コラム:先行き厳しいユーロ圏経済、ECB「金融緩和」への道筋は=井上哲也氏

 欧州中央銀行(ECB)が先般公表した10月の政策理事会の議事要旨によれば、理事会メンバーの間で経済見通しの悪化が焦点となっただけでなく、インフレ率が2025年に目標を下回るリスクまでも議論されたことが明らかになった。井上哲也氏のコラム。写真は独フランクフルトのECB本部。6月6日撮影(2024年 ロイター/Wolfgang Rattay)

[東京 19日] – 欧州中央銀行(ECB)が先般公表した10月の政策理事会の議事要旨によれば、理事会メンバーの間で経済見通しの悪化が焦点となっただけでなく、インフレ率が2025年に目標を下回るリスクまでも議論されたことが明らかになった。

<経済見通しの悪化>

前回(9月)のECB執行部見通しは、24年前半の景気停滞に関わらず、今後は既往の金融引締め効果の減衰や海外経済の回復に伴う外需の増加などによって、25年の実質域内総生産(GDP)は1.3%に回復するとの見方を示し、理事会メンバーからも幅広い同意を得ていた。ちなみに、この成長率は欧州委員会が推計する潜在成長率とおおむね同じである。

しかし10月の理事会は、設備投資と輸出の双方の弱さを取り上げ、前者はウクライナや中東などの地政学的リスクの高まりを映じた企業のセンチメントの低下、後者は海外経済の回復の遅延に加えて、通商摩擦の激化を理由として挙げた。後者二つの要素には中国要因、つまり、中国の消費低迷と電気自動車の貿易における欧州と中国との対立が影響している。

これらは短期的に解決することが難しいだけでなく、米国の新政権による政策対応次第で状況が悪化するリスクもある。その意味で、9月時点で執行部が示した輸出の前年比見通し――24年のプラス1.2%から25年のプラス2.6%に加速――の現実性は低下している。しかも、ユーロ圏の中でも工業製品の輸出への依存が大きいドイツやイタリアの場合は、日本と同じく、輸出の動向が企業の設備投資スタンスに影響するため、輸出の低迷が設備投資を下押しするという悪循環の恐れもある。

その上で10月の理事会に関して最も印象的であったのは、消費の回復が想定より弱いとの懸念が示されたことである。

9月理事会の時点では、理事会メンバーは、夏季のサービス消費の持ち直しに安堵しつつ、今後はインフレ率と金利の低下、既往の賃上げによる所得の増加等による購買力の回復を背景に、消費が着実に回復し、これが景気回復のけん引力になると想定していた。

しかし10月の理事会では、消費の基調が弱い点を改めて確認した上で、主な原因として家計のセンチメントの低迷と貯蓄率の高止まりを取り上げた。これら二つの要素は共通の背景を有している。つまり、理事会メンバーが挙げたように、地政学的リスクの高まりによる将来不安に加えて、既往の金融引き締めによる資産運用への指向の強まりや住宅ローン金利の上昇への対応、域内の主要国での財政赤字の拡大への懸念(将来の増税を予想して支出を抑制する「リカーディアン効果」)などは、センチメントの低迷と貯蓄率の上昇をともに招くからである。

しかも、消費低迷の根本的な原因がこうした要素にあるとすれば、政策金利の引き下げ効果の波及等のために、解消には一定の時間を要する。このように、総需要の主要項目がいずれも低迷する見通しにあるだけでなく、その回復に時間を要する可能性が高い点で、ユーロ圏経済の先行きは厳しくなっている。

<インフレの下振れの可能性>

理事会メンバーによるインフレの中心的な見通しは、9月と10月の双方の理事会でおおむね変わっていない。つまり、年末にかけてはエネルギー価格の水準効果の剥落によってユーロ圏消費者物価指数(HICP)総合インフレ率が一時的に上昇するが、基調的にはインフレ率の減速が続くとしている。また、一時的な報酬や契約賃金の時間的なラグもあって賃金上昇率は当面高止まるが、企業収益による吸収によってサービス価格への波及は抑制されるとみている。

