順縁世界と逆縁世界――身延後期に法華経と釈尊を「相対化」していた大聖人!
『教学要綱』の根本的過ちは、この「相対化」を無視して、大聖人が法華経と釈尊を「絶対化」し、根本にしていると思っていること!!
前回、大聖人が竜口法難における神秘的な体験をきっかけに、「自身=不軽菩薩」の自覚と「自身=上行菩薩」の自覚を得たことを学びました。
上行菩薩の自覚は、順縁世界における国主帰依による順縁広布、すなわち三大秘法建立の理想へと進み、不軽菩薩の自覚は、国主が弾圧してくる逆縁世界において、一大秘法(=曼荼羅本尊)と毒鼓の縁・而強毒之の折伏による逆縁広布を目指します。
竜口以後の大聖人のご化導は、この二つの自覚が複雑に絡み合いながら進展していきますが、大きく言えば、文永11年の身延入山から建治年間の身延前期(1274年~1277年)は、前者の自覚が強く打ち出され、熱原法難等の弾圧が表面化してくる弘安元年以降の身延後期(1278年~1282年)には、後者の自覚が前面に現れ、大聖人がそれまで絶対視してきた法華経と教主釈尊を相対化し、「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」とか、「教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち」
等々、ご自身と南無妙法蓮華経を教主釈尊や法華経よりも上に置くようになります。
『教学要綱』も、男子部教学室が書いた須田さんへの“反論もどき”も、この大聖人が最終的に至った身延後期の立脚点を無視して、専ら身延前期までの御書を根拠に組み立てて、大聖人は法華経を根本にしたとか、あくまで教主釈尊の使いの立場を貫いたとか、大嘘を言っているのです。
今回は、興風談所の大黒喜道さんや山上弘道さんらの論考を参考に、この法華経や教主釈尊の「相対化」について、詳しく学びたいと思います。
【関連資料】
①『創価学会教学要綱』の考察: 仏教史の視点から ペーパーバック – 2024/8/20(須田晴夫著)
https://amzn.asia/d/dN6DKe6
②須田晴夫のホームページ
『創価学会教学要綱』に関する会長宛て書簡
https://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page7
③〈男子部教学室論考〉
「教学要綱」は創価ルネサンスの集大成
2024年10月18日
的外れな“批判本”を破す
https://www.seikyoonline.com/article/603E8EF7E9B96D20AF2920005F5C1C6B
④須田晴夫のホームページ
男子部教学室の「論考」に応える
https://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page9
⑤創価大学名誉教授宮田氏のホームページより
須田晴夫 「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察(修正版)」へのコメント
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/suda.html
宮田幸一のホームページ
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/index.html
【この動画の資料】
https://drive.google.com/drive/folders/1l5Q-ZrTQ90wcQhpFr2gu03sfC5c2eSMI?usp=sharing
【関連動画】
講師 波田地克利
1958年山口県生まれ。創価大学大学院卒。1991年2月創価学会金褒章授与。元聖教新聞社企画部副部長。
学会最大の論客にして対宗門の急先鋒。第二次宗門問題渦中において創価新報の日顕宗キャンペーンなどを担当し、宗門の謗法を徹底的に破折した。
2014年、谷川佳樹、佐藤浩、八尋頼雄、北林芳典、竹岡誠治らの悪事を糾弾したことで除名される。
現在は教学研究会にて、戸田第二代会長が学会内の出現を予言され、その通りに現れた仏法破壊の師子身中の虫、師弟違背の僭聖増上慢を呵責すると共に、当会のスローガンでもあり、池田先生が心ある同志に頼まれた「自身と学会の目の覚めるような発迹顕本」を目指す為の論陣を展開する。
