【2025年1月17日放送アーカイブ/第2部 被災地神戸・サンテレビの記録と記憶】バトン1.17~守りたい、だから伝える~
バトン1.17
~守りたい、だから伝える~
震災30年のテーマは「阪神淡路大震災の教訓を若い世代に伝える」。
番組では、震災を知らない若い人たちも含めたさまざまな世代に経験や教訓を伝え続けることが防災や、災害時一人でも多くの命を救うことにつながるとして、大切な人を失った方の思いや、震災継承の取り組みについてお伝えします。
【第2部(18時00分〜18時55分)】
<被災地神戸・サンテレビの記録と記憶>
6434人が亡くなった阪神淡路大震災の発生から30年。神戸は震災後に生まれた人たちや他の地域から移り住んだ人など、震災を知らない人が半数を占めるようになりました。子どもたちにとって、阪神淡路大震災が生まれる前に起きた歴史の一つになった今、30年前に兵庫県で何が起きたかを伝える必要があります。
第2部ではサンテレビが撮影した映像や視聴者提供の映像をつないで発信します。初めて映像を見る子どもたちに配慮するため、災害時の心のケアに詳しい兵庫県立大学大学院 冨永良喜名誉教授にも監修という形でサポートいただきました。
【監修】
冨永良喜 名誉教授(兵庫県立大学大学院 減災復興政策研究科)
●阪神淡路大震災30年 特別番組
6434人の尊い命が奪われた阪神淡路大震災から、まもなく30年となります。
地震発生から30年となる2025年1月17日、サンテレビでは、犠牲者を追悼するとともに、記憶・教訓を継承する取り組みの重要性を考える特別番組を放送します。
●<2025年1月開設>サンテレビ震災・防災特設ページ
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【制作著作】サンテレビ
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<放送時間>
月曜~金曜 11時55分、15時00分、17時05分(キャッチ+)、21時22分
土曜 13時00分、17時30分、21時22分
日曜 17時30分(ニュースSUNデー)
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#兵庫県 #ニュース #阪神淡路大震災
35 Comments
大きな地震が、いつ来てもいいように覚悟と、備えを万全にして起きましょう
しかし新長田の再開発は失敗に終わっているという現実もある
サンテレビさん、あの時は本当に地域に密着した細かな情報を伝えてくれていました。ネットもない時代においてローカル局の底力とありがたさを感じました。
自分は2009年の生まれで阪神・淡路大震災のことは自分のお母さんと高校の地理の先生から話を聞いたことがあります
お母さんはその時寝ていたそうですがお父さん(自分からみておじいちゃん)が「起きろ!揺れてるぞ!」とお母さんを起こしたそうです。その後自分のおじいちゃんは電気工事士をやっているので現場を見に行ったそうです。そこから余震もあったそうですがその度にこたつの中に入って急場をしのいだそうです。
高校の地理の先生はその時大阪に住んでいて神戸の方に救援物資をリュックに詰め込んで向かったそうですが、恐らく鉄道の復旧前で行路の大多数を徒歩で向かったそうです。三ノ宮で見た光景は地獄そのものだったと教えていただきました、ビルは倒れそれによって空気は淀んだりなど……
母が当時神戸に住んでいました。
私自身は2001年に母の地元静岡で産まれた為、当時の事も神戸の事も母の話以外は知りませんでしたが、何が起こっていて、母が当時何を見ていたのかが鮮明に分かる映像でした。
避けられない自然災害に備える事の重要さ、犠牲になった方々の事を胸に刻みます。
本当にありがとうございます。
復興の力すごい。日本に感謝。
後世に伝えるための映像なので当たり前かもしれませんが、西宮や宝塚の被害も入っていてほっとしました。
阪神淡路大震災を振り返る他の番組などでは、一切流れてこないので。
西宮では地すべりで34人もの人が亡くなっているのに、あの震災の映像で流れてくるのはいつも神戸の火災や阪神高速が倒れた映像ばかり。
他の番組などでも、盛り土の土地が被害に遭っていて、多くの人が亡くなっていたことなども、きちんと伝えていってほしいです。
被災者や当時を知らない世代、全てに対しての配慮が丁寧でビックリした。
振り返る事と知る事を無理はせずに、けど確実に事実を伝いたい信念が伝わる。
小学生~高校生までは9月1日の始業式に震災学習して年齢に合わせて段階的に学ぶのが大切だろうなぁ
