高台にあった神戸海洋気象台(当時)で撮影された、阪神大震災で傾いた百葉箱と煙を上げる神戸の街=1995年1月17日、気象庁提供
1995年1月17日に発生した阪神大震災は、史上初めて「震度7」が記録された地震だった。ただ当時、「7」だけは現地調査を踏まえて決めることになっていたため、速報された震度は最大で「6」。さらにその情報も、通信の途絶で一時的に伝わらない状況に陥っていた。その時、神戸と、情報の中継役となった大阪で何が起こっていたのか。
この記事は3回シリーズの2回目です。
途絶した輪島の「震度7」 判明まで24日を要した理由
錯綜する神戸の初期情報 大阪で受け止めたアナウンサーが抱く後悔
機器の「多重化」進まず…滞る烈震の記録 問われる想像力(1月3日6時公開予定)
気象台職員が直面した「断線」
その日は全国的に冬型の気圧配置だった。神戸市中央区の高台にあった神戸海洋気象台(当時)では、前年4月に赴任した春海(はるうみ)孝さんが、同僚2人と当直勤務に入り、気温や風の流れを追っていた。
気象台の1階現業室の椅子に座って、観測の技術書を読んでいる時だった。小さな揺れに気付いた約3秒後。「ドン」と突き上げられ、激しい横揺れに見舞われた。壁に設置された震度計の表示に「6」の数字が見えた。時刻は午前5時46分。
「6や!」。初めて経験する激震だった。一つ約30キロもあるブラウン管のパソコンモニターがドカンドカンと床に落ちる。上から水も激しく落ちてきた。天井の空調用の給水パイプが損傷し、その下部に「大雨警報を出したいくらい」の水漏れが発生したのだ。観測機器をビニール袋やブルーシートで覆った。
しかし--。午前5時55分に大阪管区気象台が発表した地震情報第1号に記された震度は、豊岡、彦根、京都の「震度5」が最大。気象台がある神戸の記述は無かった。
モニターが倒れたため、データがきちんと送れたのか気になった春海さんは午前6時3分、無線で大阪管区気象台に確認の連絡を入れた。
「神戸の震度6は入っていますか」
「入ってない」
「えっ!?」
大阪管区気象台へと震度情報を自動で送る、NTTの専用回線が強い衝撃で不通になっていたのだ。考えもしなかった断線に「まさか」という気持ちだった…

WACOCA: People, Life, Style.