東京・丸の内にあるミュージカルと演劇の殿堂、帝国劇場。
皇居のそばにたたずむ格式ある劇場に、一度は観劇に訪れたことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
1966年に開場した今の劇場は再開発による建て替えのため2月末で一時休館し、59年の歴史に幕を閉じます。
長い年月で上演された作品は372に上ります。
多くの演劇ファンに愛されてきたその歴史と舞台を支えた人たちの思いをたどります。
(科学・文化部記者 野町かずみ/ニュースウオッチ9キャスター 佐藤真莉子)
出演者が語る「帝劇」とは
2000年に帝劇で初舞台を踏み、2000年代に最も多く主演を務めた1人、井上芳雄さんは劇場の歩みを「チャレンジの歴史だった」と振り返ります。
井上芳雄さん
「今はミュージカルの上演が多いですが、そうなったのはここ最近のことで、もともとは座長芝居だったり歌舞伎をしていた時期もあり、意外にいろんな演目を上演していて、“チャレンジ、挑戦の歴史”だったと思うんです。帝国劇場はこういうものをやっている劇場というのではなく、今、お客様に広く求められて楽しんでいただける演目は何だろうというのを問い続けて実際チャレンジし続けた。この大劇場が恐れずにそれをしてきたというのがすごく重要な役割だったんじゃないかと思います」
帝劇で最も多く上演されたミュージカル『レ・ミゼラブル』で、強欲ながらも憎めない宿屋のおかみ、マダム・テナルディエ役を28年間にわたり演じている森公美子さんは。
森公美子さん
「帝国劇場は特別な空気感があって、入った瞬間に背筋だけじゃなく、いろんなことが正されるというか、ピーン、キーンとなって、ここには別の空気が流れてるんじゃないかと思います。舞台の初日を迎えるのは怖くてしかたないのですが、初日を迎えたとたんに劇場が“よし、おまえの努力は認めよう”と言ってくれる気がする。一生懸命やればやるほど、劇場はイエスって迎えてくれるんです」
歌舞伎、座長芝居、そしてミュージカルへ…帝劇の変遷
1911年、日本初の本格的な西洋劇場として開場した帝国劇場。
それまでの芝居茶屋を通したチケットの購入を廃止し、桟敷席からイス席となり、土足のまま場内に入れる西洋スタイルの劇場でした。
2代目となる今の劇場は1966年に誕生。
ロビーには重厚感のある紫色のじゅうたんが敷かれ、頭上には印象的なステンドグラス。一歩、足を踏み入れた瞬間からその美しさに圧倒されます。
舞台は地下6階の深さから大ゼリや盆を動かす機構を有し、セットを格納する広大な舞台袖を備え、どんな台本の上演もできる世界有数の劇場として開場しました。
1966年、帝劇の開場披露公演は歌舞伎でした。
4年前に亡くなった歌舞伎俳優、中村吉右衛門さんの襲名披露公演が上演されました。
背景には当時の東宝の役員で劇作家・演出家の菊田一夫が、その後『ラ・マンチャの男』などで活躍する現在の松本白鸚さん(当時・市川染五郎)、その父、八代目松本幸四郎さんら大勢の歌舞伎俳優を東宝に移籍させたことにあります。
しかし劇場の構造上、歌舞伎には欠かせない花道を設置すると、舞台に行くまで傾斜があるうえ距離も長く、俳優は演じづらかったそうです。
また同じ1966年、世界初の舞台化となった『風と共に去りぬ』では、舞台上に馬車を引く本物の馬が登場し観客を驚かせました。
1987年に再演した際に出演した大地真央さんは、舞台裏に控えていた馬ににんじんをあげていたところ懐かれてしまい、本番の舞台で大地さんの指示にあらがうという演技ができなくなり大変困ったということです。
そして帝劇の代名詞とも言える『レ・ミゼラブル』、『ミス・サイゴン』、『屋根の上のヴァイオリン弾き』や『ラ・マンチャの男』など、海外ミュージカルの大作を次々にヒットさせ、日本に本格的なミュージカル文化を根付かせました。
今ではミュージカルの色が強い帝劇ですが、2000年のはじめごろまでは、山田五十鈴さん、森光子さん、浜木綿子さんなど往年の大スターが主役を演じるいわゆる「座長芝居」が数多く上演された時期もありました。
また巨大な舞台機構を生かした作品の数々では、堂本光一さん主演の『SHOCK』シリーズが有名です。
瞬時に大階段などの巨大なセットが現れる演出を取り入れたほか、客席を含む劇場空間を最大限に生かして、ダイナミックなフライングを披露する演出でも評判を呼びました。
帝劇で初演した日本オリジナルの作品で世界に進出を果たした作品もあります。