●youtube
https://www.youtube.com/@はたちチャンネル2/videos
https://youtube.com/channel/UC0sCyv5-RkFWRn6HsY09C1A?si=GNvJ9Egl6fHp8U3O
●教学研究会ホームページ
https://kyogaku-labo.com
●X
教学研究会(はたちチャンネル)
https://x.com/Kyogaku_labo?t=Lt3uKlmzoSPqiOnDCsJ9Uw&s=09
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#池田大作 #池田先生
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#はたちチャンネル
#教学研究会
27 Comments
そんな難しい事言わんでも、もともと、牧口会長、戸田会長、そして池田会長の途中までは、日蓮正宗として大聖人を末法においての久遠元初の自受用法身如来の当体として祈っていたのではないですか?!つまり、大聖人を末法の本仏としていたのではないですか?!戸田会長時代なんかは、正宗、正宗と言うてましたがな❕現原田会長はその歴史をどうするつもりなんや?大聖人を釈尊の使いという位置付けにする言うんなら、どんなにもっともらしい事を言っても、朝令暮改じゃないか?!正宗、正宗言うてた戸田会長時代を無かった事にするんか?!そんないい加減な事が通用するんなら、何でも有りやね❕東大出の頭のいい原田さんよ❕
こんなこと言ったら身も蓋も無いですが、須田さんも創価学会も支持できないですね。何というか、同じリングの上で異種格闘技をしているみたいな、決着がつかない殴り合いみたいなもんですね
師に真逆の大幹部は、役職、上下関係にすがる。教学要綱は学会の大幹部の不正を正す要綱を作ってくれ!仏の世界は上下関係はなし。末法万年の衆生を救える仏法は、御本仏日蓮大聖人の南無妙法蓮華経が根本である。日蓮仏法は文上主義で分派される。創価学会は広宣流布に組織化され、日蓮大聖人の仏法を根本に、妙法の大地に展開する大文化運動と文底の上から、人類、人生を幸福に教学を解りやすく文証、理証、現証で行動、実践され今日の世界広布の礎がある。それは、御本仏、大聖人の魂に重ねる人本尊、池田大作先生の出現、実践、行動によって成就する!師弟の道は、師弟不二の道である。師に帰命は御本仏ヘの帰命となり、仏の生命と不二となるのです!仏法は師弟の中に脈打っていきます。今世の師弟の道、師弟の出会いは、来世も師匠と共に生まれ、師匠と共に戦えます!仏はじっと見ているぞ!南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜です!
三時仏法
四箇格言
其れ時々の出来事の内容によって使う
末法の方法論では地涌菩薩上行菩薩法華経行者日蓮の方が正しいと言うか方法である
神社仏閣に行くのもだけど 実力無いのに法論参詣し無い
末法無戒の世で釈尊が言わなかった法を説いた法華経行者日蓮
法が先
人が後
依法不依人(釈迦像→漫荼羅)
法味=エネルギー
南無妙法蓮華経(動詞)
妙法蓮華経(名詞)
妙法蓮華(形容詞)
一念三千
因果俱時
如来神力
一大秘法(如来寿量品妙法蓮華経)
三大秘法(法華経本門本尊題目戒壇)
南無妙法蓮華経=題目=本尊=戒壇
如来寿量品「本仏」論
如来神力品「本尊」論
法華経行者(個人自由社会平和)
創価学会員(個人幸福社会繁栄)
仏は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし。
凡夫即極こそ人間の為の宗教
色相荘厳の仏は権威化しやすい。
大聖人は本因妙の仏、釈迦は本果妙の仏 釈迦仏法は何度も生まれ変わって気が遠くなる歴功修行を経て成仏するまでとてつもない時間がかかる。
大聖人の仏法は直達正観、過去の罪障を今生で消して現世に宿命転換できる。御義口伝 末法の仏とは凡夫なり
創価学会は謗法団体です。一刻も早く創価の間違えと嘘にきずかれ、日蓮正宗の正しい信仰に目覚めて頂きたいと思います。
学会が身延化しているちゅうんは、ある視点からみれば有りかもしれん?!問題は信者がそれを納得するのか?!幸福になったいくのか?!という事じゃと思うが脳❕もともと、幸せになりますよって勧誘したんやろ?!