もちろん事前にお手紙で心理的に無理な家庭は別室で違うことするようしにして……
震災を経験していない子どもさん向けのようですが、どの世代も観るべき映像です。
東京のキー局の特番では、長田区の火災や阪神高速の倒壊の映像ばかり流れますが、特定の地域に偏っていないのが地元局ならではだと思います。
現在の災害報道ではおそらくカットされるようなシーンもあり、子供さんにはショックが大きいかもしれませんが、これが震災の現実です。
当時、撮るべきか撮らないべきか、現場の方々にも葛藤があったと思います。
しかし、人間の記憶は日々薄れたり、事実とは異なる形で上書きされてしまうこともあるため、このように記録を残してくださっていて良かったと、30年経った今では思えるようになりました。
何か勝ち誇ったかのようにこんな映像を流してますが、あなた方のようなマスコミが連日ヘリコプターで上空を飛んだため、家屋の下敷きになった人の助けを求める声が聞こえず、そのまま亡くなった方々がたくさんいることを忘れないで下さい。 勘違いしないで下さい。
火災保険でと火を付けた事が大火災になり、結果保険が効かなかったと聞いたが…
当時13歳。北海道は冬休み中で、亡き母に地震だ!と起こされました。
地震?揺れてないよ、としぶしぶ起きたら神戸でした。
私はこの地震を体験してはいませんが、いまだに忘れません。亡き母に起こされたぐらいなので、なにごとかと見たら、壊滅的で、ぐちゃぐちゃでした。
現在も北海道に住んでいます。
両親亡くなり1人暮らしに。1人暮らしになったからこそ、怖いです。
当時すぐにテープを回し、NHKの放送を録画。DVDにうつしてあるので、今でも見られます。たまに見ますよ。
当時は横浜市在住の小学生でした。日に日に増えていく死者数に、子ども心にショックを覚えたのを今でも思い出します。遠い地から見守ることしかできませんでしたが、その週には通っていた小学校で募金活動が始まり、私も小銭で協力しました。
なかなか神戸以外の映像は貴重です。
さすがサンテレビさん。
ありがとうございます。
阪神高速が横倒しになる前日にそこを通って自宅のある岡山市内に帰ったので、寝耳に水でしたね。
親は、長田区にあった取引先に1日遅れで行ってなにもなくなったと嘆いていましたが・・
どの映像も見覚えがあるなあ
中学の頃、神戸万博に行ったんだ ピカピカの未来都市に見えたポートピアが、裂けて砕けて泥水を吹き出してる様に、目の前が真っ暗になった
生まれて初めて見る、大震災だった 生涯忘れられない
6:34 中央区宮本通5丁目6(現タイムズ宮本通)付近
6:44 中央区日暮通1丁目5−7付近
20:46 JR六甲道北にある現在ローソンの横付近を西に移動
21:39 灘区神ノ木通3丁目6-18(現・灘消防署)
叔父さんが亡くなって30年。
39歳になった私にも家族ができた。
あまり口にはしてこなかったが、テレビで死者の一覧テロップに叔父さんの名前が出てきた時には子供ながらに衝撃だった。
天災とはいえ本当に辛い出来事だった。
南海トラフが切迫していると言われる近年、家族を守るためにできる限りの備えをしておこう。
たくさんの命が奪われた。
同地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
此のとき、浜松のカプセルに居た。揺れを感じて、多くの宿泊客がロビーに出てきたのを覚えている。
今より足りてなかったけど、今より優しい日本だった。
フェイクニュース(SNS)で愉しむ輩も見かけなかったし…
アメリカみたいな火事場泥棒も見かけなかった…
何よりビックリしたのは、宝塚劇場が復興の兆しの為に早く始めて…
状況が見たくて行ってみたらチケットに並ぶ中の人が芦屋の奥様で…
「隣の家にうちの家がたおれちゃってw」
って大笑いしてたこと。
大変な人もいるのに、同じ所でもこんな余裕の人もいるんだなぁ…って。
当時四国在住、小学校低学年でしたが、祖父母親類が北大阪や西兵庫に住んでるのは理解していて、何かとんでもないことが近親者の地域で起きているというのは認識していました
なのに両親は私には学校に行きなさいと送り出し、両親と年の離れた当時中学生の兄は学校を休み、一人だけ疎外されたさびしさを感じていました
学校から帰って、崩れた阪神高速に引っかかったバスの映像は覚えているものの、常にあんたは関係ないと遠ざけられていました
その後ひたすら『大震災にあった子どもたち』というシリーズを読んで、当時何があったのか理解しようと努めていたことを小学生の間の記憶として覚えています
