シリアの反体制派が首都ダマスカスに急進し、政府軍が崩壊する中で、アサド大統領の運命はロシアの手中にあった。

  2011年のリビア内戦では、指導者のカダフィ大佐が群衆によってむごたらしく殺された。その映像がいまだ生々しい記憶として残るロシアのプーチン大統領は、アサド体制を支えるためにできることはもはや何もないと結論づけながらも、アサド氏の救援に動いた。

  手遅れになるまでアサド体制に対する脅威が膨らんでいることをロシアの情報機関が気づけなかったのはなぜなのか、その理由を明らかにするようプーチン氏は要求していると、ロシア大統領府に近い関係者は説明した。

  事情に詳しい3人の関係者によると、過去に国際テロ組織アルカイダとつながりがあった武装組織「シリア解放機構(HTS)」が主導する反体制派と戦えば負けるだろうと、ロシアはアサド氏を説得し、即時出国するなら同氏とその家族を安全に脱出させると持ちかけた。関係者は取り扱いに注意を要する問題だとして匿名を要請した。

President Vladimir Putin visits Khmeimim Air Base in Syria

ロシアのプーチン大統領を歓迎する式典に出席したシリアのアサド大統領(2017年、シリア・ヘメイミーム空軍基地)

Photographer:Michael Klimentyev/SPTNK/AP Photos

  アサド氏の脱出はロシア情報機関が手配し、シリアの空軍基地から空路出国させたという。同氏が搭乗した航空機は追跡を避けるためトランスポンダーのスイッチを切っていたと、関係者の1人は語った。

  アサド氏とその家族が国外に亡命したことにより、同氏の父であるハフェズ氏が1971年に大統領に就任して以来、50年余り続いていたシリアのアサド体制は終わりを迎えた。アサド氏出国から数時間と経たない間に、反体制派は抵抗を受けることなくダマスカスに入り、約14年間に及んだ内戦に勝利したと宣言した。 

  ロシア大統領府のペスコフ報道官はコメントの要請にすぐには応じなかった。アサド政権の崩壊について、プーチン氏は今のところ公には発言していない。

  モスクワの軍事シンクタンク、戦略技術分析センター(CAST)のルスラン・プーホフ所長は、ロシアのアサド氏救出について「ダメージコントロールだ」と指摘。カダフィ氏や、裁判を経て2006年に処刑されたイラクのフセイン大統領と同じ運命をアサド氏がたどることを避けるため、同氏にロシアが脱出を促したのは「極めて理にかなう」との見解を示した。

  ロシアはシリアに構える2つの主要軍事基地、タルトス海軍基地とヘメイミーム空軍基地の将来を懸念している。事態の展開の速さにロシア当局者は衝撃を受けたが、表向きは平静を装っている。

 

原題:Russia Pushed Assad to Flee Syria After Concluding He’d Lost War(抜粋)

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