【ゆっくり解説】昭和58年に起きた「日本海中部地震」を振り返る
いつもご視聴ありがとうごいざます。
今回は「昭和58年に起きた「日本海中部地震」を振り返る」
について
ゆっくり解説していきます。
▼目次▼
00:00 オープニング
00:38 昭和58年に起きた「日本海中部地震」について
3:07 「海沿いでの地震=津波」の認識がされていなかった!?
06:04 被害状況
08:56 津波被害が一番大きかった!
12:23 小学生の津波の犠牲が街や人を分断!?
16:07 問題だった!地震直後の津波警報発令システム
19:14 無駄な政府調査団
20:58 地震後の別な被害
22:07 多くのデマが広がる!?
23:56 地震からの教訓
よろしければコメントお待ちしております。
21 Comments
この時の経験から『地震→津波』という認識が出来ましたね。
また 当時は不要論を掲げたりして批判される事も多かった『自衛隊』の皆さんにも感謝するようになったと思います。
認識の甘さといいますが、それはこういった経験を積み重ねてきた『今だから言えること』です。そういう今の認識のもとに昔の人の認識が甘いという評価を下すことは間違っています。当時、「日本海には津波は来ない」と言われていたのです。もちろんこれは誤りなのですが、それまでに日本海で大きな津波災害がなく、こういう俗説を信じる人も多かったのです。また、今の津波警報に当たり情報が出たのは「地震発生14分後」でした。北海道南西沖地震の奥尻島でもそうでしたが震源が陸地に近い場合「津波情報が間に合わない」ということもあるのです。これは技術が発達した現在でも同じですね。だからこそ、これまでの経験から、地震が起きたら津波が来ると認識して、警報が出でる前に避難することが大切ですね。こういった判断ができるのも、当時の人の犠牲の上に成り立っているのです。非難せず、冥福を祈りませんか?
他所の住民にとっては『対岸の火事』でしかない(東日本大震災と胆振東部地震で被災した者)。
いいと思ったが、誤植はダメだ。
最初の
相川南小学校ってどこにあるんだ?
合川南小学校だろが!
また、立合川南小学校って何だ?
知ったかぶりはやめろ!
地元、秋田県秋田市在住者からの忠告だ。
50過ぎだけど
小学生の頃、日本海側には津波は起こりにくいって授業で習ってたからあの地震での津波は驚いた記憶が有る
秋田は大変だね、義援金から慰霊碑等を作るとか遺族感情を逆なでするようなものだろ
政府の調査団は、福島第一原発の事故対応を邪魔した内閣総理大臣を思い出す
今の津波警報は震源やマグニチュードから自動で計算され警報がすぐ発表される
マグニチュードが8を超える大型地震の場合、メートルでは無く巨大と表示される
能登半島の地震の時のNHKアナウンサーの、巨大津波発令時の迫真の伝え方は見事だった
人間、災害時は正常性バイアスに陥りやすいから
非常時である事を伝え、今すぐ行動させ自分の身は自分で守る事を繰り返し伝えないと
「地震=津波」という認識が無かったと言うより、日本海側で津波を伴う地震が起こることを考えていなかったんじゃないかな。太平洋側だと三陸沖地震やチリ地震津波など地震と津波を関連付けて考えられていただろうからね。
この時の津波では釣り人も何人か犠牲になっており、漫画家の矢口高雄先生が「釣り人目線の津波に対する教訓」を題材にした漫画を出版しています。
地震=津波の認識が無かったは誤りですね。
当時は”日本海側”では津波が起こらない(俗説)と言われていた。が正しいです。
普通に津波被害の知識はありましたが、日本海側は安全と教えられていました。
この地震までは・・・
大地震から19分後ようやくNHKテレビで津波警報を放送。当時はこれが限界だったがこれを教訓に最短3分で緊急警報放送が出来るようになった
当時8歳でしたが全く覚えて無いです
1:15
✕ うる覚え
○ うろ覚え
自然災害は防げないので普段から避難場所や連絡手段等を決めておく事が大切ですね。
ラインのアイコンを【無事です】や【避難所にいます】等のアイコンにしておくと、複数の人と連絡をとらなくても安否確認が出来るのでバッテリーの節電になると知り、画像をダウンロードしておきました。
今晩は日本海中部地震昭和58年は覚えいないは
日本海中部地震は5歳の頃経験しました。当時は「地震があっても、日本海側に津波は来ない」という考えがあって津波の人的被害が増えたと記憶しています😢
初めて体験した地震でしたが、まさか、それから約40年後、能登半島地震で大きな地震を体験するなんて、思いも、しませんでした。😢
当時、「地震→津波」という意識が、今からくらべると、普通の市民の間ではかなり低かったの確かなように思います(ただし、ある程度勉強すれば知識としては情報は得られた)。私の体感的には、この意識が高くなったのは1993年の北海道南西沖地震による奥尻島の大きな被害以降の印象です。
鎌倉のあたりの海岸線は観光客をどうやって避難させるのか謎
忘れもしない地震です。当時、足を骨折して自宅にいまして、お昼の森田一●アワー笑っていい●もをラーメン食べながら見ようとしていたんです。そしたらすごい揺れが来て❗
そして、身動きとれないオレを見捨て、家族全員外に避難して、、、家族の絆を身に沁みて感じた瞬間でしたw
因みにこの地震からちょうど二十年後に今度は三陸沖で地震が発生したんですよね。
ただ、同日に訓練していた自治体が多くあった事からかなり順調に対応が進んだとか。
この時、中学3年でした。
埼玉県南東部に住んでて、授業中でした。
そこそこ揺れて、先生も含めて『地震❗️』と一瞬、身構えました。