【報ステ】大越が見た“大船渡の3・11”震災に火災…2度の災害に襲われた被災地の今【報道ステーション】(2025年3月11日)
東日本大震災から11日で14年です。巨大津波で岩手県大船渡市は甚大な被害を受けました。そして、先月末から続いた、かつてないほどの山林火災は、人の制御が及ばないまま住宅へと延焼し、210戸の建物が被害を受けました。
逃れることのできないほどの自然の脅威を、大船渡の人たちは、この14年の間に2度も味わったことになります。しかし同時に、そこには過酷な自然を受け入れ、再び立ち上がろうとする人たちの姿もありました。
■火災で見合わせの三陸鉄道が再開
あの日から14年。鎮魂の祈りが捧げられた大船渡町みなと公園。花を手向ける親子の姿がありました。
新沼きよえさん(70)
「大船渡で弟が亡くなった」
新沼真也さん(47)
「10歳下です」
新沼きよえさん
(Q.14年。その時間で傷は癒えるのか)
「まだ側にいるような気がして」
(Q.だからここに会いに来る)
「聞こえてるかなと」
東日本大震災で国内観測史上最大級の津波が観測された大船渡市。甚大な被害を受けました。それから14年。年月をかけ取り戻した“日常”。祈りが捧げられた大船渡町みなと公園からは山林火災が起きた場所が見えます。
先月26日に発生した山林火災で、市の約9%にあたる約2900ヘクタールが焼失。9日に鎮圧が宣言され、10日に避難指示が全地区で解除されました。そして11日“震災復興のシンボル”が元の姿を取り戻しました。
大越健介キャスター
「大船渡市の中心部、盛駅に来ました。ここは三陸鉄道の南の起点となる駅です」
山林火災の影響で、一部区間の運転を見合わせていた三陸鉄道。11日の始発列車から全線で運転を再開しました。10日ぶりの通常運転再開。本来なら草木が芽吹き、春の訪れを待つ景色が街に広がっているはずでした。
大越健介キャスター
「綾里の駅に着きました。大船渡全体で210戸の建物が被害を受けましたが、その8割がこの綾里地区に集中しています」
■山林火災 厳しい生活は今も
三陸町綾里港地区。山林火災で最も多くの住宅が被害に遭った場所の1つです。
大越健介キャスター
「少し焦げくさい臭いが漂ってきたと思ったら、焼けた住宅が見えてきました。コンクリートの建物ですが、中が完全に焼けつくされています。この住宅も難をまぬかれているようですが、そのすぐ隣は完全に焼け落ちていますね。全く何も残っていない。ここを住まいとされていた方は、この自分の家を見たときにどんな気持ちになるんでしょうか」
この地域には断水の被害が出ています。市が水質の安全性の確認を進めていますが、完了するまでは飲み水として使えないといいます。避難指示が解除をされてもなお厳しい生活を強いられています。
大越健介キャスター
「こうしている間にも消防のヘリコプターが何度も行き来をしています。おそらく山林のほうに行って残り火の処理をしてきたんだと思います。人々の生活の音が途絶えた所にヘリコプターの音が響いています」
この地域に住む森下幹生さん(75)。14年前、津波の被害は免れましたが、山林火災で自宅は全焼しました。
自宅が全焼した 森下幹生さん
「10日に初めて現場に足を踏み入れて」
(Q.ご覧になった時は)
「ここでずっと育って、大事なものや思い出がいっぱい詰まった玉手箱みたいな家だったから。災害といえば1つだけれども、形が全然違う災害で、まさかこんなに火災になるとは全然考えてみたこともなかった」
昭和8年、1933年に三陸海岸を大きな津波が襲いました。森下さんの先祖がその時に高台になるこの場所に家を建てたといいます。
自宅が全焼した 森下幹生さん
「災害は忘れたころにやってくるというけれども、いつまでも語り伝えなければ。ただ今回は語り継がれて防げるような災害ではないから」
(Q.少し今、気を取り直されつつある段階)
「負けていられないし、だってこれから息子や孫もいるし、頑張んなきゃだから」
■火災の影響「アワビ提供に3~4年」
被害は生業にも…。
大越健介キャスター