その池田先生自体が胡散臭いのですが?
あなたの御書講義は、大変わかりやすいです。だがしかし、池田氏自体についてどうお考えなのでしょうか?
後藤組による富士宮墓地地上げ問題、その他たくさんあります。矢野委員長が奔走したルノアール事件、竹入委員長でっち上げ裁判からの反逆者扱い
山友にしても、散々学会の汚れ仕事やらされ最後は逮捕による弁護士剥奪(そりゃあ汚れ仕事ばっかさせられれば、悪事に手を染める気持ちもわからんわけではない)
どうしても池田氏には2面性があると思わざるおえない。原田会長、池田先生の勤行は、どうみても普段から勤行しているようには思えず、別に勤行しなくて良いなら勤行廃止にすれば良い。
私はね、創価学会は、特に池田氏から、日蓮正宗の乗っ取りを企んでたと思っているのですよ! だからこそ破門されるのを一番恐れていた。
日蓮正宗側は、創価
学会がついた当時、お布施は増えるし信者も増える、日蓮正宗側はそれを損得で見てた側面もあると思います。ただし、日蓮大聖人からの血脈を一番に考え、その教えを粛々とやっていたと思います。
創価学会がうなぎのぼりで信者が増え、池田氏の慢心があったと思っています。日蓮正宗を堕落した法主と罵り(ろくすっぽ勤行すらしてない池田氏はじめ幹部たち)日達上人の頃なんか特に酷く(日顕上人の比じゃない)かなりぶっ叩いていた事実があります。
創価学会は日蓮仏法を商売道具として見てた側面も否めないんですよ。だからこそ破門を一番恐れていた。今や破門され独立宗教法人になった創価学会は、選挙しか会員の結束を確かめるものがなく、選挙イコール広宣流布などと、日蓮仏法からは完全にズレてしまってると思います。
破門され独立した時から創価学会はズレてきてると思います。戸田先生、池田先生は愛人がいたでしょう?(特に池田先生は酷いという事です)もうね、隠しきれんのですよ! 今の学会衰退は、独立当時の原因があってのことだと思っています。
日蓮大聖人が御本尊を御図顕された目的はご自身が何れ御入滅なされる故、末法万年に渡る一切衆生救済の為に根本の仏であるご自身の当体を一幅の大曼荼羅として現わされのである。その御本仏日蓮大聖人の大慈大悲の心を忘れたものこそ邪義を立て真の広宣流布を阻むものである。正に創価学会はこの日蓮大聖人の仏法の根本から逸脱し、邪義を立て学会員を無間地獄に落としめんとしている。邪義、邪心を打ち砕いてこそ真の法華経の行者となるです。
日蓮を悪しく敬えば国滅ぶべしの御聖訓の通り、邪心を以て邪義を掲げるものを破折しなければこの世界も日本も益々危うくなります。
今は釈尊の仏法の時代では無い、御本仏日蓮大聖人仏法が宣揚される時代なのです。
創価学会は何を血迷ったのでしょうかねえ
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要するに現場レベルでは教学要項無視で折伏弘教して行くしかないですよね。学会のトップが腐っていようが民衆仏法として個々人の宿命転換はして行かなければならないわけで。宿業の恐ろしさは半端ないですからね。教学要項が間違っていようが衆生救済を放棄するわけには行かないわけで
人は嘘をつく、仏は嘘をつかない故に法に依って人に依らざれと御本仏日蓮大聖人は仰せである以上
御書を学び仏法の正邪を見極めながら御本尊様を深く信じ奉りお題目をあげきって無上の歓びをこの命に感じ
この世で己の使命を全うしていきましょう。
論より証拠です。
原田学会から池創相対するのであれば、その教義に基づいて弘教、御本尊下付も同時にするべきですよ。御本尊を下付できないのであれば、相対が機能していないじゃないですか。まさか学会に一旦入信させてから御本尊流布して脱会させて相対させる気ですか?
