オウム真理教 狂気の“11月戦争”



30年前の1995年3月20日。
世界を震撼させた無差別テロ、地下鉄サリン事件。

しかし、それは“前哨戦”だった。

オウム真理教が実行しようとした“95年11月戦争”。
地下鉄サリン事件のあと、首都・東京を制圧し、国家を転覆させるクーデターを起こそうとしていた。

当時の警視庁トップが、捜査の内幕、そしてオウムの真の狙いを語った。

(NHKスペシャル「オウム真理教 狂気の“11月戦争”」取材班)



地下鉄サリン事件はなぜ起きたのか

警視庁トップの警視総監として、地下鉄サリン事件などの捜査を指揮した井上幸彦さん(87)。

1962年に警察庁入庁。
警察庁次長などを経て、94年9月に警視総監に就任した。

その半年後、麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚が率いるオウム真理教によって地下鉄サリン事件が引き起こされることになる。

1995年3月20日、通勤客などで混み合う地下鉄の3つの路線に猛毒のサリンがまかれ、死者14人、負傷者およそ6300人にのぼる未曽有の化学テロだった。

井上幸彦 元警視総監
「当日は、出勤で国会正門前を通っているとき、赤色灯をつけたパトカーがサイレンを鳴らして走り回っていた。何が起きたのだろうと。どうも霞ヶ関駅だけではない。あちらこちらで何か起きたようだと。直感で『オウムにやられた』という思いがしましたね」

オウムは何のために地下鉄サリン事件を起こしたのか。
真の狙いは別にあったという。

井上幸彦 元警視総監
「あくまでも目標は95年秋口のハルマゲドン=世界最終戦争。地下鉄サリン事件を起こすことによって、警視庁はびびって動かなくなる。それがチャンスということなんですね。『ハルマゲドンが起きる』というのは彼らが実際に起こすのですね。クーデターまがいのとんでもないことをやろうとしたわけです」

選挙で落選 反社会・反国家へ
1995年秋口のハルマゲドン=世界最終戦争とは何なのか。

89年に宗教法人として認められ、神秘体験などを通じて信者を急速に増やしていったオウム真理教。

麻原(松本元死刑囚)はみずからが王となり日本を支配する宗教的な国家の建設を目指していた。


90年2月の衆議院選挙に立候補したが、得票は1783票にとどまり惨敗。
このころから反国家・反社会の姿勢を強めていく。

落選の直後に行われた説法の音声が残されていた。

落選直後の麻原元死刑囚の説法
「今回の選挙の結果は、はっきり言って惨敗。何が惨敗なのかというとそれは社会に負けたと。もっと別の言い方をするならば国家というものに負けたということに尽きると思います。オウムは反社会・反国家である。どぶ川の中で美しく咲く蓮華(れんげ)のようにあり続けるためには反社会でなければならない」

そしてハルマゲドンが近づいていると強調して信者の危機感をあおる一方、山梨県旧上九一色村の教団施設に70トンものサリンの製造を目指すプラントを建設するなど急速に武装化を進めていった。

軍事転用可能な旧ソビエト製のヘリコプター「ミル-17」も購入。
国家を転覆させるクーデターを起こそうとしていた。

狂気の“95年11月戦争”
それは狂気の計画だった。

大量のサリンを東京上空からヘリコプターで散布し、都民を大量虐殺。
そして、武装化した信者に国会などの中枢機関や皇居を占拠させ、首都を制圧する。

松本元死刑囚の側近だった元幹部からの手紙には、その詳細が記されていた。

井上嘉浩元死刑囚からの手紙
「サリン散布の拠点として皇居をぐるりと囲むように10か所、テナントやマンションを借りていました」
「千代田区では5か所、中央区では3か所、港区では2か所です」

杉本繁郎(無期懲役で服役)からの手紙
「麻原は自室に弟子たちを集め、その席で『警視庁を占拠し、警視総監を人質に取ってクーデターを起こす』という計画について告げた」
「教団が購入していたロシア製ヘリコプターで首都上空からサリンをまく計画も検討されていた」

