BRANDON SHYPKOWSKI, NGM STAFF(作画のための調査), 出典:CHARLOTTE HEDENSTIERNA-JONSON, UPPSALA UNIVERSITY
何世紀もの間、中世スカンディナビアの戦士たちの歴史は、男性の話を中心に語られてきた。だが、戦場だけでなく、社会のさまざまな場で、バイキングの女性が重要な役割を果たしてきたことがわかってきた。
スウェーデンの首都ストックホルムの中央駅は、静かな朝を迎えていた。そのとき私は、この国のウプサラ大学で考古学を研究するシャルロッテ・ヘデンスティエルナ゠ユーンソンとコーヒーを飲んでいた。彼女の案内でストックホルムの西に浮かぶ島にあるバイキングの初期の都市、ビルカの遺跡を見に行くことになり、近くの埠頭からフェリーが出港するまで時間をつぶしていたのだ。ヘデンスティエルナ゠ユーンソンは、持っていた袋から、19世紀の新聞に掲載された銅版画の大判コピーを取り出すと、丁寧にテーブルの上に広げた。
私はよく、一瞬にして過去の世界に連れ去られるような、ぞくぞくする感覚に襲われることがある。このときもそうだった。銅版画を眺めているうちに駅のがっしりとした壁が消え、バイキング時代の光景が目の前に現れた。銅版画は写真のように精密にバイキングの墓の内部を描いていた。地下の広い埋葬室には、遺骨とともにいくつもの武器が置かれていた。ヘデンスティエルナ゠ユーンソンによると、これは1877年にスウェーデンの考古学者ヒャルマル・ストルペが、ビルカにあるバイキングの駐屯地遺跡の近くで発見した墓で、今では「Bj581」という名称で知られているという。
戦士の横顔
剣から鐙、2頭の馬(母馬と雄馬)の骨格まで、ビルカの戦士の墓の内部を驚くほど詳しく描写した1889年の銅版画。スウェーデンの考古学者ヒャルマル・ストルペが1878年の発掘調査の際に描いた精密なスケッチ画を基に作成されている。(HISTORIC COLLECTION/ALAMY)
ストルペの調査を基にした絵に、私は魅せられるように見入った。墓室の奥には、2体の馬の骨が並んでいた。中央にある死者の遺骨は、横向きに寝かされ、何かに座っているように腰を曲げて前かがみの姿勢をとっていた。そばには、馬に乗る際に足をかける鉄製の鐙(あぶみ)が二つ、高価な衣服のわずかな切れ端、それに当時のゲーム盤があった。その周りには、鞘(さや)に収めた剣の破片、大きな斧(おの)、接近戦で使用される戦闘用ナイフ、2本の槍(やり)、二つの盾、二十数本の矢があった。研究者たちが長年バイキングの女性と結びつけてきた、ブローチなどの宝石類は一切ない。
ここに埋葬された死者は男性だと、ストルペは結論づけた。武勇で鳴らした男性戦士に違いない、と。墓の発見の知らせを受け、スウェーデンのイラスト入り週刊新聞『ヌー・ イラストレラッド・ティドニング』は、ビルカの戦士の墓を描いた、この見事な銅版画を掲載した。
銅版画は、その後何十年にもわたってバイキング関連の書籍に転載されてきた。この墓の副葬品は「飛び抜けて豪華なんです」とヘデンスティエルナ゠ユーンソンは言う。「そのため、大いに注目されてきました」
140年近くもの間、ストルペの解釈を疑う考古学者はいなかった。8世紀半ば頃に始まり、11世紀半ばに衰退するまで、バイキング時代における戦闘は、男性だけが担う仕事だったという説を、スカンディナビアの研究者たちも長年、支持していた。
というのも、中世スカンディナビアの詩人たちが、この世のものならぬバイキングの凄惨な戦いを鮮明に歌っていたからだ。悪夢のようなその詩には、「殺戮(さつりく)の炎」と化す剣や、「微光を放つ死体」が登場する。戦闘そのものは「武器の雷鳴」「槍の嵐」「血に染まる軍勢」といった表現で語られる。そうした初期の詩人たちが戦いや武器を表すために編み出した比喩は、全部でおよそ3500例。背筋も凍るような恐ろしい表現の数々だ。残虐なバイキングの戦いの領域には、女性が入り込む余地などないことは明らかだと、学者たちは口をそろえた。
ビルカの戦士は男性であるという定説は、揺るがなかった。
スレッテンの戦場で戦いを繰り広げる再現者たち。
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