「山林火災が大きな被害をもたらした綾里地区の石浜漁港という所です。今回の山林火災は建物火災だけではなくて、水産業にも大きな被害を及ぼしています」
この町で約40年、アワビの陸上養殖や魚介類を販売する『元正榮 北日本水産』。本当なら水槽でアワビが育っているはずでした。
『元正榮 北日本水産』古川季宏社長
「もう臭いもしているんです。アワビが死んで落ちてですね。腐食が始まっています。ちょっと臭いがします」
(Q.全体でアワビの数はどれくらい)
「約250万個のアワビが」
(Q.山林火災の間に約250万個のアワビが死んでしまった)
「はい。そうです」
揚水ポンプの焼損や長期間の停電も重なり、アワビはほぼ全滅。東日本大震災の時は、津波で施設が被災した後、アワビの出荷が再開できるまで約5年かかったといいます。
『元正榮 北日本水産』古川季宏社長
「震災から考えれば、まだ養殖施設が残っていますので、比較的ここだけと考えれば傷は浅い感じがする。逆によくぞここまでで止まったって感じ」
アワビだけで被害額は約5億円。今後、親となる貝を以前販売したところから供給してもらい、育て、消費者に提供できるまで3~4年かかる見込みだといいます。また、当面の運転資金確保のめども立っていません。
『元正榮 北日本水産』古川季宏社長
(Q.14年前に被災された皆さんにとって、まだ過去のことではない。今度は山林火災の被害を受けて。僕だったらどうだろうと正直思う。とても耐えられない)
「ただ、東日本大震災当時、中学3年生だった息子も成人し、会社の営業部長としてやっている」
(Q.息子さんが頼もしい相棒となった今では見える景色が違う)
「やっぱり力になります」
■市長が語る 2度の災害からの復興
生活と生業の再建へ。前を向く大船渡の人たち。市長は…。
大船渡市 渕上清市長
(Q.市民の皆さんにどういう声がけを)
「東日本大震災から14年。これまで多くの課題を乗り越えて、被災された方、市民、企業が努力に努力を重ねて今日を迎えた。私自身とにかく、必ず復旧・復興できるんだと。あるいは生活する意欲を失うことなく、スピード感をもって支え続けていきたい」
先月26日の火災発生から2週間。いまだ230人以上が避難を余儀なくされています。
綾里から避難 村上優平さん(40)
「家がないのはこういう感じなのかと。津波の時も家に帰れなかった人が何人もいた。その人たちの気持ちも今分かります」
(Q.津波の時は)
「高台だったので家は無事だった」
村上さんがいる避難所では一時300人近くが身を寄せていましたが、そのほとんどが退所しました。
綾里から避難 村上優平さん
「いつもは話し声とか聞こえていたので、どちらかというとそっちの方が安心して。声が聞こえなくなってからは取り残されている感じが不安。同僚に津波で家を流された経験者の人がいる。その人のアドバイスで『絶対に元の生活に戻れるから』と。それを言い聞かせている。元の生活に戻れると」
“必ず元に戻るから大丈夫”。2度の災害から立ち上がるその日まで。
大船渡市 渕上清市長
(Q.山林火災を乗り越えるために、市長として一番大事にしたいことは)
「支えあうこと。それが一番だと思う。行政としては、細かい部分まで色々な声を聞きながら、しっかり支えていかなければならない。事業者においても相当の被害が見込まれる。生活の再建と住宅の再生、事業者の意欲を損なわないよう、しっかりと前に進めるよう後押ししていきたい」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
3 Comments
我々は過去を乗り越えて、生きなければなりません。😢
😢
ちょうど卒業式の日、関西に住んでいましたが、大きなゆらゆらとめまいのようなものを感じました。その日のニュースでそれが地震波によるものだったと知りました。日本は地震大国と呼ばれるほど地震の多い島国です。私たち一人一人が対策していざというときは身を守れるように、他人事ではなく明日は我が身と覚悟して生きていかなくてはならないと思いました。