この計画のXデーは地下鉄サリン事件の7か月後。

「95年11月戦争」と呼ばれていた。

そのことばは元幹部らの手紙などにも記されていた。

井上嘉浩・元死刑囚の手紙
「95年11月に『宗教戦争』つまり教団による武力革命」

元幹部の手記
「95年11月→戦争」

警察はこうした動きを察知できていたのか。

井上幸彦 元警視総監
「麻原は疑似国家体制みたいなものを作って自分たちの天下を取る、オウム信者による王国を作ると本気で考えていたことは間違いない。ハルマゲドンを秋口に起こすといって、旧ソビエトからヘリコプターを輸入したり銃器を作ったりしていた。その最たるものが第7サティアンのサリン工場で、70トンのサリンを製造する能力まで持っていた。ただ、それらは全部、地下鉄サリン事件の前にわかっていたわけではない。捜査していくなかで、徐々にそういう状況がわかってきたということですね」

相次ぐ凶悪事件 捜査は難航
オウムは地下鉄サリン事件の前にも数々の凶悪事件を起こしていた。
89年11月、横浜市磯子区で起きた「坂本弁護士一家殺害事件」。

出家した信者の親たちが子どもを取り戻す「脱会運動」の中心的な存在だった坂本弁護士。

一家全員を殺害した。


井上氏が警視総監に就任する3か月前の94年6月には「松本サリン事件」(長野県松本市)を起こす。

標的にしたのはオウム関連の裁判を担当していた裁判官。

一般市民を巻き込み、死者8人、負傷者は140人以上にのぼった。

サリンが殺人に使われたが、警察の捜査は難航。
オウムの関与を疑いながらも、決定的な証拠はつかめなかった。

井上幸彦 元警視総監
「オウムが関与した松本サリン事件、坂本弁護士事件、これはね、発生当時、いずれも彼らのしっぽが、まったくつかめていない。結局、証拠を押さえて、それを足場にして彼らのほうに攻めていくという材料を残念ながら警察はつかまえていなかった」

転機は都内で起きた事件
ところが、ある事件を起こしたことで、“11月戦争”の計画が狂っていくことになる。

地下鉄サリン事件のおよそ1か月前の95年2月28日、東京の公証役場の事務長だった假谷清志さんが拉致された事件。


假谷さんの妹は信者で、全財産を寄付させられそうになり逃げ出したため、妹の居場所を聞き出そうと假谷さんを拉致した。

それまで東京都内では目立った事件を起こしていなかったオウム。
管轄する都内で事件が起きたことで、日本最大の体制と捜査能力を持つ警視庁がオウムの捜査に加わることになった。

元警視総監が語る捜査の内幕

井上元警視総監に当時の捜査の内幕を聞いた。

井上幸彦 元警視総監
「まさしく假谷さん事件がターニングポイント。もちろん神奈川県警や長野県警は一生懸命、捜査して、警察庁にはいろいろ報告をしていたと思うけど、私が警視総監になった際の引き継ぎにオウムの文字はなかった。法律で都道府県警察という建て前がある以上は、東京で事件が起きないとなかなか捜査はできない。假谷さん事件が起きるまでは本当に警視庁がオウム真理教と対決しなければならないという気持ちはなかった」

『都内で事件を起こすな』のはずが…

Q. オウムはなぜ都内で事件を起こしたのでしょうか。

井上幸彦 元警視総監
「麻原は『都内で事件を起こすと警視庁が出てくるから避けろ』と言っていた。ただ、あの時だけは、どうしても秋口のハルマゲドンを立ち上げるために、金のある信者にはどんどん寄付させろという方針が出たんですね。それで、やむにやまれず、あの事件を起こし、ついに警視庁を引っ張り込むことになった。假谷さん事件はオウムにとって誤算なんですね。あんなに早く実行犯が割れると思っていなかったが、それが割れちゃった。彼らにとっては1つの痛恨事だったでしょうね」

オウムの捜査を本格化させた警視庁は、95年3月22日に全国の教団施設に一斉に強制捜査に入ることを決め、ひそかに準備を進めた。
しかし、その2日前、首都中枢に向かう地下鉄の3つの路線で、サリンがばらまかれた。

