津波で亡くなった友と語った夢 小学校の先生目指す大学生「子供たちを支えられるように」【月命日に想う】 (25/01/13 18:35)
東日本大震災の月命日にあたる毎月11日、震災で大切な人を亡くした方にお話を聞く「月命日に想う」です。今回は、震災で亡くなった友人との思い出を胸に夢に向かって勉強に励む大学生です。
石巻市にある震災遺構、門脇小学校。
高橋 輝良々(きらら)さん
「初めて見た時はこんな状況になっていると分かってはいたんですけど、目で見ると全然違って。悲しいという気持ちよりも信じられなさが自分の中で一番大きくて」
石巻市に住む大学生、高橋 輝良々さん(21)。震災が発生した時は門脇小学校の1年生でした。海から1キロ離れた場所にある門脇小学校には高さ1.8メートルの津波が襲い、その後、大規模な火災が発生しました。高橋さんやほかの児童は校庭から裏手の日和山に避難して無事でしたが、下校していた7人の児童が亡くなりました。その中には、高橋さんと将来の夢を語り合った友人もいました。
高橋 輝良々さん
「ジャングルジムで遊んでいる時になんの話からそういう話をしたかはちょっと覚えていないんですけど、私が小学校の先生になりたいっていうふうに話をしたら、彼女も『私もなりたいと思っていたよ』と言ってくれました」
小学校に入学したばかりの2人が話した将来の夢。
高橋 輝良々さん
「(友人が)すごく好き、大好きだったので。手紙を書くとか遊びに誘うとか絶対いつも一番に思いつく相手だった」
大好きだった友人への想いが詰まったカラフルなカードは、授業の一環で作ったもの。渡す予定だった日の前に震災が発生し、高橋さんの手元に残されました。鉛筆やメモ帳を添え、何度も手紙を交換していたという2人。震災前、友人から最後にもらった鉛筆に、高橋さんは一番伝えたかった想いを書き込んでいます。震災の翌年から毎年3月11日に友人への想いを手紙につづっているという高橋さん。
高橋 輝良々さん
「唯一、1年の中で会話できる日、会話できる場所だと思っているので、私の1年のこんなことあったよ、こんなこと頑張ったよという報告と小学校の先生になるためにこんなこと来年頑張るねっていう。自分のことばっかりなんですけど」
しかし、手元に残っているのは去年書いた一通だけです。
高橋 輝良々さん
「手元に残っていると、子供なりに届いていないんじゃないかというのが不安で、自分のところからなくなってほしいというのがあったので自分で捨ててしまっていた」
亡くなった友人は、その両親も亡くなっていて、手紙を届ける先もないといいます。現在、大学3年生の高橋さん。教育学部で教師になるための勉強に励んでいます。子供の命を守ることのできる教師になりたいと被災した人の話を聞き、子供たちへの伝承方法を研究する活動もしています。その活動の一環で、2022年、震災後初めて門脇小学校を訪れました。
高橋 輝良々さん
「軽々しく行こうという気持ちにはなかなかなれなくて、ちゃんとしたきっかけを自分で作って行こうと思っていた」
当時を思い起こしながら校舎を見て回る中、一枚の写真が目に留まりました。
「1年2組に残されていたオイルパステルで、一番最初にひかれた写真だった」
写っていたクレヨンは亡くなった友人が使っていたものだったのです。
高橋 輝良々さん
「名前シールが貼ってあって、亡くなった友人のだと分かって初めて見た時は、ここで泣いた」
高橋さんはおととしから自身の経験を語り始めました。大切にしまっていた友人との思い出を話すことに葛藤もあるといいます。
高橋 輝良々さん
「自分の記憶、その思い出を伝えてしまうと、彼女のことを自分の約束で縛りつけてしまうような感じがするのは不安で、それだけは避けたいので、あくまでも私の思い出として聞いてほしいということをお話ししています」
それでも、強い思いがあります。
高橋 輝良々さん
「自分の中で思っているだけでは救えない命ってたくさんあるんだということをすごく感じたので、伝えていかなきゃと強く思うようになりました」
高橋さんにとって温かい場所だったという小学校。震災前、友人と話した夢は今も変わりません。
高橋 輝良々さん
「いろんな人たちに本当に支えてもらって乗り越えた被災生活とか学校だったので、子供たちのやりたいこととか、なりたいことを一緒に全力で応援できる、支えることのできる教員になりたいと思っています」
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