これらを踏まえて、9月の執行部見通しは、25年と26年のHICP総合インフレ率が各々プラス2.2%とプラス1.9%に減速するとし、25年後半にインフレ目標が実質的に達成されるとの見方に理事会メンバーも同意している。しかし、10月の理事会は、25年中にHICP総合インフレ率が2%目標を下回る可能性をも議論した。

その論拠は、HICP総合インフレ率が7月のプラス2.6から、8月にはプラス2.2%、9月にはプラス1.7%と急減速したことにある。これに対しては、理事会メンバーからも、足元の減速はエネルギー価格の変動といった一時的要因による面が多いとか、賃金上昇の見通しを踏まえるとサービス価格(9月時点でも前年比上昇率はプラス3.9%)の減速には時間を要するとの反論がなされた。

実際、その後に公表された10月のHICP総合インフレ率はプラス2.0%に上昇し、サービス価格の上昇率も9月と横ばいであったので、インフレ率の2%目標に対する下振れは、現時点ではメインシナリオでなく下方リスクと捉えるべきであろう。

それでも、25年の経済成長率が9月時点の見通しを達成できなければ、潜在成長率を下回る結果、マクロの需給ギャップはマイナスになる。しかも、今年の経済成長率はECBも認めるように1%を下回るだけに、需給ギャップは2年連続でマイナス方向に拡大することになる。また、消費の低迷が続いた場合、賃金上昇が高止まったとしても、企業がサービス価格に転嫁し得るかという問題もある。

これらの点を踏まえると、インフレ率の下振れもテールリスクでなく、相応の確率を伴うリスクと位置付けることができる。

<金融緩和への道>

景気と物価の双方の見通しが悪化しても、ECBは政策金利の引き下げを加速する必要はないと考えることもできる。なぜなら、要因のほとんどは構造的ないし政治的な背景に起因しており、金融政策だけでは直接的な影響を及ぼしえないからである。また、景気見通しの悪化のリスクに比べれば、インフレ率の下振れのリスクは相対的に軽微ではあり、物価安定だけを政策目標とするECBは余裕をもって対応すべきと主張することも可能である。

それでも筆者は、ECBが積極的な金融緩和で対応すべきだと考える。

第一の理由は、物価の下振れリスクが総需要の不足による以上、中央銀行は政策対応すべきだからである。効果が限定的であっても、緩和的な金融環境を維持することは、家計や企業のセンチメントや購買力の下支えになる。

また、ECBがインフレ率の目標に対する持続的な下振れを容認しない姿勢を明示することは、長い目でみて家計や企業、金融市場におけるインフレ期待の安定化にも繋がる。この点は、コロナ前まで低成長と低インフレが続いたユーロ圏にとっては、無視しえない要素となり得る。

第二の理由は、ECBが景気悪化を放置すると、域内国の政府による財政拡張に拍車をかける恐れがあるからである。景気悪化の要因を考えると、例えば、通商摩擦による影響を受ける中小企業の支援など、ミクロ面では財政政策で対応すべき点が多い。しかし、それを超えてマクロの景気刺激のために財政支出の拡大を図るようであれば、コロナ対策で増加した財政債務の改善にとって支障になる。

実際に、スペインやイタリア、フランスやドイツといった主要国でも財政債務の対GDP比率はコロナ前と同じないしそれを上回る水準にある。これらが「悪い金利上昇」に繋がってしまうと、ECBの政策対応はより困難になるはずだ。

これらの点を踏まえると、筆者は、ECBが中立水準まで政策金利を引き下げる点で止まるのではなく、金融緩和の水準にまで政策金利を引き下げる可能性も考えておくべきであるように思われる。現時点で金融市場はそうしたシナリオを十分織り込んでないだけに、ECBが次回12月の理事会で景気や物価の見通しをどのように修正し、政策金利のパスについてどのような示唆を行うかが注目される。

編集:宗えりか

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

  *井上哲也氏は、野村総合研究所の金融デジタルビジネスリサーチ部シニアチーフリサーチャー。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。金融イノベーション研究部・主席研究員を務め、2021年8月から現職。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。

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