Q. オウムは警察の動きに気付いていたのでしょうか。

井上幸彦 元警視総監
「彼らはあのころ、かなりの情報収集能力を持っていて『警視庁が3月20日前後に旧上九一色村を含めて攻めてくるだろう』という情報をもっていたんですね。Xデーがいつかまではわかっていなかったと思いますが、警視庁を止めるにはどうするのだと。麻原は『警視庁のお膝元である霞ヶ関駅付近でとんでもない事件を起こせ』『そうすれば警視庁は、その処理のため動けなくなる』ということで、あの事件を起こしたんです」

Q. 強制捜査を目前にして事件を起こされました。どんな思いでオウムと対じしていましたか。

井上幸彦 元警視総監
「Xデーの2日前にやられてしまった。われわれは攻められちゃった。この流れを変えるにはこっちが攻めていって相手を追い込まなければ、この闘いは勝てない。警視庁でもサリンが出たら怖いわけです。実際に『捜索を後ろ倒しにしましょう』とか『仕切り直しましょう』という声もあったけどそれは違うんだと。ここでひるんだら相手はもっとすごいことをやってくるぞと」

強制捜査後の“陽動作戦”

Q. 当初の予定どおり3月22日に一斉に強制捜査に入ります。その時点で、オウムは“11月戦争”の実行を断念したと考えていますか。

井上幸彦 元警視総監
「そうではなくて、麻原がうまく教団施設から抜け出すことができれば、チャンスはあると見ていたと思いますね。というのも、当時、麻原が使っていた大型リムジンがあるのですが、強制捜査に入った後、それで都内を走り回っていたんです。あるホテルに入ったと思えばまた別のホテルに移り、いかにも麻原が動いているようなことをやる。ほかにも麻原が、京都に現れた、三重県に現れたといううその情報をメディアに流して。つまり陽動作戦なんですね。強制捜査をした警視庁の部隊が引き揚げれば、麻原をまた外に出して自由にさせて、指揮を仰ごうというのが彼らの狙い。だからそうなれば、地下鉄サリン事件と同じような第2、第3の事件を起こしたかもしれない」

オウム真理教が残した教訓は

強制捜査では、教団施設から30トンものサリンの製造を可能にする原料が見つかった。

95年5月16日、警察は教団施設の隠し部屋に潜んでいた松本元死刑囚を逮捕。
狂気の“95年11月戦争”はギリギリのところで阻止された。


そして2018年、麻原ら元幹部13人の死刑が執行された。

Q. オウム事件が残した教訓はどんなものだと考えていますか。

井上幸彦 元警視総監
「兆候が捕まえられなかった。これはどこに原因があるのか。われわれはオウムという団体を、そこまで危険な団体だと思っていなかった。松本サリン事件にオウムが関連しているのではないかということがあったとしても、当時まだ警視庁の中で『オウムが危ないです』と私に情報が上がってくる状況になっていなかった。それを防ぐにはどうするのか。警察の情報収集能力を磨き、危険な兆候をいかに察知していくか。これはいつの世にも求められることだと感じていますし、そういう能力をたくわえていかなければ、これから警察の仕事は、果たしえないと思います」

国家を転覆させる“11月戦争”をくわだて多くの命を奪った麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚。

最期までみずからの責任を認めることはなかった。

狂気の暴走が繰り返されたとき、私たちは止めることができるのだろうか。





3月20日 NHKスペシャルで放送予定

オウム真理教 狂気の“11月戦争”




社会部記者
古市駿
2013年入局
大阪局、さいたま局を経て現職
警視庁などを担当

プロジェクトセンター
チーフディレクター
新名洋介
2001年入局
長野、大阪などを経て現所属
NHKスペシャル担当

社会番組部ディレクター
木村和穂
2009年入局
ヒューマンドキュメンタリーの制作に主に従事

コンテンツ制作局
チーフディレクター
東森勇二
2011年入局
新プロフェクトXで『オウムVS.科捜研』を制作

社会番組部ディレクター
矢内智大
2015年入局
札幌局、おはよう日本を経て現所属
報道番組やドキュメンタリーを制作

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