舞台『千と千尋の神隠し』は2024年、演劇の本場、英国・ロンドンのウエストエンドの劇場で4か月にわたり上演。
日本語の舞台をそのまま海外で上演したにもかかわらず、30万人を動員する大ヒットとなりました。
震災やコロナ…苦難も
59年の歴史の中では東日本大震災や新型コロナなど苦難も味わってきました。
帝国劇場の舞台に立ち続けている森公美子さんが、この長い歴史の中で特に忘れられないのが2011年3月11日、『レ・ミゼラブル』の稽古中に起きた東日本大震災です。
稽古場も大きく揺れ、東京も大パニックに。
一時は舞台の上演も危ぶまれた中、東北出身の森さんは被災地を勇気づけたいと、出演者と一緒に劇中歌「民衆の歌」を稽古場から歌い、You Tubeで公開。
その後、キャストと共に被災地に向かい、現地でも「民衆の歌」を披露しました。
森公美子さん
「人に力をつけてくれる作品って、なかなかないと思うんですよね。あしたがんばろう、って思える作品。私たちの歌が役に立つんだ、やっててよかった、レ・ミゼに関われて幸せだと思う瞬間でもありました。今も世界中でいろいろなことがありますが、その時代時代、そのときそのときに何か響くものがあるからこそ、いつまでも愛される作品なんだと思います」
そのときに歌った歌詞の一部です。
「若者たちの歌が聴こえるか?
光求め高まる歌の声が
世に苦しみの炎 消えないが
どんな闇夜も、やがて朝が
(中略)
列に入れよ 我らの味方に
砦(とりで)の向こうに憧れの世界
みな聴こえるか、ドラムの響きが?
彼ら夢見た明日(あす)が来るよ」
「民衆の歌(エピローグ)」より
訳詞:岩谷時子
『レ・ミゼラブル』千秋楽 劇場に感謝を
今の劇場で最後のミュージカル公演となったのは『レ・ミゼラブル』でした。
千秋楽を迎えた2月7日は、別れを惜しむ大勢のファンが長い列を作りました。
最後のカーテンコールで挨拶した主人公のジャン・バルジャン役を演じた吉原光夫さん。
大勢のキャストを代表して述べたのは、劇場への感謝でした。
吉原光夫さん
「(2011年には)稽古中に大きな揺れがあって、一時は上演できなくなりそうになったこともありました。(公演の中止が相次いだ)新型コロナのときは、劇場は寂しく待っていたんだと思います。劇場と(観客の)いっぱいの期待、俳優たちの鍛錬によって、この劇場は成り立っていると思うと、きょう、この日、帝国劇場に立てて感謝しかないなと思っています。長い間、僕たちを舞台で支えていただき、本当にありがとうございました」
涙で声を詰まらせた吉原さん。共演者がそっと支えます。
最後の舞台には、このミュージカルの作者、クロード ミッシェル・シェーンベルクさん(音楽を担当)とアラン・ブーブリルさん(脚本を担当)も海外から駆けつけました。
1987年の日本での初演を成功させた立て役者です。
クロード ミッシェル・シェーンベルクさん
「この劇場の壁のすべてに歴代の出演者たちの声や演技が記憶されています。劇場が取り壊されることには寂しさがあります。これほどクオリティーの高い舞台を長年保っていただき、裏方の皆さんにもお礼を伝えたいです」
アラン・ブーブリルさん
「きょうの舞台を見ながら、1987年の日本初演のために来日したときの思い出がよみがえりました。最初は観客がこのショーを気に入るかわかりませんでした。きょう完璧なショーを見せてくれた関係者の皆さんに心から感謝します。この日、このショーのことは一生忘れません」
最後は代表曲「民衆の歌」を会場がひとつになって歌い上げ、幕が下りました。
終演後には誰もいなくなった客席に向かい、深々と頭を下げる俳優たちの姿がありました。
帝劇では最後の2週間、これまで上演されたミュージカル全53作品のナンバーを俳優たちが歌うラストコンサートが開かれ、2月28日に幕を閉じます。
歌舞伎から座長芝居、そしてミュージカルへと、舞台の歴史を紡いできた帝国劇場。2030年度、新たな劇場で新たな歴史が作り出されるまで、その思いは引き継がれます。
(2025年2月8日 サタデーウオッチ9で放送)
科学文化部記者
野町かずみ
1998年入局
北九州・高知などを経て現所属
演劇・伝統芸能など文化ニュース担当
ニュースウオッチ9キャスター
佐藤真莉子
2011年入局
福島局、社会部、国際部、アメリカ総局を経て現職
中高6年間ミュージカル部
WACOCA: People, Life, Style.