男子部教学室の反論は、支離滅裂です。教学要綱も男子部の反論も「馬鹿」丸出しです。よくあんな恥ずかしい論を述べられると思います。会員をバカにしてるとしか思えません。
三沢抄には、「佐渡以前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」と言われております。
「教主釈尊の御使」「上行菩薩の再誕」と言われていたのは佐渡以前です。未顕真実の教えであり釈尊が「正直捨方便」と言われているとおりです。そして、「竜の口にて頸をはねられんとせし時より」弟子たちに『真の事』を言いましょうと。
その後迦葉・阿難等の名を上げられ、「我が滅後・末法に入らずば此の大法いうべからず」と言われていると。『日蓮は其の御使にはあらざれども』時は末法・悟りを得て聖人が出現されるまで序文にだいたい申してきたと。此の法門が出現すれば正法・像法の霊験は消え失せて但此の大法のみ一閻浮提に流布すると。
末法に出現し、悟りを得て、此の大法【末法の南無妙法蓮華経】を建立し流布してきた聖人は日蓮大聖人しかいません。
久遠元初の自受用身(日蓮大聖人)と応仏昇進の自受用身(本果第一番成道の釈尊)があります。なぜ、自受用身を消さなければいけなのでしょう?
御義口伝巻上 序品 第七天鼓自然鳴の事に、自説とは自受用の説法なりとも説かれています。 御書根本と言うのであれば、是非、一読をされてはいかがでしょう。
蒙古がおさまったのは、魔軍が、その時代の日本の王が法華経を信仰すると悪が滅びるので、おさまったとおもいます。
日蓮大聖人様は、確かに蒙古襲来を見抜いていたのは確かですよね。
魔は非常に頭が良いですから。
しかし、日蓮大聖人様がお亡くなりになった後の時代背景は、どうだったのかな〜と、学校で習う歴史は殆どが嘘まみれです。
しかし、豊臣秀吉など徳川家とかの歴史などの本当の歴史を知りたいですね。
ザビエルは悪魔崇拝者で、日本を乗っ取るつもりで来てますし、第一次世界大戦や、第二次世界大戦も日本人を皆殺しにしようとしていましたし。
戦争の最中、牧口先生、戸田先生、池田先生は、すたれていた法華経では、国を守れないし、日本人を守れない事を知り、立ち上がったのですよね。
その当時は、日蓮正宗は、いったい何をしていたのだろう?
日蓮大聖人様は、お一人で法華経を広めて来られたのに、寺側は、日蓮大聖人様の伝えて居る行動はなかったと私は思います。
池田先生は、自ら足を運び他国の戦争を止めてますよね。
池田先生を否定ばかりする日本人に対して、がっかりです。
日本人として、池田先生を誇りに思えない日本人にガッカリです。
人は簡単に否定や文句を言います。
それなら、誰でもできます。
いかに、人に寄り添い、尽くしていくのかがどれ程困難であるのかを知らない。
折伏にしてもそうです。コチラは幸せになって貰いたいから自分の事なんてお構いなしに懇切丁寧に尽くしても相手が無知故、散々な目に遭います。
まぁ、それでも此方側は、そのお陰で物凄く精神が鍛えられますが…
創価を否定ばかりする日本人に対して、じゃ、あなたはどれだけ人のために尽くして来れたのかを聴きたいくらいです。
殆どが損得ばかり考えて居るでしょうね。
だから、現在、世界中で天変地異がおこり、世界中で火山噴火が起きてたり、水の災害も悲惨ですし、疫病が蔓延してます。
疫病や経済、食、医療などなど権力者が仕掛けて来てますが、人間が自分さえ、家族さえの考えがある以上平和が訪れないのに、問題になって初めて誰かを責めるのはおかと違いです。
池田先生は、内部の敵を見抜きなさいと伝えてました。
池田先生は、秋谷栄之助の証拠を突き止めようともしてました。
しかし、それだけではないですよね。ご執筆や、指導やら勤行お題目もそうですし、毎日毎日休まる時間なんて殆どなかった筈です。
日本人なのに、日本を代表する偉人をケナシまくって恥ずかしくないのかなと私は思います。
あ、第二次世界大戦の話ですね‼️
そうですよね!
