではなくて、この中にいる町民の5%、800人を超える人たちが流されたんだという目でこの(津波の)映像を見ていただきたい」

そして、その時、警察官として何をすべきか。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「無線も通じない。ただ困っている人たちが身の回りにいっぱいいる。じゃあどうする?そこから逃げられないでしょ。一生懸命考えて住民のため、住民の命と体を守ることを第一にいろんなことを考えるんです」

同僚の死に直面した痛恨の思いもあります。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「15時30分ごろに彼から無線が入ります。『津波が役場に到達した』その無線を最後に彼からの無線は途絶えます。ある日突然、仲間の命がなくなるんです」

南三陸警察署では町との連絡調整員として防災対策庁舎に向かった署員1人が、津波に飲まれ殉職しました。当時の経験を伝えることが、この町に戻ってきた自分の使命だという佐々木さん。被災地で働く警察官として忘れてはいけないことがあると話します。

南三陸警察署 佐々木勇治次長
「住民の人たちに少しでも思いを寄せ、寄り添う気持ちで、我々ここで働く警察官は一生懸命、住民のためにと思って仕事をしていかなければならないし、私もそういうつもりで被災地のために、被災地で暮らす住民の人たちのために仕事をしています」

南三陸町で過ごす日々も残りわずか。住民に寄り添い、そして、当時の記憶を伝える使命を果たし、南三陸の町を離れます。

1 Comment

  1. 東日本大震災が起きた2011年3月11日は、東北地方の警察官さん達は、一生懸命に住民達を護ろうと頑張って下さいました。中には、自分の命を犠牲にしてまで、住民達に避難を最後まで呼びかけて殉職した警察官さん達が大勢いらっしゃいます。14年経った今現在も、行方不明の警察官さんもいらっしゃいます。殉職した仲間を想い、定年の最後はここでと、又南三陸町に戻って来てくれた佐々木勇治次長さんのお気持ちは、きっと殉職した仲間の警察官さんに届いていると思います。そして、東日本大震災が起きたあの日の事を決して忘れずに後輩の若い警察官達の皆様方々への講演は、災害が発生したら、自分たち警察官はどの様な行動や対応をするべきか、自分たち警察官の安全面などでも勉強になったと考えます。東日本大震災から、14年を迎えた今も、あの日もっと何かできたはずと想って生きてこられた佐々木次長さんは、一人の警察官として最後まで正義感があり立派だし、警察官としての使命感を持ち続け頼りになる先輩の警察官さんだと思います。定年まで、お身体に気をつけて頑張って下さい。🍀☺