大人が子どもの精神を守りたいというのは理解できるけど、できれば対話という形を取ってほしい
伝えることを躊躇しないで、恐ろしい自然災害があったことを共有してほしい
職場の交代時間が朝の8時半で職場に行くまでに1時間余り掛かったので、朝は早起きでした。
この日は5時30分頃に目が覚めたのでまだ時間的が余裕が有るなと思い寝床でぼんやりしてました。
マンションに大型トラックでも激突したかのような衝撃でいっぺんに目が覚めました。
大阪の震度4でこの有様ですから他はどうだったのかと思いテレビを付けようとしたのですが、
停電で見る事ができませんでした。
ちょっと早いけど駅前のコンビニに寄って阪急電車に乗ろうかと向かいましたが、
コンビニの中は売り物が散乱して店員が対応に追われ、電車は全線不通と駅員に聞きました。
そこからは大阪市バスが動いていたので、乗り継いで職場に行きました。
交代要員4人の内、小生だけしか来ておらず高齢の1人だけ交代でした。
職場のラジオを聞いても神戸の惨状はまだ伝わってなくて呑気なものでしたが、
数時間後にテレビの報道が始まったらもうそれは悲惨でした。
職場の南港から見た神戸方面は黒煙がもうもうと上りまるで空襲直後のようでした。
あの日の事は一生忘れませんね。
直後に高速道路の規制に駆り出されハードな日々が続き、東京ではサリン事件が発生して不安な日々が・・・。
復興なった神戸・・・今、同じ規模の地震が襲っても、6千人を超える犠牲は出ないだろう。では、亡くなった6千人とは一体、何の犠牲だったのだろう? 壊滅的なダメージを受けてから、危険を伴う救出や困難な復興をはたす位なら、ダメージを受ける前に備える事が、何故、出来なかったのだろう。 神戸に限らず、地震国・日本には何処でも同じ危険を抱えた地域が沢山ある。 最も効果的な自助とは、庶民の生命を最も優先する政治を選ぶ事では無いだろうか・・・
阪急西宮北口駅の道端で、たこ焼きの屋台がズラリと並んでいて段ボールに「地震に遭われた皆様温かいたこ焼きをどうぞ」の貼り紙。でも次の一文「五百円」には怒りを覚えました…。
街を直してくれたみなさん、みなさんありがとう。
当時は1歳で埼玉県に住んでいました。
私の母親のママ友が神戸出身でした。
車で埼玉から神戸に救援に行ったという話をききました。
凄いよな、レスキュー隊の技術力とJRや街の復興力
ご高齢の方を助けるかどうかも考えておくべき。
ROSCした後のことも考えるべき。
DNARを事前に考える勉強会をしても良いと思う。
私は自身のアナムネや保険証にDNARを記載し、かかりつけのカルテにもDNARと書いて貰っている。
国は、ジェネリックを希望しますシールを保険証に貼るキャンペーンをしていたが、DNARシールを作ってはどうだろうか!?
51:48 1995年は「ボランティア元年」と言われた。
しかし、2024年はボランティアの終焉を告げる年となった。
被災地では、以下のような声が上がった。
・車で来るな、渋滞を引き起こす。
・自衛隊のように自己完結できない者は来るな。
・カレーを食べるな。
・排泄物は持ち帰れ。
・写真を撮るな、ここは見世物ではない。
・ボランティアはSNSに動画を投稿するな。
・被災者を自己顕示欲の道具にするな。
・ボランティア登録をして、指示に従え。
・ボランティアを装う窃盗犯が出没している。
・ボランティアを装う性犯罪者が出没している。
善意で支援しようとする人々に対し、このような厳しい言葉が投げかけられた。
まさに恩を仇で返す行為と言えるでしょう。
結果、能登は見捨てられました。
私は当日4歳だったので記憶はありません😢
バスがギリギリ停まってる状態は小学校の教科書に載っていたのは覚えています😔
今の教科書は東日本大震災かもしくは能登になるのかな?って😵
段々、阪神・淡路大震災は忘れられていくんですかね😔
関西に住んでるのでいつ南海巨大地震が来るかも不安のまま生活しているのでこういう絵面になるのかな?と感じてます💦
また、どんなに教訓としてこういう動画とかを使って諭したとしても、結局は本当の意味でちゃんと備えるのは一度震災を身を以て体験した人ばっかりよ
六甲道駅近くにいたので、当日、六甲道が落ちているのを見て呆然としました。 震源地は明石海峡で、大橋をかけるのに海底にすごい杭を打つのか、地鳴りがするほどの工事をやっていました。それについて、テレビでも何も言わないけど、震源地に局地的に雲が出た報道はあったようです。。。
阪神淡路の災害時は、
ニュースで、詳しいことが分かる度に、心が痛くなります
友達が、新居🏠️🆕✨を建てていた時でした