だって、人間の魂が汚ければ神は、国を滅ぼすのですからね。
この事は、神が伝えていた事です。
はたちさん、私は、コロナが流行った時にワクチンが広まり其れは、猛毒であり接種してはならないと仏界からメッセージが届きました。
そして、私の家族や私の兄弟家族は接種してません。
そして学会員さんに伝えても一切信用されませんでした。
公明党本部にも電話をかけて伝えました。
しかし、無視されました。
私は、仏壇の前に布団を敷き、寝ても覚めてもお題目でワクチンの毒素を消す祈りを行ってました。
そして、ワクチン接種者の7割だったか8割の人の毒素を消したと宇宙人から伝えられました。
そして、仏界からも其れを伝えられました。
しかし、その後、ワクチンの毒素は消えて助かったとしても、人類は、3分の1しか助からないとの事でした。
私は、物凄く落胆しました。
でも、諦めず現在も祈ってます。
もう、人類の選別が始まってます。
池田先生は、息を引き取る前に、このままでは大変な事になると仰ってました。
私に伝えて来た仏界からのメッセージも同じという事です。
仏界では、何故仏敵が学会の組織に居るのに戦わないとの事です。
創価を辞めて行った人に伝えて居ると思います。
はたちさんの事ではないので😊
私は、辞めて行った人がどうなるのか?考えると気分が落ち込むので目覚める事を祈ってます。
其れから、曼荼羅に毘沙門天様が認められてますよね。
毘沙門天様はインドの神ですよね。
私は、ある動画で、過去世インドに生まれた女性の話なのですが、親の反対を押し切って宗教に入った方が今世で、魂抹消と神に伝えられたそうです。その方は、日本人なのですが、相当な苦労をして来て、瞑想やらヨガを行って居るうちに、高次の存在と繋がり、今世で魂抹消と言われたそうです。
理由は、インドで宗教に加入し、悟りを得たけれど、自分のもののみで、広める事をして来なかったのでとの事でした。
もう1人の方も霊媒師で、インドで宗教に入っていましたが、殆ど学ばなかった事を今世で伝えられて、その方は、人助けを朝から晩まで行っていても、体が弱く、死ぬ目に何度も遭ってたり、髪の毛も若いのに癌患者の様に抜けてウイックを付けてました。
日本に生まれても、過去世にその様な事があれば大変な目に遭うのだと他人事では無いと私は思いました。
宗教は違えど、神々は見えない世界で繋がって居るのかな〜と思ったりしてます。
創価の法華経も、悪が入ったからと言って辞めてしまうのは私は間違いではなかろうかと思います。
人間として生まれて来た以上は、修行でもありますから。
私は、池田先生の事を悪く言う人間にムカーッてなります。
法華経は絶対なのは理解してますが、池田先生の事をバカにする人間には怒りが出て来ます。
怒りすぎて疲れますが😂
池田先生の御指導で私についてらっしゃい、辞めたらいけませんよと仰っていた事を思い出します。
私は、池田先生にお会いした事は御座いませんが、私の生命を喜びに変えて下さったのは、池田先生お一人です。
昔は、池田先生にお会い出来る方が羨ましかったです。
はたちさん、凄いですね✨✨✨
矢張り、日蓮大聖人に手を合わせればと言うところが🎉🎉🎉
そーだ、そーだ‼️
日蓮大聖人が南無妙法蓮華経ですよね🙏🙇♀️
私は、池田先生南無妙法蓮華経でもあると思ってまーす🙏🙇♀️
そー言えば、仏陀は、仏陀御自身よりも未来世にはもっと凄い人が現れると仰ってましたよ‼️
日蓮大聖人様の事ですよね🎉
池田先生ですよね🎉
仏陀は、仏陀の時代は月で、未来は太陽とも仰ってました😳
凄いな〜〜〜🎉🎉🎉
はたちさん、私は、原田の事を5年前にYouTubeで暴露しました。
