津波に流された浜に“希望の花” 宮城・石巻「十八成浜」でアーモンドを育てる男性、愛知から移住 (25/03/11 15:19)
被災地の復興に向け、今も取り組みは続いています。失われた景観を、花にあふれた魅力的な空間に――。愛知県から宮城県石巻市に移住した男性は、”希望の花”を咲かそうと奮闘し続けています。
宮城県石巻市、牡鹿半島。
「(石巻市に来て)丸4年。ワカメの作業は繁忙期。3月から5月の頭までやります」
三宅真琴さん(49)は4年前、地元の愛知県豊田市を離れ、石巻市へ移住しました。
今は、宮城県内の水産物の加工場などで働いています。
「ここも震災の時に全部流されている。そういうところで働けるのは、かえって僕もありがたい。やりがいがある」(三宅さん)
14年前、石巻市は震度6強の揺れと津波に襲われました。
3553人が犠牲となり、今も417人の行方がわかっていません。
津波で失われた浜に「復興のシンボル」を
三宅さんが移住した「十八成浜」(くぐなりはま)。
海水浴が楽しめる人気のスポットでしたが、地震と津波によって、その姿は失われてしまいました。
震災から14年。海水浴場は再び整備され、かつてのにぎわいも戻りつつあるといいます。
そんな十八成浜に、さらににぎわいをもたらす復興のシンボルを。
三宅さんが移住を決断した一番の理由は、震災後に始まったある取り組みです。
「こちらはアーモンド苑。花を楽しんでもらうために育てている。今年の秋で(植えてから)10年になります」(三宅さん)
ボランティアとして愛知から19年間通う
海水浴場の近くにある「アーモンド苑」。
三宅さんは、ボランティアとして管理を任されています。
「ボランティアをして、こちらの方と一緒に活動していくうちに、ありきたりですけど元気をいただいた。自分も助けられた感じの思いが強かったので、何かこちらの地域に貢献できないかという思いで」(三宅さん)
震災後、三宅さんは名古屋を拠点にする「愛知ボランティアセンター」の活動に参加。片道12時間かけて、石巻市の十八成浜へ10年間通い続けてきました。
サクラとよく似たアーモンドの花、花言葉は「希望」
「復旧」の次は、「復興」へ。
「被災地を花と人で溢れる場所にしたい」と始まったのが、全国から寄付された「アーモンドの木」を植える活動です。
春に、サクラとよく似た花をつけるアーモンド。その花言葉は「希望」です。
「全国から寄付していただいたみなさんの気持ちもこもっている木なので、弱った木でも手をかけながら、1本1本形も姿も違いますけど、子どもみたいな、家族みたいな感じで大切に育てようと思っています」(三宅さん)
「いい花咲くぞ」
はじめは、愛知から通いながら活動を続けました。
移住してからは、アーモンドの世話にかける時間も増えました。
「おお、立派なもんだ。いい花咲くぞ」
阿部恭一さん(72)は、浜辺で経営していた民宿を地震と津波で失いました。
「ため息のひと言。物を拾うことも出来ない。どうしようもない」(阿部さん)
被災者「ボランティアが前を向かせてくれた」
喪失感にさいなまれていた阿部さんは、前を向かせてくれたのはボランティアたちだと断言します。
「いっぱい迷って、ノイローゼになりそうな人たちを引っ張り出す力。それで私は100%救われた」(阿部さん)
そして阿部さんも、ボランティアとともにアーモンドを育ててきました。
「もう最高だっちゃ。よく知らない土地でここまで来てやってもらって、本当にうれしくて、どうしようもないくらい」(阿部さん)
3月11日にアーモンドの花が咲いた
これまでに、600本ほどの木が植えられました。
しかし害虫や野生の鹿の被害に見舞われ、思うように成長が進んでいないといいます。
「よく愛知のボランティア仲間にも心配されるが、確実に大きくなっているので、これからだなって」(三宅さん)
そして11日、三宅さんがアーモンドの花が咲いているのを見つけました。
「『(地元から)がんばれよ』と励ましてくれるので、やりがいを感じる。もっと木を大きくして『十八成にアーモンドがあるよ』と言って、『アーモンドがある地域だよね』と言われるまで、なんとかがんばりたい」(三宅さん)
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ああ、「プリヌス・セリュラタ」、いわゆる桜です。そのピンクの花びらは、生命に満ちて、いつも美しく見えます。朝日のように、桜は日本の象徴です。😊