その時、仏界から逃げなさいと伝えられました。
後になって分かった事は私が目をつけられていたのは10年以上前からです。
闇組織の事を知ってしまったからです。
そして、5年前に原田の事を暴露した時に、完全に命を狙われる事になりました。
命を狙われて居る時に殺し屋が目の前に現れました。その顔を見て、私はハッとしました。
其れは、その人物がさらに何年も前に私の前に現れた人物だったのです。話せば凄く長くなるのでここは割愛しますが、私は、世界中から命を狙われました。仏界から次はここから、次はここからと教えて貰い、兎に角、絶対に1人にならない事と言われました。
私は、殺し屋の顔を何人も見てます。
はたちさんが仰ってる動画の内容で、農民信徒が殺された話、日蓮大聖人様は、守るのは諸天善人では無いと仰ってますか?
実は、私は、仏界から第六天魔王にお頼みして、悪鬼神を360億人コチラにお越しくださる様にお頼みしなさいとの事を伝えられました。
お題目を唱えて第六天魔王様に私はお頼みしました。
その姿を、私の姪も見てます。悪鬼神です。
私は、世界中から命を狙われて居る最中は、本当に恐怖でした。
私の命を守ったのは悪鬼神です。
仏界の力もそうですし、善鬼神も私を守って下さった筈です。
私は、命を狙われた時、池田先生とテレパシーで繋がる様になりました。
肉体を持った方で私を助けて下さったのは池田先生ただお一人だけです。
はたちさん、諸天善人様って、人に対してどの様な働きをしてくださるのでしょうか?
一般には、人の中に入り諸天善人になる時はあると言う事は聞くのですが…
私は、現在も命は狙われてますので、バックに悪鬼神がついて居るのは分かります。
悪鬼神の力は凄いですよ。
池田先生は、私が命を狙われてから、常に私にお題目を送って下さっておりました。
今でも、池田先生からお題目が届いてます。
池田先生は、本当の本当に慈悲の塊です。
私は、簡単に言ってますが、池田先生のお題目は本当の本当に凄すぎます🙏🙇♀️
創価学会と原田氏の確執の流れは大体わかります。創価学会は、大石寺から破門されることによって大石寺教学から自由になったことで少しずつ教義を変更し離れていこうとしている。戒壇の大本尊信仰を否定し(後世の偽作と言っていないが)、唯授一人の血脈相承を否定し(元々そんなものは無かったとは言っていないが)、日蓮本仏論の証である大石寺にのみ伝わる秘伝相伝書を格下げし、(すべて偽書とは言っていないが)、だれが見ても大石寺から離れて行っているのがわかる。必然的に大石寺派以外の日蓮系他宗派に近づいていく。原田氏は大石寺から破門されたとはいえ大石寺の流れにいることは変わりないのだから、大石寺教学を継承(固執)せよということでしょう。以前の会長たちを持ち出すが、大石寺の信徒団体だったのだから大石寺教学であるのは当然です。私は部外者なので高みの見物ですが、原田氏とこの解説者、同調者たちは、原田氏の提案を受け入れず、創価学会がこのまま大石寺教学から離れていった場合、どうするのか、学会を脱会するのか?それとも法華講に入信するのか、顕正会か?ということに興味があります。
詳しいことは私には分かりませんが 過去が間違いで今が正しいんでしょうか 昭和30年 戸田会長は 小樽問答の次の日に 創価学会は潰しても 日蓮正宗は絶対に潰してならないと しちゃったことを聞いたことがあります。 日蓮正宗と 日蓮宗との 問答 日蓮正宗が勝利し 学会にとっても 歴史に残る ことではなかったでしょうか 学会はどこに向かうか分かりませんが ただ私の体験場 日蓮正宗の信心を続けたおかげで あらゆる 功徳をいただき 成仏するための信心を 一人になっても最後まで 日蓮正宗の信心をする 決意をしております。 私は過去に教わったことが正しいと 今でも思っております とてもよく勉強 されておられますが 参考になることもありますが 心に響きません 間違った文章があったらごめんなさい ありがとうございました。
学会は正統な日向門流です。
どこに曼荼羅御本尊って書いてますか?肝心の文証が無いのですが
大聖人は「一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」(0564:13)と言われています。なかんずく、凡夫成仏の手本は大聖人以外におられない。ゆえに私たちは大聖人を「人本尊」と拝するのです。
この点について、牧口先生が、真理を発見して教える「聖賢」の立場と、その真理を信じて実践し価値創造する私たち「凡夫」の立場を区別されたことを思い起します。究極の真理を発見する「聖賢」は一人でよく、その他の人は真理を実践し証明することに果たすべき使命があると考えられたのです。
すなわち次のように述べています。
「先覚の聖賢が、吾々衆生の信用を確立せしめんがために、教えを開示された過程と、それを信じて導かれ、最大幸福の生活に精進せんとする吾々凡夫の生活過程とは、全く反対であるべきものである」。
すなわち“聖賢が出て、万人が信じ実践する根本法を確立した後は、私たち凡夫はその結論を実践し結果を体得してから、その法理を理解すればよい”と言われているのであります。それにもかかわらず、聖賢の教えを伝承する者が、聖賢が結論に至る過程まで体験することを民衆に要求するのは「大なる錯誤」、「道草を喰ふ無益の浪費」であるとし、真理の価値の混同を厳しく批判されています。
自他ともの幸福の実現こそが人間の最高の目的であると考える牧口先生にとっては、現実に苦悩を除き、幸福をもたらすことが目的であり、そのための手段にすぎなかった。
さらにいえば、この実践の「規範」としては、凡夫、普通の人の方が望ましいと考えられていたのです。
つまり「最高の具体的規範となる目標」はあっても、あまりにも「完全円満」な存在であれば、見習う人にとっては「崇拝するが及ばぬものとして近付き得ぬ目的」である。むしろ「最低級なる姿」すなわち凡夫の姿のままで「下種的利益」をなす人こそが「最大無上の人格」であるとされているのです。
現実に苦悩にまみれて生きる人間にとって模範たりえる人こそ、最高に尊いのです。
日蓮大聖人は、苦悩の渦巻く時代に一庶民として誕生され、現実に生きる人間に仏界を涌現させるという人間主義の実践を貫かれた。
それ故に種々の難にあわれ、法華経を身読してこの教説を証明し、人間のもつ偉大な可能性をその身の上に示し顕してくださった。
牧口先生はその点について「それが日蓮大聖人の出現によって地上に関係づけられ、しかもその御一生の法難などによって、一々因果の法則が証明されたとしたならば、理想だけの法華経が吾々の生活に現実に生きたことではないか」とのべています。さらに「これは単に日蓮大聖人御一人に限ったことでなく、仰せの通り、何人にでも妥当するものであることは、吾れ人の信行するものゝ容易に証明される所である」とし、忍難弘通された日蓮大聖人こそが私たちの模範と仰ぐべき末法の御本仏であることを訴えられております。
以上、牧口先生の卓越した洞察を見てきましたが、牧口先生が徹底して、信じ実践する者の側に立った信仰観をもっておられていたことが窺えます。ここには、人間に平等な尊厳を見る「人間主義」の精神が示されていると言えます。